さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 西安 その11

2010年07月28日 | 海外旅行
華清池(かせいち)は、西安の北東約30kmの、標高1256mの驪山(りざん)の麓にあります。2700年前に発見された温泉地で、歴代の王朝によって離宮が造られてきました。

特に、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛をうたった長恨歌の舞台として有名です。



入場すると、まず展覧館が目に入ってきます。



その左手には九龍湖があります。池には、夜に行われる舞踊ショーの舞台が浮かべられていました。



池の右手には、北京の頤和園で見られる石船のような舞台も設けられていました。
唐の時代の離宮は、安六山の乱で破壊されてしまっているので、これらの建物は最近再建されたものですが、先回訪れた時よりもきれいになっていました。



九匹の龍が水を吐いていることから、九龍橋と呼ばれています。



背後に見えているのが、驪山です。ロープウェイがかかっています。



ザクロの古木です。ガイドは、玄宗皇帝お手植えのザクロとか言っていましたが、もちろんうそでしょう。



華清池では、唐の時代の浴槽が発掘されて、建物が再現されています。

まず目をひくのは、楊貴妃像です。白居易の詠った「長恨歌」を思い出しましょう。

漢皇重色思傾国 漢皇色を重んじて傾国を思ふ
御宇多年求不得 御宇多年求むれども得ず

唐の玄宗皇帝は美しい女性が好きで絶世の美女を求めていたが、皇帝になってから長年探し続けたのに見付けられなかった。

楊家有女初長成 楊家に女有り初めて長成す
養在深閨人未識 養はれて深閨に在りて人未だ識らず

楊家にいる娘もようやく一人前の女性となったが、家の奥で大切に育てられていたので、その存在は誰も知らなかった。

天生麗質難自棄 天生の麗質自ら棄て難し
一朝選在君王側 一朝選ばれて君主の側に在り

しかし天性の美貌は隠しおおせるものではなく、ある日見出されて皇帝の側で仕えることとなった。

迴眸一笑百媚生 眸を廻らして一笑すれば媚生ず
六宮粉黛無顔色 六宮粉黛顔色無し

瞳を巡らせて微笑むと何とも言えぬ艶かしさが生まれ、後宮の美女たちも平凡な女性に見えてしまうほどだった。

玄宗皇帝の統治の前半は、則天武后亡き後の乱を治め、「開元の治」と呼ばれて栄えましたが、後半は、楊貴妃の寵愛によって国は乱れます。

玄宗皇帝は、長年愛した武恵妃が亡くなった後、それに匹敵する豊満な体を持つ美女を求めます。つかえる宦官の高力士が、見つけてきたのは、玄宗の息子の寿王の後宮にいた楊玉環でした。息子の後宮からそのまま取り上げるのはまずいので、一旦道教に入れて、世俗世界の縁を切らせます。

女道士の姿で、華清池の離宮に召しだします。

春寒賜浴華清池 春寒くして浴を賜ふ華清の池
温泉水滑洗凝脂 温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ

まだ春の寒い頃、楊貴妃は華清池で、皇帝用の温泉に入ることを許された。滑らかな温泉は楊貴妃の白い肌を潤した。

侍児扶起嬌無力 侍児扶け起こすに嬌として力無し
始是新承恩沢時 始めて是新たに恩沢を承くる時

侍女が両脇からささえて温泉から出すと、楊貴妃の体からは力が抜けたようであった。これが初めて皇帝の寵愛を受ける時のことであった。

雲鬢花顔金歩揺 雲鬢花顔金の歩揺
芙蓉帳暖度春宵 芙蓉の帳暖かにして春宵度る

楊貴妃は花のような顔立ちで、豊かな黒髪には金のかんざしが揺れ、蓮の花柄の帳の中で春の一夜を玄宗と共に明かした。

春宵苦短日高起 春宵短きに苦しみ高くして起く
従此君王不早朝 従より君王早朝せず

夜は短過ぎるように感じられ、日が高く昇ってから起きるようになり、玄宗は楊貴妃と過ごすようになってから政務を疎かにするようになった。

承歓侍宴無閑暇 歓を承け宴に侍して閑暇無く
春従春遊夜専夜 春は春の遊びに従ひ夜は夜を専らにす

玄宗のお気に入りの楊貴妃は、宴を開けばどんな時にも側にいて、昼でも夜でも玄宗の相手をしていた。

後宮佳麗三千人 後宮の佳麗三千人
三千寵愛在一身 三千の寵愛一身に在り

後宮には三千人もの美女がいたのだが、玄宗の寵愛は楊貴妃一人だけに注がれた。

金屋妝成嬌侍夜 金屋妝ひ成りて嬌として夜に侍し
玉楼宴罷酔和春 玉楼宴罷みて酔ひて春に和す

黄金造りの御殿で容姿を整えた楊貴妃は夜になると玄宗の側に行き、宝玉で飾った御殿での宴が終わる頃には仲睦まじく酔いしれた。

玄宗皇帝は、楊貴妃を喜ばすため、いとこと称する楊国忠を抜擢します。いとこといっても、楊貴妃は、楊家の養女であったため血のつながりはありませんでした。楊一族が実権を握って国政は乱れ、安禄山の乱に発展していき、最後は楊貴妃の死へと続いていきます。



楊貴妃は、西施、虞美人あるいは貂蝉、王昭君と並んで、中国四大美女に数えられています。この象の顔立ちには好みが分かれるところがありますが、グラマーであったことは確かなようです。

この楊貴妃像は、現在では観光客の記念写真で人気を集めていますが、少し前には九龍池の前に置かれていました。さらに遡る1991年に初めて訪れた時は、まだ共産党が力を持っていた時代で、不道徳ということで、どこかに隠されていました。



玄宗皇帝のお風呂である蓮花湯。白大理石造りで、これは本物の遺跡です。



楊貴妃のお風呂であった海棠湯。ちょっと小ぶりです。



皇帝や妃に仕えるひとたちのお風呂であった尚食湯。



唐の太宋李以降の皇帝のお風呂であった星辰湯。



着替えと休憩をする場所であった殿宇遺基。お湯を流す床暖房が施されていました。



広場には、温泉が湧き出ています。



広場の左奥には、二つの源泉があります。



手前の源泉。



奥の源泉。



日本の温泉でも掲げられている温泉の分析表。



玄宗と楊貴妃の寝室であった飛霜殿。再建されたものです。



楊貴妃が入浴後に、この飛霞閣に上がって髪を乾かしたといいます。



園内には、夏の禹王の廟がありました。治水を行ったことで知られている古代王ですので、温泉も守備範囲にあるのかもしれません。

華清池は、以前よりも建物が整備されて、美しい観光地に変わっていました。
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