ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

「もういちど、生きる」

2010年05月15日 | 日記
片マヒゴルファーとしてスタートすることになった
館野さんと、片マヒの先輩ゴルファーのお話です。
(内容をほな流にかいつまんで書きます。)
ゴルフダイジェスト今週号をお読みください。

脳梗塞で医者から、もう歩くこともままならない
と宣言された時、大好きなゴルフをなんとしても
やってみたい、と館野さんは考えたそうですが、
体が動かない、やらせてもらえるゴルフ場もあり
ませんでした。

家族の大黒柱だった自分が、天国から地獄へとあ
の一瞬を境に、’家族のお荷物’へと変わってい
ったことへ、自分の生きる意味を探したといいま
す。

それを見かねた館野さんのお嬢さんから、障害者
ゴルフに連絡があった時、佐藤代表は、
「月例会を見にくるだけじゃなく、クラブをもっ
 てきなさい。ぜったいにプレーしたくなるから」
とアドバイスしたといいます。素晴らしい助言で
した。

カートに乗ればどこへでも行けるが、ティーグラ
ンドへのほんの数メートルを歩くのに、たいへん
な時間がかかりました。
最初の一打を、キャディさんは「当たった!」
と誉めてくれたけど、100Yしか飛ばない、と館野
さんは心で嘆いたそうです。

先輩ゴルファーも、片マヒゴルファーとしてデビュ
ーした時は、泣いてばかりいた、といいます。
その先輩ゴルファー(第1回チャンピオン)は、今
では、スコア90でラウンドします。ゴルフには、
なにかしら人をつき動かすものがあるようですね。

幸いに、ほなさんの傍にはK村さん(高知大会で優
勝者)という身近な手本がいます。
冬の木枯らしの中でも、ゴルフバッグを肩にさげ、
倒れそうになるまで体を前傾させ、松葉杖を頼りに
コースの坂道を登っていた姿を忘れることができま
せん。

脳梗塞、脳内出血、一年間で患者になる人数は大き
な市ひとつ分にもなり、今後も拡大の一途だそうで
す。その半分が死に至り、半分が生き返ると言いま
す。生還しても、半身不随は誰にでもおこりうる現
象であり、その心理もまた同様です。誰もが館野さ
んであり、やがてK村さんや先輩ゴルファーになっ
ていかなくてはならないのです。生きるということ
は、そういうことなのだと、この記事は教えてくれ
ました。

ほなさんは、泣きました。
先に寝た女房を起こさないように、嗚咽を抑えるの
に必死で、ぼたぼた涙を流し、鼻もどんどん出て、
洗面所で顔を洗っては、また読みました。
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