さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 カミナル・フユ遺跡 その1

2018年06月14日 | 海外旅行
グアテマラ滞在最終日、チチカステナンゴを出発し、グアテマラ・シティ郊外に戻ったところで、カミナル・フユ遺跡を見学しました。

遺跡公園として整備されており、草地の中に土盛が点在していました。

現在有名になっているマヤ遺跡の多くは古典期(250~900年)の物ですが、カミナル・フユ遺跡の歴史は、先古典期の紀元前900年ころに遡り、紀元前4世紀から紀元後6世紀という極めて長い期間栄えました。



最初に、入口脇の展示場に入りました。



展示場手前には石碑が置かれていました。マヤの王を描いた最も古い石碑と言われています。これはレプリカで、本物はグアテマラ・シテイの国立考古学民俗学博物館で見学することになりましたので、説明は後ほど。



この展示場も日本の援助で造られました。



展示場内部。



カミナル・フユ遺跡の復元模型。



先古典期からの各地層から出土品が発掘されていることを示す模型です。



展示品の数は少ないですが、面白い出土品が置かれていました。



ハナグマを現したものでしょう。日本ならタヌキになったところでしょう。



彩色土器。



カミナル・フユでは、導水設備が整備されていたようで、これはその導水管。



黒曜石の石器。



マヤ族のお香。



展示場を出て、発掘現場に向かいました。



マヤ遺跡というと石造りの建物を思い浮かべますが、カミナル・フユ遺跡では日干し煉瓦が用いられていました。



マヤアーチも見られます。



テオティワカンのタロータブレロ様式が見られます。タルータブレロ様式は、タルーと呼ばれる斜面部分の基壇と、タブレロと呼ばれる平坦な基壇を組み合わせた建築様式です。


カミナルフユが、先古典期末期に衰退した後に復活したのは、当時隆盛したテオティワカンとの交易が指摘されています。



別の入口から見学しました。



異なる時代に建物が積み重ねられたため、構造が判り難くなっています。





カミナルフユ遺跡の周辺には市街地が迫っており、遺跡のかなりの部分が失われてしまっています。また、遺跡は湖を取り巻くように広がっていたようです。



遺跡からもアグア火山を良く眺めることができました。



カミナル・フユ遺跡は、現在でもマヤ族の礼拝所になっており、所々で礼拝している人がいました。



マヤ族が神聖な木とするセイバの木は、表面が滑らかな大木ですが、若い木は棘だらけになっていました。



マヤ族の礼拝を行なうための香を焚く台が設けられていました。



お香を積み上げて礼拝の準備をしていました。



幾つもの材料を積み上げて完成したお香。脇には、礼拝する民族衣装の男女が待機していましたが、そちらは撮影禁止。



もう一か所、発掘現場がありました。



周囲には石碑が並んでいました。



ここは発掘中のようで、構造もはっきりしていませんでした。

カミナル・フユ遺跡は、日干し煉瓦を使っていたために、現在では建物の形がほとんど失われてしまっているのは残念でした。ただ、国立考古学民俗学博物館で出土品を見ると、独自の文化を発展させていたことが判りました。
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