万里の長城は、紀元前数世紀のころの中国各地に分立していた国々が、北方の騎馬民族や他国の侵入に対して築いた防壁を、中国を統一した秦の始皇帝がつなぎあわせて整備したものです。勢力のあった唐時代には重視されませんでしたが、明の時代になるとモンゴル族の襲来を恐れて長城の整備が進められました。現在見られるのは、この明の時代に築かれたものです。
万里の長城は、多くの見学場所がありますが、この八達嶺(はったつれい)が最も有名なものになっています。
八達嶺の入り口ですが、ひと昔前の写真ですので、現在では様子が変わっていると思います。
入場すると、右手は少し緩やかな女坂、左は急な男坂の二手に分かれます。観光客の多い女坂に進みました。
石とレンガで築かれ、高さは平均7.5m、幅は底6.5m、上幅5.8mあり、数匹の馬が並んで通行できる幅があります。
階段は急で手すりが設けられているところもありますが、長年歩かれてすり減ったところもあり、下りには足元に注意が必要です。
周囲の岩山に長々と城壁が続いているのが判ります。
一定の間隔で、二階建ての城楼が築かれており、一階部は兵士の住居で、見張り台と戦闘台を兼ねていました。
この日は、車をチャーターして訪れていたので、時間に自由がききましたので、行けるところまで行ってみることにしました。
汗も噴き出てきて、足を止めて背後を振り返ることになりました。
先に進むにつれて、人は少なくなってきました。
急坂になりました。上に見えるのは、北七楼のようです。
草臥れてきましたが、右奥に見える北八楼まで頑張ることにしました。
この時に持っていたガイドブックには書かれていなかったので、ロープウェイが架けられているのには驚かされました。
現在のガイドブックには、ロープウェイで上がって、下りは歩くことが掛かれているので、歩いて往復する者は少ないでしょう。
長城の向かって右側に出口があり、遊歩道が続いているのが見えます。
振り返ると、ずいぶんと歩いてきており、スタート地点は判りません。
最後の頑張りです。
振り返った眺め。
越してきた北七楼
北八楼で引き返しました。長城の全長はおそそ9000kmというので、行けるところまでといってもきりがありません。帰りも風景を眺めながら歩きました。
ハイキング程度の歩きになりました。
最後にコスプレ写真。軍閥風の衣装でしょうか。
月の砂漠の王子様、のつもり。
万里の長城は、多くの見学場所がありますが、この八達嶺(はったつれい)が最も有名なものになっています。
八達嶺の入り口ですが、ひと昔前の写真ですので、現在では様子が変わっていると思います。
入場すると、右手は少し緩やかな女坂、左は急な男坂の二手に分かれます。観光客の多い女坂に進みました。
石とレンガで築かれ、高さは平均7.5m、幅は底6.5m、上幅5.8mあり、数匹の馬が並んで通行できる幅があります。
階段は急で手すりが設けられているところもありますが、長年歩かれてすり減ったところもあり、下りには足元に注意が必要です。
周囲の岩山に長々と城壁が続いているのが判ります。
一定の間隔で、二階建ての城楼が築かれており、一階部は兵士の住居で、見張り台と戦闘台を兼ねていました。
この日は、車をチャーターして訪れていたので、時間に自由がききましたので、行けるところまで行ってみることにしました。
汗も噴き出てきて、足を止めて背後を振り返ることになりました。
先に進むにつれて、人は少なくなってきました。
急坂になりました。上に見えるのは、北七楼のようです。
草臥れてきましたが、右奥に見える北八楼まで頑張ることにしました。
この時に持っていたガイドブックには書かれていなかったので、ロープウェイが架けられているのには驚かされました。
現在のガイドブックには、ロープウェイで上がって、下りは歩くことが掛かれているので、歩いて往復する者は少ないでしょう。
長城の向かって右側に出口があり、遊歩道が続いているのが見えます。
振り返ると、ずいぶんと歩いてきており、スタート地点は判りません。
最後の頑張りです。
振り返った眺め。
越してきた北七楼
北八楼で引き返しました。長城の全長はおそそ9000kmというので、行けるところまでといってもきりがありません。帰りも風景を眺めながら歩きました。
ハイキング程度の歩きになりました。
最後にコスプレ写真。軍閥風の衣装でしょうか。
月の砂漠の王子様、のつもり。