シュエモードー・パヤーに続いて、シュエターリャウン寝仏を訪れました。
全長55m、高さ16mの巨大な仏像です。
994年にモン族のミガティパ王によって造られましたが、バゴー王朝の滅亡と同時に忘れられ、イギリス植民地時代の鉄道敷設のために訪れたインド人技術者によって再発見されたといいます。
足元から見て、ようやく全身を見通せます。
足裏には、仏教宇宙観図が描かれています。
背面には、仏教説話の絵が飾られていました。
涅槃物象が建立されるまでの物語のようです。
小さな鐘も置かれていました。
寝釈迦像の枕も絵で飾られていました。
シュエターリャウン寝仏の近くにも、巨大な像がありました。この像は、権力者が建築途中に失脚して、工事が中断したとのことです。
シュエターリャウン寝仏で予定の観光は終わりましたが、時間が余っているとのことで、チャイプーン・パヤーを訪れました。
高さ30mの太い柱の4面に座仏が置かれています。
それぞれの仏の表情はそれぞれ異なっています。
ここでも八曜日の祭壇が置かれています。
仏の爪は、タイルで飾られていました。ネイル・アートのはしりですね。
ここまで見てきたミャンマー人の仏像に対する好みをまとめると、いとうせいこう著の見仏記に書かれている「3k すなわち巨大・金ピカ・格好いい」ということになるのでしょうね。ただ、「格好いい」という点については、日本人の好みとはかけ離れているという問題があります。ミャンマーでは、日本での仏像の見方を一旦忘れる必要がありました。
ヤンゴン市内に戻って、象のいる公園に立ち寄りましたが、地元ガイドが紹介したかった白い象がいました。、
最後に、スーパーマーケットで食料品を買い込みました。品物は豊富で、上流階級のための店のようです。
店内のことなので写真は撮れなかったのですが、食料品売り場の入り口には、日本で見舞いなどに使われる竹籠にインスタントコーヒーやウィスキーなどを詰めた贈答品セットを売っていました。これは、政府高官の家族に贈る賄賂用とのことです。この品物の中に、現金をひそめて贈るそうです。日本の時代劇で出てくる、菓子箱を開くと、底に小判が入れてあり、「越後屋、おぬしも悪のよう。」という場面が、現在でも起こっているようです。ミャンマーでは、水戸の黄門さまの出現が待たれているようです。
夕刻、ヤンゴン空港から帰路の旅につきました。ヤンゴン空港の通関後の空港ショップですが、のぞいても買いたいようなものはありませんでした。
ハノイ空港での乗り継ぎのためのチケット発券でやたら時間がかかりましたが、無事に日本に戻ることができました。帰りの飛行機の中では、風邪が進んで寒気を感じていましたが、ミャンマーの観光を終えた後であったことは幸いでした。
全長55m、高さ16mの巨大な仏像です。
994年にモン族のミガティパ王によって造られましたが、バゴー王朝の滅亡と同時に忘れられ、イギリス植民地時代の鉄道敷設のために訪れたインド人技術者によって再発見されたといいます。
足元から見て、ようやく全身を見通せます。
足裏には、仏教宇宙観図が描かれています。
背面には、仏教説話の絵が飾られていました。
涅槃物象が建立されるまでの物語のようです。
小さな鐘も置かれていました。
寝釈迦像の枕も絵で飾られていました。
シュエターリャウン寝仏の近くにも、巨大な像がありました。この像は、権力者が建築途中に失脚して、工事が中断したとのことです。
シュエターリャウン寝仏で予定の観光は終わりましたが、時間が余っているとのことで、チャイプーン・パヤーを訪れました。
高さ30mの太い柱の4面に座仏が置かれています。
それぞれの仏の表情はそれぞれ異なっています。
ここでも八曜日の祭壇が置かれています。
仏の爪は、タイルで飾られていました。ネイル・アートのはしりですね。
ここまで見てきたミャンマー人の仏像に対する好みをまとめると、いとうせいこう著の見仏記に書かれている「3k すなわち巨大・金ピカ・格好いい」ということになるのでしょうね。ただ、「格好いい」という点については、日本人の好みとはかけ離れているという問題があります。ミャンマーでは、日本での仏像の見方を一旦忘れる必要がありました。
ヤンゴン市内に戻って、象のいる公園に立ち寄りましたが、地元ガイドが紹介したかった白い象がいました。、
最後に、スーパーマーケットで食料品を買い込みました。品物は豊富で、上流階級のための店のようです。
店内のことなので写真は撮れなかったのですが、食料品売り場の入り口には、日本で見舞いなどに使われる竹籠にインスタントコーヒーやウィスキーなどを詰めた贈答品セットを売っていました。これは、政府高官の家族に贈る賄賂用とのことです。この品物の中に、現金をひそめて贈るそうです。日本の時代劇で出てくる、菓子箱を開くと、底に小判が入れてあり、「越後屋、おぬしも悪のよう。」という場面が、現在でも起こっているようです。ミャンマーでは、水戸の黄門さまの出現が待たれているようです。
夕刻、ヤンゴン空港から帰路の旅につきました。ヤンゴン空港の通関後の空港ショップですが、のぞいても買いたいようなものはありませんでした。
ハノイ空港での乗り継ぎのためのチケット発券でやたら時間がかかりましたが、無事に日本に戻ることができました。帰りの飛行機の中では、風邪が進んで寒気を感じていましたが、ミャンマーの観光を終えた後であったことは幸いでした。