国立オペラ劇場の見学を終えて、次はリスト・フェレンツ記念館を目指してアンドラーシ通りを進みました。
世界遺産には「ドナウ河岸、ブタ城地区およびアンドラーシ通りを含むブタペスト」が指定されているように、この通りは歴史的な建物が並んでいます。
ただ、気温が高くなって、木陰を選んで歩く必要が出てきました。
地図を見ながら歩いてきましたが、これがリスト・フェレンツ記念館のようです。
建物に、リストの銘板が掲げられているのを確認してひと安心。
一般的にドイツ語では「フランツ・リスト」と呼ばれますが、母国のハンガリー語では「リスト・フェレンツ」となります。ハンガリーでは、日本と同じ姓・名前の順番になります。
リストがかつて住んだ家を博物館としたものです。
一階のクローク前で布製のオーバーシューズを履いてから二階の受付に進みます。
記念館は、三部屋の狭いものですが、リストが使ったピアノや家具、身の回り品が展示されています。
ピアノが組み込まれたデスク。作曲をしながら、弾いて確かめたのでしょうか。
入場料の他に、写真撮影料も払ったので、写真は何枚も撮りました。
リストの手のブロンズ像
リストは、その超絶技巧から、活躍当時には「指が6本あるのではないか」という噂がまともに信じられていたといいます。指は5本ですが、10度の音程も軽々と抑えることができたといいます。もっともラフマニノフさらに上で、身長2mの巨体のために12度の音程を抑えることができる手を持っていたといいます。いずれにせよ、リストは、史上最強の技巧派ピアニストであることは確かでしょうね。
リストの肖像画。
今年はリスト生誕200年ということで、多くの注目盤が出ていますが、「超絶技巧練習曲」のような技巧曲よりは「巡礼の年」といった内省的な曲の方を聞く機会が多くなっています。
リストは「ピアノの魔術師」と呼ばれる超絶技巧の持ち主で、当時は女性の失神者が続出するほどのアイドル的存在だったといいます。そのおかげで、多くの女性関係を持っています。
コジマ・フォン・ビューローの肖像画
リストと愛人関係にあったマリー・ダグー伯爵夫人との間に生まれた娘。指揮者ハンス・フォン・ビューローと結婚し、二児を産むも、リヒャルト・ワーグナーと知り合うと愛し合うようになって娘を産み、スイスのルツェルン郊外トリプシェンで同棲生活をはじめます。後に、ハンス・フォン・ビューローとは離婚し、ワーグナーと正式に結婚します。ワーグナー亡き後は、バイロイト音楽祭を取り仕切って、音楽界に多大な影響を与え続けます。
この肖像画を見ると、確かにリストと似た顔をしていますね。ただ、美人というよりは、男勝りという印象を受けます。
館内には幾つものピアノが置かれています。これは、比較的大型のもの。
ピアノ本体よりも、その上の装飾品に目が引く付けられます。中央にリストの肖像がはめこまれています。
ベーゼンドルファー社製のピアノ
リストは、力を込めた演奏をしたため、演奏中にピアノの弦が切れたりハンマーが壊れたりすることがたびたびだったそうです。このベーゼンドルファーは、リストの演奏に耐えたことから名前が広まったといいます。
ベーゼンドルファーのホームページを見ると、「リスト生誕200年記念モデル」が世界限定25台で販売されていました。「リストに “私の期待を超えるほどの完璧さを持っている” と絶賛され、生涯にわたって愛用されたベーゼンドルファー」と紹介されています。
これはオルガンですね。
隣の部屋でピアノの演奏会が行われており、リストの曲が流れてきていました。
リスト・フェレンツ記念館の見学を終えて、アンドラーシ通りを戻りました。オクトゴンの交差点から南東に一ブロック進むと、エルジェーベト通りが始まります。
この一帯は商店街になっています。
エルジェーベト通りの標識
アンドラーシ通りに戻ります。
アンドラーシ通りの起点近くには、エルジェーベト広場があります。
エルジェーベト広場の標識
シシーこと皇妃エルジェーベトは、橋や通り、広場に名前が用いられており、ハンガリー国民に愛されていることが判ります。
ヴルシュマルティ広場に出ると、ここには、カフェ・ジェルボーがあります。
皇妃エルジェーベトやリストも訪れたことのある1858年創業のブタペストを代表するカフェです。
あまりに暑いため、客は、室内にはおらず、外のテラス席ばかりにいました。
ケースをのぞいて、ケーキを選んで指さして、紙切れに名前を書いてもらいます。外のテラス席に座ったところで、紙を渡して、飲み物も注文。
丁度、ツアー仲間と出会ったので、二種のケーキを頼んで味見をすることになりました。
右が、有名なドボシュトルテ。スポンジとチョコクリームを幾層も重ねて、上にカラメルを載せたもの。フランツ・ヨーゼフ1世の好物でもあったといいます。
左は、チョコレートケーキ。ザッハートルテとは少し味が違います。
甘いもの好きではありますが、異常な暑さの中を歩いていたので、正直言ってケーキよりはアイスクリームの方が食べたい気分でありました。
広場では、水を入れたグラスをたたいて演奏を行っていました。ヨーロッパの街では、通りや広場を歩けば、どこからか音楽が流れてきます。
最後に集合場所近くのくさり橋を見学しました。
たもとに置かれたライオン像。
ドナウ川には船が停泊していますが、夕食後に遊覧船に乗ることになります。
世界遺産には「ドナウ河岸、ブタ城地区およびアンドラーシ通りを含むブタペスト」が指定されているように、この通りは歴史的な建物が並んでいます。
ただ、気温が高くなって、木陰を選んで歩く必要が出てきました。
地図を見ながら歩いてきましたが、これがリスト・フェレンツ記念館のようです。
建物に、リストの銘板が掲げられているのを確認してひと安心。
一般的にドイツ語では「フランツ・リスト」と呼ばれますが、母国のハンガリー語では「リスト・フェレンツ」となります。ハンガリーでは、日本と同じ姓・名前の順番になります。
リストがかつて住んだ家を博物館としたものです。
一階のクローク前で布製のオーバーシューズを履いてから二階の受付に進みます。
記念館は、三部屋の狭いものですが、リストが使ったピアノや家具、身の回り品が展示されています。
ピアノが組み込まれたデスク。作曲をしながら、弾いて確かめたのでしょうか。
入場料の他に、写真撮影料も払ったので、写真は何枚も撮りました。
リストの手のブロンズ像
リストは、その超絶技巧から、活躍当時には「指が6本あるのではないか」という噂がまともに信じられていたといいます。指は5本ですが、10度の音程も軽々と抑えることができたといいます。もっともラフマニノフさらに上で、身長2mの巨体のために12度の音程を抑えることができる手を持っていたといいます。いずれにせよ、リストは、史上最強の技巧派ピアニストであることは確かでしょうね。
リストの肖像画。
今年はリスト生誕200年ということで、多くの注目盤が出ていますが、「超絶技巧練習曲」のような技巧曲よりは「巡礼の年」といった内省的な曲の方を聞く機会が多くなっています。
リストは「ピアノの魔術師」と呼ばれる超絶技巧の持ち主で、当時は女性の失神者が続出するほどのアイドル的存在だったといいます。そのおかげで、多くの女性関係を持っています。
コジマ・フォン・ビューローの肖像画
リストと愛人関係にあったマリー・ダグー伯爵夫人との間に生まれた娘。指揮者ハンス・フォン・ビューローと結婚し、二児を産むも、リヒャルト・ワーグナーと知り合うと愛し合うようになって娘を産み、スイスのルツェルン郊外トリプシェンで同棲生活をはじめます。後に、ハンス・フォン・ビューローとは離婚し、ワーグナーと正式に結婚します。ワーグナー亡き後は、バイロイト音楽祭を取り仕切って、音楽界に多大な影響を与え続けます。
この肖像画を見ると、確かにリストと似た顔をしていますね。ただ、美人というよりは、男勝りという印象を受けます。
館内には幾つものピアノが置かれています。これは、比較的大型のもの。
ピアノ本体よりも、その上の装飾品に目が引く付けられます。中央にリストの肖像がはめこまれています。
ベーゼンドルファー社製のピアノ
リストは、力を込めた演奏をしたため、演奏中にピアノの弦が切れたりハンマーが壊れたりすることがたびたびだったそうです。このベーゼンドルファーは、リストの演奏に耐えたことから名前が広まったといいます。
ベーゼンドルファーのホームページを見ると、「リスト生誕200年記念モデル」が世界限定25台で販売されていました。「リストに “私の期待を超えるほどの完璧さを持っている” と絶賛され、生涯にわたって愛用されたベーゼンドルファー」と紹介されています。
これはオルガンですね。
隣の部屋でピアノの演奏会が行われており、リストの曲が流れてきていました。
リスト・フェレンツ記念館の見学を終えて、アンドラーシ通りを戻りました。オクトゴンの交差点から南東に一ブロック進むと、エルジェーベト通りが始まります。
この一帯は商店街になっています。
エルジェーベト通りの標識
アンドラーシ通りに戻ります。
アンドラーシ通りの起点近くには、エルジェーベト広場があります。
エルジェーベト広場の標識
シシーこと皇妃エルジェーベトは、橋や通り、広場に名前が用いられており、ハンガリー国民に愛されていることが判ります。
ヴルシュマルティ広場に出ると、ここには、カフェ・ジェルボーがあります。
皇妃エルジェーベトやリストも訪れたことのある1858年創業のブタペストを代表するカフェです。
あまりに暑いため、客は、室内にはおらず、外のテラス席ばかりにいました。
ケースをのぞいて、ケーキを選んで指さして、紙切れに名前を書いてもらいます。外のテラス席に座ったところで、紙を渡して、飲み物も注文。
丁度、ツアー仲間と出会ったので、二種のケーキを頼んで味見をすることになりました。
右が、有名なドボシュトルテ。スポンジとチョコクリームを幾層も重ねて、上にカラメルを載せたもの。フランツ・ヨーゼフ1世の好物でもあったといいます。
左は、チョコレートケーキ。ザッハートルテとは少し味が違います。
甘いもの好きではありますが、異常な暑さの中を歩いていたので、正直言ってケーキよりはアイスクリームの方が食べたい気分でありました。
広場では、水を入れたグラスをたたいて演奏を行っていました。ヨーロッパの街では、通りや広場を歩けば、どこからか音楽が流れてきます。
最後に集合場所近くのくさり橋を見学しました。
たもとに置かれたライオン像。
ドナウ川には船が停泊していますが、夕食後に遊覧船に乗ることになります。