
アシガバード国立博物館の見学後、郊外に残るパルティア王国時代の都市遺跡である。王の建造物群のあった旧ニサ遺跡を訪れました。民衆の居住地区であった新ニサ遺跡は1.5kmほど離れたところにあります。
バルティア王国は、紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて強大な力を誇った騎馬民族国家です。

旧ニサ遺跡は、40もの塔を持つ高さ11~13mの城壁で囲まれていました。塔が並んでいた跡が見られました。

城壁の上の入場口からは、王宮の全景を眺めることができました。

遺跡の専門家によって、図が示されて遺跡の説明が行われました。

遺跡の入り口には展望台が設けられていましたが、上がってみてもそれほど変わった眺めは得られませんでした。

旧ニサには貯水池が設けられていました。遊歩道の右脇に見られた貯水池の跡。

遊歩道の左側にも貯水池の跡が見られました。その背景に広がるのは、コベット・ダー山脈。


王宮の入り口。

狭い通路を進みました。
奥の壁は、オリジナルの日干しレンガによる壁で、手前は新しく修復された部分です。

建物の跡。手前の土盛りは柱の跡のようです。


広間に出ました。円形の神殿で、一階はゾロアスター教の祭壇が築かれ、2階にはギリシャの神々が祀られていたようです。

修復に使われる日干しレンガが造られていました。

壁が赤かったことから「赤の間」と呼ばれ、円形神殿の訪問者の手続くを行う前室として使われたようです。

赤の間へへと続く入り口の壁のオリジナル部分。当時の建物の管状構造物が見えています。

解説してくれた専門家が、復元予想図を見せてくれました。

遺跡の姿からそこまで想像することは難しいです。

王の間の復元予想図。

王の間の柱は、焼きレンガで造られていました。


この方向が元々の入り口で、その手前にリュトンが発見された宝物殿がありました。

壁に開けられた穴は、矢を射る狭間だとすると外に向かって開いていないといけないので、明り取りと夜に火を置いた窪みではとの説明でした。

王宮内を一周して見学を終えました。
日干しレンガによる建物は時間の経過に伴う崩壊が著しく、現在の姿から往時を想像するのは難しい状態でした。
バルティア王国は、紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて強大な力を誇った騎馬民族国家です。

旧ニサ遺跡は、40もの塔を持つ高さ11~13mの城壁で囲まれていました。塔が並んでいた跡が見られました。

城壁の上の入場口からは、王宮の全景を眺めることができました。

遺跡の専門家によって、図が示されて遺跡の説明が行われました。

遺跡の入り口には展望台が設けられていましたが、上がってみてもそれほど変わった眺めは得られませんでした。

旧ニサには貯水池が設けられていました。遊歩道の右脇に見られた貯水池の跡。

遊歩道の左側にも貯水池の跡が見られました。その背景に広がるのは、コベット・ダー山脈。


王宮の入り口。

狭い通路を進みました。
奥の壁は、オリジナルの日干しレンガによる壁で、手前は新しく修復された部分です。

建物の跡。手前の土盛りは柱の跡のようです。


広間に出ました。円形の神殿で、一階はゾロアスター教の祭壇が築かれ、2階にはギリシャの神々が祀られていたようです。

修復に使われる日干しレンガが造られていました。

壁が赤かったことから「赤の間」と呼ばれ、円形神殿の訪問者の手続くを行う前室として使われたようです。

赤の間へへと続く入り口の壁のオリジナル部分。当時の建物の管状構造物が見えています。

解説してくれた専門家が、復元予想図を見せてくれました。

遺跡の姿からそこまで想像することは難しいです。

王の間の復元予想図。

王の間の柱は、焼きレンガで造られていました。


この方向が元々の入り口で、その手前にリュトンが発見された宝物殿がありました。

壁に開けられた穴は、矢を射る狭間だとすると外に向かって開いていないといけないので、明り取りと夜に火を置いた窪みではとの説明でした。

王宮内を一周して見学を終えました。
日干しレンガによる建物は時間の経過に伴う崩壊が著しく、現在の姿から往時を想像するのは難しい状態でした。