
ネパールは、ヒマラヤの玄関口というイメージが強いですが、インドとチベットに挟まれた地域にあって、独特の文化を持っています。
ネパールの歴史は、古代のリッチャヴィ王朝(4~9世紀前半)、中世のマッラ王朝13~18世紀)、近世のシャハ王朝(18世紀~現代)に大きく分けられます。
そのうち、マッラ王朝時代は、インド・チベット間の中間交易で栄え、さらにこの時期にはイスラム勢力がインドを席巻していったことから、カトマンドゥ盆地にはインドから逃げてきたヒンドゥー教の人々や文化が流入し、チベット仏教とも合わさって、「ネワール文化」と呼ばれる独特な文化が発達しました。
1484年にマッラ王朝は、カトマンドゥ、ラリトプル(バタン)、バクタプルの三王国に分裂しますが、これらの各都市で当時の寺院などの建物を見ることができます。三つの古都のいずれも世界遺産に選ばれており、今回のツアーでは、全てを訪れることができました。
バクタプルには、カトマンドゥから東に12kmの距離にあり、バスで50分ほどで到着しました。
街の中心地へは、バスを下りてから少し歩く必要がありました。
途中に、ヒンドゥー寺院がありました。大木の下に神様が祀ってあります。右側にリンガが置かれているので、シヴァ神由来のものでしょうか。

一対の像が置かれていました。獅子のように思えますが、独特の風貌をしています。

寺院の前では、地元のお祭りのようで、宴会を行っていました。

道脇に男女別々に一列に座って飲み食いしていました。

ライオン・ゲートと呼ばれる入り口から旧市街に入ります。外国人観光客は、入場料を払う必要があります。

入り口から入った先はダルバール広場になります。カトマンドゥの三古都では、街の中心地にはダルバール広場と王宮がセットになってありました。

入り口手前には、ラメシュワール寺院がありました。寺院の前に置かれているのはガルーダ像でしょうか。

ダルバール広場は広く、観光客は多いものの、比較的すいた感じでした。

インド的なケダルナート寺院。

広場の奥には、ヴァツァラ・デヴィ寺院とパシュパティー寺院が並んでいます。

ヴァツァラ・デヴィ寺院は、1672年にジャガット・プラカス・マッラ王(在位1644~73)によって建てられました。

ヴァツァラ・デヴィ寺院の前には、シヴァ神の乗り物の聖牛ナンディン像が置かれています。

また、屋根の上には、シヴァ神の持ち物の三叉戟が置かれています。

ヴァツァラ・デヴィ寺院に背を向けて王宮に向かって座るのは、バクタプール・マッラ王朝11代目のブパティンドラ・マッラ王像です。

タレジュの鐘、1737年に造られたものです。

パシュパティナート寺院。カトマンドゥにある同名の寺を、15世紀にヤクシャ・マッラ王が模して造ったものです。

軒を支える斜材のトゥンダールに美しい彫刻が施されています。

このトゥンダールの彫刻は、ネパール寺院建築の特徴の一つになっています。

ヴァツァラ・デヴィ寺院の奥には広場があり、シッディ・ラクシュミ寺院が見えています。

シッディ・ラクシュミ寺院は、17世紀に建てられました。

石段の両脇には人や動物の石像が置かれています。

ファシデガ寺院
シヴァ神を祀っており、象、獅子、牛の石像が並んでいます。

チャラシン・マンダップ
17世紀にジタミトラ・マッラ王(在位1673~96)が旅人と巡礼者のための宿として建てたものが、1934年の大地震で倒壊し、その後に元の建材を使って立て直したものです。

タドゥンチェン・バハール
ダルバール広場には多くの建物があるため、あるいは名前が間違っているかもしれません。
ネパールの歴史は、古代のリッチャヴィ王朝(4~9世紀前半)、中世のマッラ王朝13~18世紀)、近世のシャハ王朝(18世紀~現代)に大きく分けられます。
そのうち、マッラ王朝時代は、インド・チベット間の中間交易で栄え、さらにこの時期にはイスラム勢力がインドを席巻していったことから、カトマンドゥ盆地にはインドから逃げてきたヒンドゥー教の人々や文化が流入し、チベット仏教とも合わさって、「ネワール文化」と呼ばれる独特な文化が発達しました。
1484年にマッラ王朝は、カトマンドゥ、ラリトプル(バタン)、バクタプルの三王国に分裂しますが、これらの各都市で当時の寺院などの建物を見ることができます。三つの古都のいずれも世界遺産に選ばれており、今回のツアーでは、全てを訪れることができました。
バクタプルには、カトマンドゥから東に12kmの距離にあり、バスで50分ほどで到着しました。
街の中心地へは、バスを下りてから少し歩く必要がありました。
途中に、ヒンドゥー寺院がありました。大木の下に神様が祀ってあります。右側にリンガが置かれているので、シヴァ神由来のものでしょうか。

一対の像が置かれていました。獅子のように思えますが、独特の風貌をしています。

寺院の前では、地元のお祭りのようで、宴会を行っていました。

道脇に男女別々に一列に座って飲み食いしていました。

ライオン・ゲートと呼ばれる入り口から旧市街に入ります。外国人観光客は、入場料を払う必要があります。

入り口から入った先はダルバール広場になります。カトマンドゥの三古都では、街の中心地にはダルバール広場と王宮がセットになってありました。

入り口手前には、ラメシュワール寺院がありました。寺院の前に置かれているのはガルーダ像でしょうか。

ダルバール広場は広く、観光客は多いものの、比較的すいた感じでした。

インド的なケダルナート寺院。

広場の奥には、ヴァツァラ・デヴィ寺院とパシュパティー寺院が並んでいます。

ヴァツァラ・デヴィ寺院は、1672年にジャガット・プラカス・マッラ王(在位1644~73)によって建てられました。

ヴァツァラ・デヴィ寺院の前には、シヴァ神の乗り物の聖牛ナンディン像が置かれています。

また、屋根の上には、シヴァ神の持ち物の三叉戟が置かれています。

ヴァツァラ・デヴィ寺院に背を向けて王宮に向かって座るのは、バクタプール・マッラ王朝11代目のブパティンドラ・マッラ王像です。

タレジュの鐘、1737年に造られたものです。

パシュパティナート寺院。カトマンドゥにある同名の寺を、15世紀にヤクシャ・マッラ王が模して造ったものです。

軒を支える斜材のトゥンダールに美しい彫刻が施されています。

このトゥンダールの彫刻は、ネパール寺院建築の特徴の一つになっています。

ヴァツァラ・デヴィ寺院の奥には広場があり、シッディ・ラクシュミ寺院が見えています。

シッディ・ラクシュミ寺院は、17世紀に建てられました。

石段の両脇には人や動物の石像が置かれています。

ファシデガ寺院
シヴァ神を祀っており、象、獅子、牛の石像が並んでいます。

チャラシン・マンダップ
17世紀にジタミトラ・マッラ王(在位1673~96)が旅人と巡礼者のための宿として建てたものが、1934年の大地震で倒壊し、その後に元の建材を使って立て直したものです。

タドゥンチェン・バハール
ダルバール広場には多くの建物があるため、あるいは名前が間違っているかもしれません。