かぶれの世界(新)

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飛騨高山・白川郷・香嵐渓の旅(1)

2022-11-24 17:45:54 | 旅行記
昨日一昨日に家族が予約した「紅葉を愛でる2日間」のパッケージ旅行に行ってきた。

立川から特急あずさで茅野に行き、そこから地元バスに乗り換え松本経由で野麦街道(158号線)を走り、飛騨高山に向かった。上高地のトンネル工事がやたら多い道で山間部に小集落が点在してた。
飛騨高山の古い町並みと、白川郷に移動し合掌造りの家並みを散策し、高山に戻ってホテルに投宿した。ゆったりと温泉に浸かり地元のお酒を飲んだ。

二日目は生憎の雨の中東海北陸自動車道を一路南下し美濃加茂経由して、春秋に開花する小原四季桜と紅葉名所の香嵐渓を見学した。帰りは香嵐渓から山間部の三州街道(158号線)を北上し諏訪湖経由して茅野に出て、特急あずさでワインをチビチビやりながら自宅に戻った。天候には恵まれなかったが美しい景色や古い町並みの中の散策は楽しめたので、この後紹介していきたい。

移動中にバスの中で地図をチェックすると初めて行くところばかりだった。だが、コースの直ぐ近くにかつて行った記憶のあるところを幾つか見つけた。若い頃に木曽の御嶽山に登った時に、道の向こうを下って行くと高山だと言われ記憶に残った。10年前頃に帰京時に運転に疲れ一泊した下呂温泉が高山のすぐ南にあると気付いた。上高地はさておき映画化された野菊峠等々。

実はこの旅行で私が最も体感させられたのは美しい景色や食事ではなく、旅の最後に気付かされた私の老いだった。最後にツアーと別れ立川駅で南武線に乗り換えた時、優先席に座っていた若い女性が立ち上がって席を譲ってくれた。礼を言って即座ったが、私には内心ショックだった。

それは、私が席を譲るほどに老けて弱弱しく見えるという事なのか。家内に聞くと速攻で頷いた!空いた優先席に自ら座ることはあっても、今まで席を譲って貰った記憶がない・・・と私は思っていた。その記憶自体も怪しいが。見かけは老人だとしても、体は若くありたい・・・。

旅の最後に受けた衝撃はさておき、次回から普通の旅行記のように個人的な旅の印象を紹介する。■
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何を食べても美味しく、着てもフィット

2022-11-20 19:11:43 | 日記・エッセイ・コラム
帰京してから毎日何を食べても何故か美味しい。食べ物だけではない。家内がくれたパジャマやブルゾンが何故かぴったりフィットする。実は、訳は多少なりとも分かっている。

田舎にいる時は、殆ど外食することは無く、何を食べても味に拘らない。コスパとタイパにのみ拘って食事していた。これを続けていると、最近では何を食べても美味しいに決まっている。

家内が買ってくる農家の取り立ての野菜はホントに美味しい。スーパーや八百屋で買ってくる野菜より、特に取り立てのブロッコリーが凄く美味しい。田舎にいた時もお店で買う野菜や冷凍品は美味しくなかった。チョット問題なのは新鮮な葉物は、葉っぱなのに堅くて歯の悪い私には痛い。

着るものも同じだ。私は20年以上前のサラリーマン時代の衣服を続けて着ている。退職後は子供達の着古しを「お上がり」と称して着ている。家内が家族旅行とか家族パーティの度の為にジャンパー等をよく買ってくれる。

今回帰京した時に買ってくれたパジャマは肌触りが凄く良くて快眠できた。多少はお金を使って新しい生地の衣類を買った方が良いと彼女は言う。最近私の背が縮んだのを考えてSサイズを買ってくれたのも良かった。身体が小さくなりサイズダウンしたり、女物がピッタリ来る時がある。

家内が仕事用に着てた女物の上着も今回くれた。暖かくて私にフィットして女物でも気に入った。だが、家内から見ると女性用はやや袖が短いくて見かけが悪いのだそうだが、私は全然気にならない。

火曜日から飛騨高山に旅行に行く予定だが、何を着て行くか迷っている。頂き物が沢山あり天候に合わせて何を着て行くか決められない。食事は出されたものは全て戴く、美味しいに決まっている。■
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マスクなしで南多摩から桜丘へ

2022-11-17 18:25:37 | 日記・エッセイ・コラム
昨日昼食後に馴染みの散歩コース「南多摩から桜丘」を歩いた。自宅から府中街道を通り是政橋を渡り稲城市に出て、南多摩駅から川崎街道を北上し多摩市桜ケ丘に出て、鎌倉街道を通り府中市の自宅に戻る、三市の三角コース約14キロを何とか歩けた。

予報では気温は17度程度だったが直射日光下を歩くと結構な汗をかいた。長男と孫達に雲取山登山を持ちかけて是非やろうと決めたところで、私に日帰り登山できる体力が残っているかトレーニングを兼ねて試し歩きした。結論から言うと平坦な道を歩くのであれば問題なかった。

緩やかな坂上のゴルフ場(桜丘CC)に沿った道程度の坂では苦にならなかったが、尿意を催して川崎街道沿いの藪に小便をしてしまった。3車線の道を絶え間なく車が通っていたが我慢することなく小便した。正直言うと近年頻尿が悪化してたので、出かける前から覚悟の上だった。

関戸橋はまだ車線を増やす工事が終っておらず、橋の片側の歩道がなかった。春に歩いた時は多摩川にサギの大群がいたが、今回見たのは一羽だけで少し残念な気がした。多摩川の水の流れが工事で大きく変えられたせいかも知れない。三角コースの街並みはどこも変わってなかった。

コロナが始まった頃と違い商店街や歩行者の少ない川崎街道沿いのどこを歩いても例外なくマスクをしていた。田舎でもそうだった。川沿いの散歩道や殆ど人が通らない農道でも、すれ違った人達はマスクをしていた。私は人通りの少ない田舎道はマスクをしなかったし、東京に戻った昨日もマスクなしで歩いたが注意はされなかった。

歯科医は田舎でも東京郊外でもマスクなしだったが、1カ月前に田舎の内科医に降圧剤を処方して貰った時は看護婦さんに厳しくマスクを要求された。帰京してマスクをした人の大群の中に入るとある種の「圧」を感じて私も無条件でマスクをした。

今朝起きて気になって室内を歩くと足のどこにも違和感がなかった。次のステップは高尾山・陣馬山縦走往復約30キロを歩いて最終確認をする積りだ。その前に来週前半に家族と飛騨高山に旅行する予定だ。決まった仕事のない後期高齢者だが、帰京直後から中々忙しい。■
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歯科医と患者のハイブリッドな仲間

2022-11-16 21:13:21 | 日記・エッセイ・コラム
帰京した二日目の昨日の夕食直前に入れ歯が真っ二つに割れた。とても食事できる状況ではなく、直ぐに診てくれ修理してくれる近場の歯科医にお願いする必要があった。同居する息子が直ぐ近くのAクリニックに診て貰っていると家内に聞き、予約の電話を入れた。

息子の名前を言うと記憶があるようで明日はどうかと聞かれ、是非とも今日のうちに見て頂き夕食をとりたいと粘ると、それでは7時半に来てくれと譲ってくれた。ネットで調べるとAの診療時間は夕方7時までとあり感謝した。実際予約の10分前に行き受付後直ぐに診察が始まった。

受付と診察が同時に始まりクリニック全てを一人で運営していると分かり、大丈夫なのか若干不安になった。直前に息子に評判を聞くと悪くないとの事、何れにしろ選択の余地はなかった。話し合いで当座は入れ歯の修理に専念することで、その後は状況に応じ田舎で診てくれた歯科医を紹介し相談して貰うことにした。

一人なので全ての修理作業はシリアルになり1時間もかかったが、先生と私の会話は弾みあっという間に治療が終わった。東日本で歯科のある国立大学は3つしかない、歯科医が多いのは歯科医のある私立大学が多いからという。彼女によると経済的に国立大しか行けなかったという。

話は変わって彼女は千葉県の農家で生まれ、今でも週に一二回千葉に戻り農業をやっている。農地内に小屋を建てて本格的にやっているという。私が農地を相続しても農業が出来ず四苦八苦しているのと大違いだ。彼女は20代半ばの息子3人がいて休日には手伝ってくれるという。

私の田舎生活の若者とは違うが、彼女と私はよく似た環境だと思った。だが私の様に他人に頼むだけで自分は何も出来ないことを、彼女は歯科医を続けながらやっていると感心した。心からそう思って彼女に伝えた。多分今年94歳で亡くなったばかりの父親の助けもあったと想像する。

その後、彼女と父親がパリに旅行した思いでを聞き、私も一度フランスに仕事に行った経験を話した。米国に数年住んだ経験も紹介し、米国の歯科医に診て貰った時は技師工が下手糞だった経験とか、看護婦が美人ばかりだったと言うと、彼女はとても大事な事と返して笑いあった。

てなことで、あっという間に治療(修理)が終った。最後に後期高齢者の保険証で「3割支払い」を見て何をやっているのか疑われた。二人は東京に住み年を取って共に田舎に農地を持ち、楽しむか苦しむかの違いはあるが田舎で農業に関わり、海外を経験していた。ある種のハイブリッドな仲間だと思った。

今日昼食前に田舎で買った昆布飴を舐めていると、一瞬入れ歯が浮いてヒヤッとした。これでは又直ぐに彼女と長話する機会が来そうだ。■ 
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東京郊外の生活2022-23(1)

2022-11-15 18:57:24 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の昼過ぎに路線バスに乗り松山空港に向かう途中に停車場で運転手が外に出て、後方を走る空港行のリムジンバスが満席なのでこのバスに乗って下さいと案内した。同じ行き先で先行するバスが後方のバスの客に、後ろは満員だからこのバスに乗れと勧めるなんて初めて見た。

空港に着くとお土産屋からチェックイン・ゲートや保安検査・待合室まで乗客で一杯だった。そのうち搭乗案内がアナウンスされると、同時にキャンセル待ちがないと報じられた。キャンセル待ちが出るとは、空港に繋がるあらゆるところで搭乗客で溢れている感じだった。

なので羽田行きの飛行機787の機内も乗客で一杯だった。コロナ前の久し振りに見る風景だった。いつもなら夏の1カ月は一旦帰京するのだが、今年は4月から11月まで7カ月間田舎暮らしをした。大袈裟だが久し振りの飛行機旅行で揺れや振動が怖かった。

羽田から鎌田・川崎経由してJR南武線で自宅に戻った。会社勤めの人達の帰宅時間には少し早めの4時過ぎに電車に乗ったが、電車は思ったより混んでいた。特に川崎から乗った電車はかつて登戸から数駅までの間に下車する乗客が多かったが、昨日はその先の分倍河原迄ずっと混みあっていた。

これはどういうことか、どういうタイプの乗客なのかずっと観察した。サラリーマンか学生達で特に変化はなかった。登戸以北にも高層マンションが建ち川崎・横浜や都心に向かう人が増えたのか、コロナ禍の3年間にそんな傾向が進んだとは思えないが、私の勘違いだろうか。

自宅に戻ると我が家に変わりはなかった。太り気味の息子が医者に言われてダイエットした結果少し細くなったが。近所にお土産を持って挨拶に行くと3軒の家族の7人の子供達がたった半年で一気に成長したと感じた。この3軒はこの数年に引っ越してきた若夫婦が儲けた子供達だ。

昔から住む隣近所は事情が異なる。当時の女性は結婚して出て行き、男性は独身のまま中高年になった人が多い。振り返ると田舎の実家のある集落と全く同じだ。女性は結婚して都市部に出て行き、男性は未婚のまま年を取った。結果として一人も子供がおらず、外から若者は引っ越してこない。

田舎暮らしと東京郊外暮らしを毎年交互に繰り返す老いた私には、どうしたらいいのか答えを捜しながら見つからない寂しい思いをした。東京郊外にも田舎と同じようなことが起こっているとつくづく思った。■
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