さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 西安 その4

2010年07月12日 | 海外旅行
興慶宮公園に続いて、空海ゆかりの青龍寺に向かいました。

青龍寺は、隋の時代に建てられた霊感寺がはじまりで、唐の時代に名前を変えました。

その後、廃寺になっていたものを、1973年に土台が発掘されたことから、再建されたものです。

細い未舗装の道の奥に、入り口がありました。



入り口の先には、庭が広がり、塔が奥に見えていました。

日本語を話すことのできる女性スタッフが説明につきました。



空海は、遣唐使の留学僧として、20年の予定で唐に渡ります。

長安の都で師事したのは、青龍寺の恵果和尚でした。



空海は、結局、2年の留学で日本に帰国し、中国大陸より日本へ真言密教をもたらします。

弘法太子として、日本全国の湧き水や温泉の期限伝説にからんでおり、山でも良く名前を見ることになります。



庭に置かれていた石像です。丸い穴は、仏教の教えを示すのでしょうか。



1982年に造られた空海記念碑です。周囲の丸い置物は、空海の教えではなく、この記念碑を鬼神した四国四県を現しているとか。



記念碑の前には空海記念堂があります。



中には、「お賽銭箱」が置かれていました。

この脇には、小部屋があり、空海の書の拓本や、筆、四国八十八箇所の零番札所の御朱印帳の販売所になっていました。団体についた説明員も、ここでの販売が目的であったことが判りました。

青龍寺は、四国八十八箇所の零番札所になっているということを初めて知りました。

わざわざ中国まで来て、四国のお寺が寄進した記念碑を見るほどのことはないなという気分でした。青龍寺を訪れるのは、日本人観光客だけとのことです。



バスに戻ると、現地ガイドが、時間があるので希望者は青龍寺の本堂を見てきたらといいました。数人が、見にいくことになりました。

その入り口。実際には、裏門のようです。



裏口から入ったようで、回り込むと、恵果空海紀念堂の前に出ました。このお堂も、日本の空海関係者によって寄進されたものです。





中には、空海(左)と恵果(右)の像が置かれていました。



カメラを向けると、ポーズを取ってくれました。



青龍寺を訪れたなら、恵果空海紀念堂を見ることは欠かせないはずで、西安の現地ガイドの案内に疑問を持つようになりました。

西安初日の観光はこれで終わり、ホテルに向かいました。
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