昼食を終えた後の2時半に、くさり橋のたもとで一旦解散になりました。6時半に再集合となるので、その間の4時間をどのように過ごすか考え込むことになりました。
3時から国立オペラ劇場の見学ツアーが行われるので、いそぐことになりました。昼食でビールを飲んだばかりなので、酔いが一気に回りました。なんとか、10分ほど前に劇場に到着しました。
ハンガリー国立オペラ劇場は、1884年に完成したネオルネッサンス様式の建物です。古い建物が連なるアンドラーシ通りでもひと際目立つ建物になっています。
建物の左手には劇場の創立者のエルケル・フェレンツの像が置かれています。
また右手には、リスト・フェレンツの像が置かれています。
入り口を入ったところのロビーは、見学ツアーを待つ人で大混雑になっていました。
正面に向かって左手奥にある売店で、見学ツアーの切符と、写真撮影、ミニコンサートの切符を買いました。
ガイドブックでは、各国語のツアーが行われるものの、日本語は無いように書かれていましたが、日本語ガイドが行われていました。
日の丸を持ったガイドに従って階上へ。趣のある階段です。
重厚な造りで、ウィーンの国立歌劇場に負けないように造られたということがうかがえます。
まずは、飲み物も売られる休憩ホールに案内されました。
日本の劇場と違って、海外のオペラ劇場の幕間には、シャンペンやワイン、ビールを飲みながら団欒を楽しみます。ただ、後で使わせてもらったトイレは数が少ないので、うっかり飲むととんでもないことになりそうです。
シャンデリアが豪華な雰囲気を高めています。
テラスとの間の回廊は、喫煙コーナーのようです。
テラスに出てみました。
向かいの建物も古そうです。
壁も彫刻で飾られています。
貴賓席の正面バルコニー入り口
賓客用のロビー
フランツ・ヨージェフ皇帝夫妻専用の階段。
一般客の入る正面入り口の他に、市内と反対側に天井桟敷用の入り口、市内に近い側にこの皇帝夫妻専用の入り口があります。
皇妃エルジェーベト(シシー)が使っていたことから、この階段を見たいと思っていました。
階段上は、このオペラ劇場に関係した音楽家の資料が置かれていました。
劇場の創立者のエルケル・フェレンツの像。
エルケル・フェレンツは、ハンガリー国歌「賛称」や国民オペラを作曲していますが、一般には知られていませんね。
リスト・フェレンツの像
リストは、史上最強のピアニストであり、作曲家であるとともに、スメタナをはじめとする音楽家の援助も行っています。この後、リスト記念館を訪れましたので、詳しくはそちらで。
グスタフ・マーラー
交響曲の分野では、現在最も人気のある作曲家でしょう。2010年は生誕150周年、今年2011年は没後100周年のマーラーイヤーになっています。
マーラーは、ウィーン・フィルハーモニーの指揮者として知られていますが、経歴の初期には、この王立歌劇場の芸術監督を務めて、この歌劇場付属のオーケストラであるブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって交響曲醍1番を初演しています。ただ、この初演の評判は良くなかったようで、この後も改定を繰り返していくことになります。
マーラーの娘のアンナ・ユスティーネによる指揮者クレンペラーの彫刻
マーラーは、ウィーンの社交界の花形であったアルマと結婚しますが、恋多き彼女の愛をつなぎとめるために悩み、その苦悩から交響曲第10番を生み出します。アルマは、クリムト、ツェムリンスキー、、ココシュカなど、世紀末を代表する芸術家と関係を持ち、ファム・ファタルを地でいった女性です。その娘のアンナ・ユスティーネも、生涯に5回結婚した華麗な恋愛遍歴を持ちました。アンナ・ユスティーネは、彫刻家として活躍したとされていますが、その作品を見たのは初めてでした。
クレンペラーは、22才でマーラーの推薦を受けてプラハのドイツ歌劇場の指揮者になったことから、マーラーに大変な恩義を感じていたといいます。第二次大戦後にこの国立歌劇場の監督を務めますが、共産党政権と衝突して辞任することになります。
この像がブダペスト時代に造られたものなら、62才頃のものであると思われます。
名歌手の間というべき大広間。
過去の名歌手の像が飾られています。が、中央はリゴレットのマントヴァ公爵で、右はイゾルデでしょうか。左は判りません。
ハンガリーの生んだ作曲家のバルトークの像。
バルトークのバレエ「かかし王子」、」、歌劇「青ひげ公の城」がこの劇場で初演されています。
コダーイの像
歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」が、この劇場で初演されています。
舞台正面に向かって左最前列のボックス席は、シシーがお忍びで通ったことから、「シシィ・ロージェ」と呼ばれます。
このボックス席からは舞台は良く見えず、むしろ自分が客席から見えるようにこの席を選んだとも言われています。
一般のボックス席入り口のある回廊
ボックス席から見た舞台
客席から見た、「シシィ・ロージェ」
「シシィ・ロージェ」と向かい合うボックス席。このような席にシシーが姿を見せていたわけです。
これで、劇場内の見学は終わり、最後にミニ・コンサートということで、希望者は最初の休憩ホールに通されました。
現れた女性歌手が、プッチーニのジャンニ・スキッキから「私のお父さん」を歌いだしました。
間近で聞くオペラ歌手の歌声は、なかなか経験できないものでした。
続いて、椿姫から「乾杯の歌」
間奏の途中に、観客をつれだして踊るサービスも
二曲でしたが、楽しむことができました。
4時からの見学ツアーでは、男性が歌ったとのことでした。
この見学ツアーは、通常のオペラ鑑賞の入場では経験できないので、それとは別に体験することをお勧めします。
3時から国立オペラ劇場の見学ツアーが行われるので、いそぐことになりました。昼食でビールを飲んだばかりなので、酔いが一気に回りました。なんとか、10分ほど前に劇場に到着しました。
ハンガリー国立オペラ劇場は、1884年に完成したネオルネッサンス様式の建物です。古い建物が連なるアンドラーシ通りでもひと際目立つ建物になっています。
建物の左手には劇場の創立者のエルケル・フェレンツの像が置かれています。
また右手には、リスト・フェレンツの像が置かれています。
入り口を入ったところのロビーは、見学ツアーを待つ人で大混雑になっていました。
正面に向かって左手奥にある売店で、見学ツアーの切符と、写真撮影、ミニコンサートの切符を買いました。
ガイドブックでは、各国語のツアーが行われるものの、日本語は無いように書かれていましたが、日本語ガイドが行われていました。
日の丸を持ったガイドに従って階上へ。趣のある階段です。
重厚な造りで、ウィーンの国立歌劇場に負けないように造られたということがうかがえます。
まずは、飲み物も売られる休憩ホールに案内されました。
日本の劇場と違って、海外のオペラ劇場の幕間には、シャンペンやワイン、ビールを飲みながら団欒を楽しみます。ただ、後で使わせてもらったトイレは数が少ないので、うっかり飲むととんでもないことになりそうです。
シャンデリアが豪華な雰囲気を高めています。
テラスとの間の回廊は、喫煙コーナーのようです。
テラスに出てみました。
向かいの建物も古そうです。
壁も彫刻で飾られています。
貴賓席の正面バルコニー入り口
賓客用のロビー
フランツ・ヨージェフ皇帝夫妻専用の階段。
一般客の入る正面入り口の他に、市内と反対側に天井桟敷用の入り口、市内に近い側にこの皇帝夫妻専用の入り口があります。
皇妃エルジェーベト(シシー)が使っていたことから、この階段を見たいと思っていました。
階段上は、このオペラ劇場に関係した音楽家の資料が置かれていました。
劇場の創立者のエルケル・フェレンツの像。
エルケル・フェレンツは、ハンガリー国歌「賛称」や国民オペラを作曲していますが、一般には知られていませんね。
リスト・フェレンツの像
リストは、史上最強のピアニストであり、作曲家であるとともに、スメタナをはじめとする音楽家の援助も行っています。この後、リスト記念館を訪れましたので、詳しくはそちらで。
グスタフ・マーラー
交響曲の分野では、現在最も人気のある作曲家でしょう。2010年は生誕150周年、今年2011年は没後100周年のマーラーイヤーになっています。
マーラーは、ウィーン・フィルハーモニーの指揮者として知られていますが、経歴の初期には、この王立歌劇場の芸術監督を務めて、この歌劇場付属のオーケストラであるブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって交響曲醍1番を初演しています。ただ、この初演の評判は良くなかったようで、この後も改定を繰り返していくことになります。
マーラーの娘のアンナ・ユスティーネによる指揮者クレンペラーの彫刻
マーラーは、ウィーンの社交界の花形であったアルマと結婚しますが、恋多き彼女の愛をつなぎとめるために悩み、その苦悩から交響曲第10番を生み出します。アルマは、クリムト、ツェムリンスキー、、ココシュカなど、世紀末を代表する芸術家と関係を持ち、ファム・ファタルを地でいった女性です。その娘のアンナ・ユスティーネも、生涯に5回結婚した華麗な恋愛遍歴を持ちました。アンナ・ユスティーネは、彫刻家として活躍したとされていますが、その作品を見たのは初めてでした。
クレンペラーは、22才でマーラーの推薦を受けてプラハのドイツ歌劇場の指揮者になったことから、マーラーに大変な恩義を感じていたといいます。第二次大戦後にこの国立歌劇場の監督を務めますが、共産党政権と衝突して辞任することになります。
この像がブダペスト時代に造られたものなら、62才頃のものであると思われます。
名歌手の間というべき大広間。
過去の名歌手の像が飾られています。が、中央はリゴレットのマントヴァ公爵で、右はイゾルデでしょうか。左は判りません。
ハンガリーの生んだ作曲家のバルトークの像。
バルトークのバレエ「かかし王子」、」、歌劇「青ひげ公の城」がこの劇場で初演されています。
コダーイの像
歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」が、この劇場で初演されています。
舞台正面に向かって左最前列のボックス席は、シシーがお忍びで通ったことから、「シシィ・ロージェ」と呼ばれます。
このボックス席からは舞台は良く見えず、むしろ自分が客席から見えるようにこの席を選んだとも言われています。
一般のボックス席入り口のある回廊
ボックス席から見た舞台
客席から見た、「シシィ・ロージェ」
「シシィ・ロージェ」と向かい合うボックス席。このような席にシシーが姿を見せていたわけです。
これで、劇場内の見学は終わり、最後にミニ・コンサートということで、希望者は最初の休憩ホールに通されました。
現れた女性歌手が、プッチーニのジャンニ・スキッキから「私のお父さん」を歌いだしました。
間近で聞くオペラ歌手の歌声は、なかなか経験できないものでした。
続いて、椿姫から「乾杯の歌」
間奏の途中に、観客をつれだして踊るサービスも
二曲でしたが、楽しむことができました。
4時からの見学ツアーでは、男性が歌ったとのことでした。
この見学ツアーは、通常のオペラ鑑賞の入場では経験できないので、それとは別に体験することをお勧めします。