さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 西安 その3

2010年07月09日 | 海外旅行
西安で西門を見た後は、興慶宮公園に向かいました。

興慶宮は、唐代の三大宮に数えられ、その跡地に設けられた公園です。



この公園を日本人観光客が訪れるのは、阿倍仲麻呂の碑があるためです。

この碑は、奈良と西安が姉妹都市になった五周年を記念して、1978年に造られたものです。

阿倍仲麻呂は、遣唐使として中国に渡り、科挙試験にも合格して、玄宗皇帝のもとで政府の要職につきました。日本に帰国しようとするも、船は難破し、再び長安に戻りました。結局、帰国は果たせず、中国で53年を過ごした後に亡くなりました。



記念碑の片面には、次の漢詩が彫られています。

翹首望東天 首を翹げて東天を望めば
神馳奈良邊 神(こころ)は馳す 奈良の辺
三笠山頂上 三笠山頂の上
思又皎月圓 思ふ 又た皎月の円(まどか)なるを

古今和歌集にも阿倍仲麻呂の作品として収録されている「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」の詩を五言絶句の形にして詠ったものです。この歌は、帰国の際の相別の席で、王維らの前で日本語で詠ったという説もあります。





また、片面には李白の詩が彫られています。

日本晁卿辞帝都 日本の晁卿(ちょうけい)帝都を辞し
征帆一片遶蓬壺 征帆一片 蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る
明月不帰沈碧海 明月帰らず 碧海(へきかい)に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ

李白は、阿倍仲麻呂と親密な交遊関係を持っていました。晁卿(ちょうけい)とは、阿倍仲麻呂のことで、帰国のために乗った遣唐使船が遭難したという知らせを聞いて、死を悼んで詠ったものです。

外国人であった阿倍仲麻呂をその才能ゆえに重用した唐は、世界国家であったことが判ります。



興慶宮公園は、広大な敷地を持っており、中央に人工湖の興慶湖があります。



池の向こうに勤政務本樓が見えます。




彩雲閣



池の畔に、沈香亭がありました。

沈香亭は、楊貴妃が牡丹を観賞するために建てられたもので、建物の材料に沈香木が多く用いられたため、沈香亭と名付けられたといいます。手前で引き返してしまいましたが、周囲に植えられているのは牡丹でしょうか。

多くの建物が復元されていましたが、現地ガイドは、説明もせずに、阿倍仲麻呂の碑だけを見せて引き返してしまいました。
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