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kan-haruの日記

秋葉原界隈(その3)

2006年03月09日 | 秋葉原界隈
前回に続き、秋葉原との係わりについて記述します。

 ここをクリックして、前回に使用した秋葉原駅を中心とした Google Localのマップを表示してください。

[株式会社ササオ]
 表示マップの検索覧に「㈱ササオ 東京都千代田区神田佐久間町1-17」と入力して、「検索」ボタンを押すと、東京都中小企業振興公社と道路を挟んだ角のビルが示されます。
 表示された場所の亀谷ビルの8階には、2005年11月に開所された㈱ササオ秋葉原営業所ショールムがあり、タッチ★サイン(タッチパネル案内)システムや最新IT商品が展示されております。
㈱ササオは、前述の東京都異業種交流会H11メトロ グループ分科会の「XML応用研会」のメンバーであり、26日には会場をお借りして1月例会が開かれました。
 ㈱ササオでの主たる業務は、イベントや展示会、博物館、美術館で使用されている写真・解説パネル・イラスト・案内板など、多種多様な展示ツールの製作販売を行っている総合グラフィック製作を行っている企業で、本社は上野にあります。

[電気技術開発株式会社]
 表示マップの検索覧に「電気技術開発株式会社」と入力して、「検索」ボタンを押すと秋葉原駅西の中央通りを北方の御徒町方向に進んだところに、道路右側に位置表示されます。
1976年に日本技術会に入会と同時に、プロジェクトチームの「情報化研究会」に入会し、研究会では研鑚を目的として毎月1回の例会を開催しております。研究会開催の会場は、隔月毎に電気技術開発株式会社の会議室を10年来の長きに亘り、ご提供を頂き研究会の活動を行っております。情報化研究会は、オフコンが出始めた1968年に、[コンピュータ懇談会]として発足し、1973年に情報化研究会と改称し、これからも将来に亘り息の長い活動が行われる予定です。

[通学した工学部校舎所在地]
 また、1952~56年に通学した大学の工学部の校舎は、現交通博物館の南西方向に当る、小川町の交差点から本郷通りを聖橋方向に100m程北進したところにありました。
 現在工学部の校舎は、神奈川県の生田に移転して、小川町には何らかの面影も存在しておりません。当時の思い出は、社会環境が充実してなく、今日の中国の様に<日常良く停電して休講となり、映画見物での楽しい勉学でした。


 私にとりまして、秋葉原界隈は、小中学生時代から大学までの学生時代、勤務時代の物品調達、技術相談、異業種交流活動、技術研鑚など多様な行動に関して深く係わりを持ち、しかも半世紀に亘る長い期間を過ごすと共に、今後も係わりを持つという人生行路に多大な影響を受けた界隈なのです。

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