![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/50/9e7cdd2f60d540febd6ba028bf07ca30.jpg)
ヤンギ・カラを出発して、カスピ海に面するトルクメンバシにやってきました。この街は、クラスノボツクと呼ばれていましたが、トルクメニスタン初代大統領のニヤゾフによってトルクメンバシ(トルクメン人の長)に変えられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/25/4d263b5c3b51e457bcc7f3fb0803660b.jpg)
貨物船が停泊していました。トルクメンバシは、トルクメニスタン随一の港であり、石油の積出港になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/34d07208220fa76da488b50751422b5e.jpg)
港も整備されており、展望台のようなタワーが建てられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/8e/d45aa02a1757087e2d9bb0140a182b6b.jpg)
港の前のモニュメント。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/8f/b97ee3b459b06bb71b679413ed63a549.jpg)
市街地の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fd/622c0f7da4f74a6f9eb96717584d4e27.jpg)
街のバザールを見学しました。残念ながら、ここも撮影は禁止。昼食のために、旅行会社の方でエビを買ったくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c2/52ff7ef04d5616a55eda5ed997ace991.jpg)
街には、大統領の像が置かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c9/7d05b9cdff02670a4bbea03d89912314.jpg)
昼食をとったレストランのテラスからは、広大なカスピ海の眺めが広がっていました。西の対岸にはアゼルバイジャンのバクーの街がありますが、見える距離ではありません。
カスピ海は、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖で、日本とほぼ同じ広さを持つ世界最大の湖です。カスピ海は、ロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンの5か国によって囲まれています。カスピ海を、海としてか湖としてとらえるかは、鉱物資源(石油・天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセスの点で異なってきます。ソ連崩壊により沿岸諸国が2か国から5か国になると同時に、カスピ海沿岸国家間でこの領海問題がクローズアップされ、10年に及ぶ領海確定協議が続くこととなりました。現在は、カスピ海を「海」と認定して領海協定で扱うことで合意されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/20/53418c793200c21d53208b21f821aba9.jpg)
眺めの上では、広大なことから海、波の無いことから湖といったところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8b/ca6b00b975e18249daf2135bf425f7f5.jpg)
港の眺め。大型船も停泊していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/e0/acb44ad6e35dea0ca17f1cdefc5f3801.jpg)
昼食後、街外れにある日本人抑留者墓地を訪れました。モンゴルのウランバートル、ウズベキスタンのタシケント、カザフスタンのアルマトイでも訪れましたが、抑留されて死ぬには、日本からはあまりに遠い異国の地です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8d/01bff77c5d50855b6afb9f4774ca5f49.jpg)
ここには、1000人程度の日本人捕虜兵がいたとも言われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4e/be74e6323f00ac7b23b6fcc20c4176f8.jpg)
台座には、「鎮魂」の言葉が書かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/89/82227de8c360348db6f62f1586110eaa.jpg)
望郷の念をいだきつつ
ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に
抑留死した兵士たちよ
あなたちとともに
永遠の平和をねがひ
日本とトルクメニスタンとの
友好のかけ橋ならんことを誓う
1995年5月
クラスノボトスク望郷の丘 日本人墓地建設委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/bb/208cef4956a7cf70c8b494906c0667dc.jpg)
日本人抑留者墓地からは、空港が見えていました。
トルクメンバシからアシガバードへは飛行機を利用しました。タシャウズから地獄の門、アシガバード、ヤンギ・カラを経てトルクメンバシまで乗せてくれた4駆チームともお別れになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/4e/f180ea23e5b7768ef33e3e9128ede527.jpg)
トルクメニスタン航空に乗る機会はめったに無いと思いますが、空港内や航空機の撮影は禁止のため、座席に置いてあった案内を載せておきます。トルクメニスタン航空のロゴマークは、白いサギです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4f/3f37869d69bbb1b6729df64f5638afce.jpg)
窓際の席に座りましたが、窓ガラスが汚れており良い写真は撮れませんでした。
カスピ海の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3b/a39f474575197208e22ff86b2b237322.jpg)
フライト時間も1時間と短い国内線ですが、水と飴が配られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3c/85651b773c0be434678ee1da64a73352.jpg)
砂漠の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/82/7f37ee40af733807b3d9eaf317c9df66.jpg)
アシガバードに向かって高度を下げていくと、ルーヒー・モスクを見下ろすことができました。
アシガバードに戻って先日と同じホテルに1泊した後、再び飛行機に乗ってマリに向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/25/4d263b5c3b51e457bcc7f3fb0803660b.jpg)
貨物船が停泊していました。トルクメンバシは、トルクメニスタン随一の港であり、石油の積出港になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/34d07208220fa76da488b50751422b5e.jpg)
港も整備されており、展望台のようなタワーが建てられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/8e/d45aa02a1757087e2d9bb0140a182b6b.jpg)
港の前のモニュメント。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/8f/b97ee3b459b06bb71b679413ed63a549.jpg)
市街地の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fd/622c0f7da4f74a6f9eb96717584d4e27.jpg)
街のバザールを見学しました。残念ながら、ここも撮影は禁止。昼食のために、旅行会社の方でエビを買ったくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c2/52ff7ef04d5616a55eda5ed997ace991.jpg)
街には、大統領の像が置かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c9/7d05b9cdff02670a4bbea03d89912314.jpg)
昼食をとったレストランのテラスからは、広大なカスピ海の眺めが広がっていました。西の対岸にはアゼルバイジャンのバクーの街がありますが、見える距離ではありません。
カスピ海は、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖で、日本とほぼ同じ広さを持つ世界最大の湖です。カスピ海は、ロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンの5か国によって囲まれています。カスピ海を、海としてか湖としてとらえるかは、鉱物資源(石油・天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセスの点で異なってきます。ソ連崩壊により沿岸諸国が2か国から5か国になると同時に、カスピ海沿岸国家間でこの領海問題がクローズアップされ、10年に及ぶ領海確定協議が続くこととなりました。現在は、カスピ海を「海」と認定して領海協定で扱うことで合意されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/20/53418c793200c21d53208b21f821aba9.jpg)
眺めの上では、広大なことから海、波の無いことから湖といったところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8b/ca6b00b975e18249daf2135bf425f7f5.jpg)
港の眺め。大型船も停泊していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/e0/acb44ad6e35dea0ca17f1cdefc5f3801.jpg)
昼食後、街外れにある日本人抑留者墓地を訪れました。モンゴルのウランバートル、ウズベキスタンのタシケント、カザフスタンのアルマトイでも訪れましたが、抑留されて死ぬには、日本からはあまりに遠い異国の地です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8d/01bff77c5d50855b6afb9f4774ca5f49.jpg)
ここには、1000人程度の日本人捕虜兵がいたとも言われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4e/be74e6323f00ac7b23b6fcc20c4176f8.jpg)
台座には、「鎮魂」の言葉が書かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/89/82227de8c360348db6f62f1586110eaa.jpg)
望郷の念をいだきつつ
ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に
抑留死した兵士たちよ
あなたちとともに
永遠の平和をねがひ
日本とトルクメニスタンとの
友好のかけ橋ならんことを誓う
1995年5月
クラスノボトスク望郷の丘 日本人墓地建設委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/bb/208cef4956a7cf70c8b494906c0667dc.jpg)
日本人抑留者墓地からは、空港が見えていました。
トルクメンバシからアシガバードへは飛行機を利用しました。タシャウズから地獄の門、アシガバード、ヤンギ・カラを経てトルクメンバシまで乗せてくれた4駆チームともお別れになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/4e/f180ea23e5b7768ef33e3e9128ede527.jpg)
トルクメニスタン航空に乗る機会はめったに無いと思いますが、空港内や航空機の撮影は禁止のため、座席に置いてあった案内を載せておきます。トルクメニスタン航空のロゴマークは、白いサギです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4f/3f37869d69bbb1b6729df64f5638afce.jpg)
窓際の席に座りましたが、窓ガラスが汚れており良い写真は撮れませんでした。
カスピ海の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3b/a39f474575197208e22ff86b2b237322.jpg)
フライト時間も1時間と短い国内線ですが、水と飴が配られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3c/85651b773c0be434678ee1da64a73352.jpg)
砂漠の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/82/7f37ee40af733807b3d9eaf317c9df66.jpg)
アシガバードに向かって高度を下げていくと、ルーヒー・モスクを見下ろすことができました。
アシガバードに戻って先日と同じホテルに1泊した後、再び飛行機に乗ってマリに向かいました。