さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 マルグッシュ遺跡

2019年12月27日 | 海外旅行
早朝の飛行機でアシガバードからマリへ移動し、まずはマルグッシュ遺跡に向かいました。

マリでは再び4駆車に乗車しました。マルグッシュ遺跡への道は、砂地の最悪級の悪路のうえに、風が吹いて砂嵐状態になっていました。



マルグッシュ遺跡の入り口。世界遺産になっています。

マルグッシュでは、紀元前29~27世紀頃、モルガブ川沿いの肥沃な土地にメソポタイアから人々が住み始め、街が築かれました。紀元前23~17世紀頃に最盛期を迎えましたが、紀元前9世紀頃頃に、モルガブ川の位置が変わると人々は街を捨て、上流のメルブへ移動し、紀元前9世紀に街を建設しました。ゾロアスター教発祥の地と考えらえ、四大河文明の次の第五の文明とも言われているようです。



原野の中に日干し煉瓦による遺構が広がっていました。



マルグッシュ遺跡の研究者が、図表を示しながら説明してくれましたが、実際の遺構と再現図を結びつけるのは難しい状態でした。



街の外周を取り巻く壁の跡。



建物の土台が広がっていました。



土器を焼く竈の跡。壁に釉薬の跡が見られます。



日干しレンガの土台跡の中を進んでいきました。



王宮内に入ってきました。壁がきれいなのは、日干しレンガが崩れるのを防ぐため、修復作業として泥で覆っているためです。



左の壁に開いた狭い隙間が王宮の入り口です。狭いのは、王宮の安全防御と、広間に入った時の視覚効果を狙ったもののようです。



土管の跡も見られました。



王宮は、控えの間、宗教儀式の間、玉座の間の三室が設けられていました。



控えの間の壁龕。ここには神像が置かれていました。



玉座のある王の間。両脇には、王妃か息子、司祭が座ったようです。





大きな竈の跡。



土器の破片や釉薬の跡が残されています。



王族用神殿内の肉を捧げるための竈。



天文台へと続く階段。





王宮の王族の遺体安置室。



王宮の外壁内部の溝。ここで近衛兵が守っていました。



灰をとるための竈。



貯水池(水の神殿)



小さな竈が並んでいます。



王墓地区に埋葬されていた馬の骨。



屋根囲いが設けられていました。



中には、2頭のロバ、ラクダ、犬、王の遺体を運んだ車の青銅の車輪。鍋、スコップも置かれていました。王の奴隷の骨も埋められていましたが、宗教上の問題で展示はされていませんでした。



地下王墓。全部で14の墓が発見され、それらは通路でつながっていました。



遺跡の見学を終えて、再び悪路を戻りました。





マルグッシュ遺跡では、通常入り口にある休憩所で昼食をとるのですが、砂嵐の中で無理でした。集落に戻ったところで、部屋をかりて昼食をとりました。

マルグッシュ遺跡は、歴史的に貴重で大規模な遺構であることは判りましたが、当時の姿を思い浮かべるには、想像力が足りませんでした。
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