さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 トルクメンバシ

2019年12月24日 | 海外旅行
ヤンギ・カラを出発して、カスピ海に面するトルクメンバシにやってきました。この街は、クラスノボツクと呼ばれていましたが、トルクメニスタン初代大統領のニヤゾフによってトルクメンバシ(トルクメン人の長)に変えられました。



貨物船が停泊していました。トルクメンバシは、トルクメニスタン随一の港であり、石油の積出港になっています。



港も整備されており、展望台のようなタワーが建てられていました。



港の前のモニュメント。



市街地の眺め。



街のバザールを見学しました。残念ながら、ここも撮影は禁止。昼食のために、旅行会社の方でエビを買ったくれました。



街には、大統領の像が置かれていました。



昼食をとったレストランのテラスからは、広大なカスピ海の眺めが広がっていました。西の対岸にはアゼルバイジャンのバクーの街がありますが、見える距離ではありません。

カスピ海は、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖で、日本とほぼ同じ広さを持つ世界最大の湖です。カスピ海は、ロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンの5か国によって囲まれています。カスピ海を、海としてか湖としてとらえるかは、鉱物資源(石油・天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセスの点で異なってきます。ソ連崩壊により沿岸諸国が2か国から5か国になると同時に、カスピ海沿岸国家間でこの領海問題がクローズアップされ、10年に及ぶ領海確定協議が続くこととなりました。現在は、カスピ海を「海」と認定して領海協定で扱うことで合意されています。



眺めの上では、広大なことから海、波の無いことから湖といったところです。



港の眺め。大型船も停泊していました。



昼食後、街外れにある日本人抑留者墓地を訪れました。モンゴルのウランバートル、ウズベキスタンのタシケント、カザフスタンのアルマトイでも訪れましたが、抑留されて死ぬには、日本からはあまりに遠い異国の地です。



ここには、1000人程度の日本人捕虜兵がいたとも言われています。



台座には、「鎮魂」の言葉が書かれていました。



望郷の念をいだきつつ
ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に
抑留死した兵士たちよ
あなたちとともに
永遠の平和をねがひ
日本とトルクメニスタンとの
友好のかけ橋ならんことを誓う
1995年5月 
クラスノボトスク望郷の丘 日本人墓地建設委員会



日本人抑留者墓地からは、空港が見えていました。

トルクメンバシからアシガバードへは飛行機を利用しました。タシャウズから地獄の門、アシガバード、ヤンギ・カラを経てトルクメンバシまで乗せてくれた4駆チームともお別れになりました。



トルクメニスタン航空に乗る機会はめったに無いと思いますが、空港内や航空機の撮影は禁止のため、座席に置いてあった案内を載せておきます。トルクメニスタン航空のロゴマークは、白いサギです。



窓際の席に座りましたが、窓ガラスが汚れており良い写真は撮れませんでした。

カスピ海の眺め。



フライト時間も1時間と短い国内線ですが、水と飴が配られました。



砂漠の眺め。



アシガバードに向かって高度を下げていくと、ルーヒー・モスクを見下ろすことができました。

アシガバードに戻って先日と同じホテルに1泊した後、再び飛行機に乗ってマリに向かいました。
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