
トウマディー広場からは、ティブチェン・トールと呼ばれる道を歩いてタチュバル広場に向かいました。道には赤いレンガが敷き詰められています。

道の両側には、お土産屋や地元民あいての店が並んだいます。

このバクタブルの旧市街地は、後で訪れることになるカトマンドゥやバタンと比べると、比較的混雑度はひどくはなく、周りを見ながら歩くことができました。

ちょっと埃っぽい感じもしますが、ドイツあたりの中世都市と似た感じもします。

道の脇には、小さなお寺も現れてきます。

共同の水飲み場。ネパールでは、水不足で、このような水飲み場も時間制限があるようです。


タチュバル広場に到着。広場の東側にダッタトラヤ寺院があります。ダッタトラヤ寺院は、1427年建立で、本尊のダッタトラヤは、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神が一体になったものです。

ダッタトラヤ寺院に向かい合うようにガルーダ像があります。

広場の西側にあるのは、ビムセン寺院です。本尊はビムセン、またの名をビマという「マハーバーラタ」に出てくる英雄です。ビムセンは職人や商人にとっての守護神です。

ビムセン寺院の前にある柱の上にはライオンの像が置かれています。

広場は、土産物屋やストランなのでになった古い建物で囲まれています。

広場では、山羊がのんびりとねそべっていました。インドではのら牛が目立っていましたが、ネパールでは山羊を良く見かけました。

ネパールの街角には、パティと呼ばれる休憩所があり、年寄りがのんびりとひなたぼっこををしていました。

タチュバル広場の先には、真鍮・青銅博物館があります。

その向かいにあるのは、木彫美術館があります。この建物は、かつては僧院だったといいます。

木彫美術館の建物を回り込んで路地に進んでいきます。

木彫美術館の壁にあるのが、ネワール美術の傑作である「孔雀の窓」です。

「孔雀の窓」の下はお土産屋があり、見学していると、土産物を買わされそうになります。

「孔雀の窓」の他にも凝った彫刻を見ることができました。

中央には、孔雀ではない、何かの鳥が彫りこまれています。


パイナップルかなにかの果物でしょうか。


タチュバル広場を後にし、東に向かうと、お祭りの一行とすれ違いました。

中央の人は、生け贄用なのか、水牛の頭をかついでいました。

東の門でバスに乗りましたが、その門にサラスヴァティーの像が描かれていました。日本には、弁財天として伝わることになります。

道端の野菜売り。
ネパールでは、ヒマラヤの眺めを期待していましたが、バクタブル訪問で古都のたたずまいに引き込まれました。

道の両側には、お土産屋や地元民あいての店が並んだいます。

このバクタブルの旧市街地は、後で訪れることになるカトマンドゥやバタンと比べると、比較的混雑度はひどくはなく、周りを見ながら歩くことができました。

ちょっと埃っぽい感じもしますが、ドイツあたりの中世都市と似た感じもします。

道の脇には、小さなお寺も現れてきます。

共同の水飲み場。ネパールでは、水不足で、このような水飲み場も時間制限があるようです。


タチュバル広場に到着。広場の東側にダッタトラヤ寺院があります。ダッタトラヤ寺院は、1427年建立で、本尊のダッタトラヤは、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神が一体になったものです。

ダッタトラヤ寺院に向かい合うようにガルーダ像があります。

広場の西側にあるのは、ビムセン寺院です。本尊はビムセン、またの名をビマという「マハーバーラタ」に出てくる英雄です。ビムセンは職人や商人にとっての守護神です。

ビムセン寺院の前にある柱の上にはライオンの像が置かれています。

広場は、土産物屋やストランなのでになった古い建物で囲まれています。

広場では、山羊がのんびりとねそべっていました。インドではのら牛が目立っていましたが、ネパールでは山羊を良く見かけました。

ネパールの街角には、パティと呼ばれる休憩所があり、年寄りがのんびりとひなたぼっこををしていました。

タチュバル広場の先には、真鍮・青銅博物館があります。

その向かいにあるのは、木彫美術館があります。この建物は、かつては僧院だったといいます。

木彫美術館の建物を回り込んで路地に進んでいきます。

木彫美術館の壁にあるのが、ネワール美術の傑作である「孔雀の窓」です。

「孔雀の窓」の下はお土産屋があり、見学していると、土産物を買わされそうになります。

「孔雀の窓」の他にも凝った彫刻を見ることができました。

中央には、孔雀ではない、何かの鳥が彫りこまれています。


パイナップルかなにかの果物でしょうか。


タチュバル広場を後にし、東に向かうと、お祭りの一行とすれ違いました。

中央の人は、生け贄用なのか、水牛の頭をかついでいました。

東の門でバスに乗りましたが、その門にサラスヴァティーの像が描かれていました。日本には、弁財天として伝わることになります。

道端の野菜売り。
ネパールでは、ヒマラヤの眺めを期待していましたが、バクタブル訪問で古都のたたずまいに引き込まれました。