MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

愛情ゆえの治療拒否

2011-04-17 11:58:32 | 健康・病気

障害のあるわが子が難病に襲われるという
絶望の淵で下した判断が罪を問われる結果を招いたとしたら、
その情状はどこまで酌量されるべきなのだろうか?

4月14日付 Time.com より

Is It Murder If a Mom Withholds Cancer Treatment From Her Child? もし母親が自分の子供のがん治療を拒否したとしたらそれは殺人になるのだろうか?

Isitmurmur

By Bonnie Rochman

 あなたが自閉症で話すことのできない発達障害のある息子をかかえ、うつ病に悩まされているシングル・マザーだと想像してみてください。もしその子ががんと診断されたなら、あなたはどうしますか?
 マサチューセッツ州在住の母親 Kristen LaBrie は処方された息子の化学療法を拒絶することを選択した。彼女の息子 Jeremy が9才で亡くなって2年、火曜日に上級裁判所の陪審は故意の殺人で有罪を宣告した。
 Jeremy が 2006 年10月、7才の時、非ホジキンリンパ腫であることを LaBrie は知った。彼女は悩むことなく化学療法を行わなかったわけではない。彼女は毒性の強い薬で彼が苦しむのを見るのに耐えられなかったので、治療を行わなかったと証言した。しかしそれによって彼の病気が白血病に進行することになったのは間違いない。
 殺人罪に加え、LaBrie 38才は、障害者に対する虐待、ならびに小児に対する事実上の傷害と認識しながら小児を危険にさらしたことで危害を及ぼしたとして有罪判決を受けた。
 正義は果たされたのだろうか?簡単にはわからない。確かに障害児には権利がある。しかし、母親にもある。そして LaBrie には十分なサポートがなされてなかったようである。健康な子供のシングルマザーでいることも十分に厳しいことである。さらに自閉症や意思疎通のできない子供という要因はずっと事態を困難にしている。これに非ホジキンリンパ腫が加わるとなるとその重荷はすさまじいものとなる。
 「これは私たちが問題視すべきケースの一つです。どんな尺度で私たちは親に責任を持たせるべきでしょうか?」Jones Hopkins University の Berman Institute of Bioethics の看護倫理学者 Cynda Rushton 氏は言う。彼女は同大学の小児病院で、小児の緩和ケアプログラムを指導している。「一方で、癌の治療を続けることが長い目でみて子供にとって果たして有益かどうか迷うようなそういった状況下にある親を想像することはできます。疾病が治療できるからといって、それが治癒し得ることを意味しないのです。彼女はこう考えていたのかもしれない。この治療を行うことで子供を傷つけてしまうのではないかと」
 ボストンの弁護士 J.W. Camey Jr 氏は、LaBrie のケースは LaBrie の主治医の役割にも注目しておくべきであり、LaBrie が治療に従おうとしなかったことが明らかになった時点でなぜすぐに彼らが関与しなかったのかを問題視すべきだったと、Boston Globe 紙に語っている。
 「自閉症で話すことのできない発達障害のある息子と向き合うことはシングル・マザーにとってあまりに過酷なこととなる可能性があります」と、Carney 氏は言う。「この上、癌の診断、さらに子供に一層苦痛を与える医療を母親が受けさせる必要性が加わることは残酷なことです」
 親は自由に治療を拒否することができるのだろうか?裁判所によれば、それは許されないことは明らかである。
 最も似たようなケースは1986年に認められている。新宗教Christian Science の信奉者である両親が霊感治療のために、腸の疾患にかかっている息子の手術を拒絶したのである。その状況において、マサチューセッツ州の最高裁判所は、宗教的信仰があろうとも、両親は重病である子供たちを治療するために標準的な治療に依存することが求められるとの判断を示した。
 色々な意味で、こちらのケースの状況はより明確なように思われる。概して、親たちは自分の子供たちの医療をめぐって、どのように治療されるかとか誰に治療されるかなど、多くの自由裁量権を有している。故意に子供に害を及ぼすことは私たちの社会では容認されないが、故意的な危害の定義は、親の個人的考え方によって変わってくるものである。
 「私たちには親から虐待を受けたり放置されたりする子供を保護する義務があります」と Rushton 氏は言う。「しかし、子供を故意に傷つける人と、特別な治療が結果として子供の利益にならないと決断する人との間には違いがあります」
 LaBrie の姉 Elizabeth O'Keefe さんは Globe 紙に対して、陪審員たちは LaBrie が戦ってきた状況の深刻さを全く理解できなかったと語っている。「私の妹があの時経験していたことを理解するのは彼らにはむずかしすぎます」と、O'Keefe さんは言う。「妹には Jeremy を傷つける意図は全くなかったと思います。私は生涯そう信じます」
 Rushton 氏も同じ考えである。「この母親は彼のために最善を尽くそうとしていたと思います」と、彼女は言う。「私たちは親として十分なことができているかどうか常に考えています。しかし、この状況でよい親であることは何を意味するのでしょうか?」

親による子供の治療拒否は
むずかしい問題である。
広い意味では宗教的な輸血拒否や手術拒否、
代替療法の選択や経済的な理由なども
含まれるだろう。
この記事にあるケースの母親が
特異な状況に追い込まれていたことは
確かかもしれない。
しかし特異な状況と決める線引きは
存在しない。
どんなにつらい状況にあっても
治療によって少しでも長く生きてほしいと
願う親もいるだろう。
しかし自分のエゴで
虐待したり育児放棄したりする親たちと
同罪にすべきでないことは明らかだ。
その苦悩は、それを抱えている人にしか
心から理解できないのかもしれない。
その意味で、
現場で説得する医療者側にのしかかる負担は
きわめて重いといえそうだ。
日本の現状では、必要と思われる治療でも
親の同意なしに進めることはむずかしい。
問題となるケースは日本でも徐々に増えており、
悪い結果となる前に、
適切な判断をし命令を下せるような
第三者機関の整備が必要だろう。

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