おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

じいさんのこと(前編)

2017-01-19 19:16:32 | 日記

【今日も 昔ばなし】

母方の爺さんは明治35年生まれ。もちろん死んでいる。生きていれば115歳だ。

この爺さんの話をする。

爺さんはワシが物心ついたときは50代だった。なのにずいぶんなジジイであった。

日本手拭いで頬かむりして、どてらにくるまって日がな一日中日向ぼっこしていた。

60の還暦のお祝いの時を覚えているが、今にもあっちに行きそうなヨイヨイであった。

 

爺さんは普段は小心者で、いうべきことも言えないような人だが、ひとたび酒が入ると豹変する。ろくでもない酒飲みである。

漁村市中の酒屋にたぶん嫌われていたんじゃないかなあと想像する。

生まれが寅年で、名前が寅吉とくればトラさん、川端は川のほとりに屋敷があったから「川端のトラさん」と言えば知らぬ人はいないというほどの嫌な酒飲み

爺さんの連れ合い(つまりは母方の祖母ね)や、子どもたち(つまり伯父・伯母たちね)も一緒に暮らしていくためには相当な忍耐力が必要であっただろう。

爺さん、呑んで相手に絡んで喧嘩したり、酔いつぶれて自分の馬に引っ張られて帰宅したりした。喧嘩の度に家人は謝り、引き取りに行ったのである。

 

この爺さんにはワシは非常に大事にされた。

母方とはいっても家が近所だったこともあり、ワシは「この家で生まれた」のが誇りで、子どもながらに会う人ごとに「僕はここで生まれた」と主張していたが、聞いた大人は「それがどうした」と思っていたのかもしれない。

(この時代は病院で出産するのではなく、自分ちにお産婆さんが出張して来て生んだのが普通だ。よくTVドラマでやってるから知っているだろう。)

 

ワシの母も常に外へ小遣い稼ぎに出ていたから、ワシはいつも爺さんの家にいたので滞在時間は自分ちよりも段違いに長かったのだ。

もっとも爺さんだけではなくてその子供たちも大勢いて、今考えると巨大家族の家で赤ん坊の頃からワシは爺さんの家族にかわいがられて大きくなったのだ。

そのお陰でワシは素直ないい子になったのだ。と自画自賛。

 

爺さんと風呂に入ると、爺さんちだけの風習かもしれないが、手ぬぐいを湯船に漬けるのが普通で、その手ぬぐいでなんと口の中まで洗ってくれたのだ。

今考えるとキッタネエ話だが家じゅうの者がそうしていたらしい。だから別に普通。

そのお陰か結婚までろくすっぽ歯など磨かなかったワシだが(結婚後はさすがに毎日磨くようになったから、その良い習慣は連れ合いのお陰だ)

歯医者と縁遠く、今でも歯(だけ)は丈夫である。この調子だと80歳で20本の目標はらくらくクリアしそうではある。

 

ワシが大学生のころ爺さんはすでにヨイヨイなのだが、一度だけ爺さんのこれまでたどった人生について尋ねてみた。

これが簡単だが面白い体験をしていたのであった。

続く

 


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