MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

『その話何度も聞いたし…』

2009-12-06 10:45:42 | 科学

「その話、前にも聞いたよ」

なかなか言えないものである。

相手は最高のスクープだと言わんばかりに

雄弁に語っているのだから

しかし、かく言うワタクシは、同じ話を同じ人に

繰り返し話すなんてそんなアホなことするわけない…わけない。

たぶん相当やらかしている。

聞かされる相手は戸惑いを感じるに違いない。

この人、認知症が始まった?とも思われるかも。

が、こういったヘマが、必ずしも認知症によるものではなく、

人間の記憶の生理的な現象であるというのである。

そんな研究結果が最近報告された。

121日付 New York Times 電子版

Story? Unforgettable. The Audience? Often Not. 話の内容は忘れないけど、話した相手は?

Destinationmemory

 もし我々の話に笑ってくれるような友人がいたとして、話を聞くのが二回目だったとしてもそれを楽しんでくれたとすればそれは良い友人だろう。しかし、聞くのが三回目となる話を聞いて歓喜のあまり息を飲むような人がいるとすれば、その人はきっとそういうふりをしているのだろう。あるいはそれが親戚であるとか:かわいそうな甥のウィルやエミリーおばさんは休日の食卓に拘束され、丁寧な態度で接しながら、話の落ちがいつも同じ無限ループに生活が奪われるという恐怖に身ぶるいしそうな自分を隠しているに違いない。
医学雑誌 Psychological Science に発表された新しい研究によれば、そういった事実すべてが非合理的な恐怖というわけではないという。
「高齢者だけでなくすべての年代の人が『この話を前にしていたら私を止めてください』と言うのを聞くことがあるでしょう」と、トロント市にある Rotman Research Institute の博士研究員である Nigel Gopie 氏は言う。彼はこの雑誌の最新号にこの種の記憶力の衰えについて論文を載せている。
「私たちはしばしば、事柄を誰に話したかを覚えておくのがむずかしいことがあり、明らかにそれは早期に始まります」
これまでの長期にわたる記憶の研究で、心理学者は短期記憶と長期記憶の間に重要な区別化を行ってきた。彼らは、顔や語彙などに関する顕在記憶と、運転技術に関する潜在記憶との間の重要な違いを実証してきた。彼らはまた、自伝的記憶、虚偽記憶、そしていわゆる情報源記憶(事実をどこで知ったか、ラジオからか、書物からか、職場の同僚からか、はたまた井戸端会議からか、を思い出す能力)について何百もの研究を報告している。
しかし、Gopie 博士や彼の共同研究者であるオンタリオ州 University of Waterloo の Colin M MacLeod 氏らが destination memory (MrK 注:『送り先記憶』と訳してみた)と呼ぶ記憶、つまり誰の耳に情報がたどりついたかについての記憶についてはほとんど注目されてこなかった。記憶された情報のソース(それを読んだのはニュースサイトの“The Onion” だったか?それとも日刊紙だったか?)がきわめて重要であるのと同じように、その情報の届け先というのも重要なのである。私たちの話、ジョーク、ゴシップなどは自分たちの社会的アイデンティティーの重要な部分を形作るものであると、心理学者は言う。同じことを繰り返して言うことは単にきまりが悪いだけではない。外交官も、嘘つきも、あるいはそれが個人的なものであれ、職業的なものであれ、秘密を守ろうとしている他のすべての人々にとって不利になりうるのだ。
「人は単純に情報源を監視する慣習を身に着けていて、『それはどこからのものか?』と自問したり人に聞いたりしていると思います」と、University of Toronto の心理学者、Morris Moscovitch 氏は言う。「その一方、誰に話したかについてフィードバックを得ることはまれなのです」
Gopie、MacLeod の両医師による今回の主な発見は送り先記憶とは比較的弱いものであるということであり、ばつが悪かったり迷惑となるような社会的相互作用を説明するのに役立つ。一つの実験では、60名の University of Waterloo の学生に50の無意味な情報(エビの心臓は頭部にあるとか、男性の8%が色覚異常である、など)を、マドンナ、ウェイン・グレツキー、あるいはオプラ・ウィンフリーなどの50人の有名人の顔と結びつけて考えさせた。学生の半分はそれぞれの情報をその有名人の写真がコンピュータ画面に現れた時に声に出して読んでもらうことで一つの顔に向かって『話しかけ』た。残りの半分にはその情報を黙読してもらい、その直後に有名人を見せられた。
それから学生たちには記憶テストが行われた。彼らは顔‐情報のペアを選択する。それらは情報を知ることで覚えた顔と、情報を声に出して読むことで覚えた顔である。模擬的に情報を話しかける作業を行った学生は、有名人を見て情報を与えられた学生に較べて16%成績が悪かった。外に出してゆく情報は、入ってくる情報に較べて、環境状況(すなわち人物)と(記憶として)一体化しにくいと、この研究の著者らは結論づけている。
注意についてこれまで知られていることを考えるとこれは道理にかなっている、と心理学者は言う。すなわち注意が限定されてしまうという事実である。たとえ些細な情報であろうと、情報を伝えようとする人は、あくまで伝えられていることの方への監視に対して精神的能力を配するだろう。もう一つの研究では、Gopie、MacLeod 両医師は有名人の顔の訓練を繰り返したが、ここでは一つだけ大きな違いをつけておいた。今回は学生たちが有名人に模擬的に話す事実を個人的なものとした(『私の星座は蟹座です』など)。彼らの送り先記憶は有意に悪くなるという結果となった。
「ただし、深刻な個人的な不安などのきわめて感情に支配されるような個人的情報ではこの状況は完全に逆転してしまうのかもしれません」と Gophie 医師は言う。「言い換えれば、そのような場合、人は語っている相手をきわめて意識するということです。私たちはそのことにまだ気づいていないだけなのです」
それにもかかわらず今回の結果は、自分の気晴らしに話したい複雑で内容豊かで詳細な話のほとんどで「その話はすっかり聞いた」と言われて人にあきれられる目に遭ってしまう危険性が高いことを示唆している。
自分が誰に何を話したかについての記憶が消去される傾向は実際のところ健全な記憶の働きを反映している。パスワードを変えたり古い友人の電話番号を新しいものに置き換えたりするとき、脳は期限切れの数字を積極的に削除しようとするという証拠を心理学者はつかんでいる。古い番号は競合記憶であり混乱する可能性があるからだ。
繰り返される話が常にばつが悪く社会的に不必要であるというわけではない。もしそれらが十分頻回に繰り返されれば、それらは慣習的なものとなり、あるいは十分時間が経過すれば口述歴史になりうる、と Gobie 医師は言う。一方、誰が何を聞くかということを最も重用してきた人たち(セールスマンやロビイスト)は彼らが誰に話しかけているかをしばしば積極的に意識するようにしていることが言われている。「ゲイル、レーザープリンターに特別価格をつけていること、お話ししましたっけ?」それは一種のご機嫌とりかもしれないが、その情報がどこに向かっているかをきちんと把握しておく一つの方法となるのかもしれない。
それはまさにこの二人の研究者が自分たちの論文で報告した最後の実験で見出したことなのである。聞き手の名前を口に出すことで送り先記憶の確度を高めていたのである(「オプラ・ウィンフリー!米国の郵便事業は世界の郵便業務の40%を扱っているんだ!」というふうに)。
もし今後の研究で送り先記憶がきわめて弱いということが明確にされれば、次のステップはこの記憶が減弱する危険が、いつ、どのような人間において最も高まるのかを見出すことへと移ってゆくことになる。送り先記憶に対する理解が進むことで、たとえば年齢に関係した記憶障害を早期に医師たちが発見するのに役立つ可能性がある。それは記憶がどのように機能するかについてのある種のモデルとも関係するかもしれない。
しかし、それらすべては、繰り返し話を語る最中に不意打ちを食らう休日の談話家を救ってくれるものではない。彼、または彼女がこっそりと話の内容を変えるか、口述歴史としてそれをごまかすことができない限り…。

病気ではないから、

それが本来の脳のあり方だから心配ない、と言われても

できればばつの悪い思いはしたくない。

『小公女セイラ』のセイラ(誰だよ)ではないが、

一文話すたびに必ず相手の呼び名を言葉に出すように

心がけてみたいものだ。

「ありがとうございます、院長先生」

「女の子は誰でもプリンセスです、院長先生」

てな感じ?(勝手にやりなさいよ)

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