kan-haru blog 2012 梅屋敷駅下り線の横浜方2輌のドアカット 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7
< 総合INDEX へ
第2工区(続)
・梅屋敷駅南方から京急蒲田駅間架線敷設
梅屋敷駅を出ると下り線高架橋は3階へと登り始め、電力架線柱は片持ちブラケットのシンプルな構造の電柱に架線されています。
梅屋敷駅南方から3階へ登る下り線高架橋の架線敷設(左:梅屋敷駅南方から3階へ登る下り線高架橋、中:梅屋敷駅南の架線敷設、右:下り線は傾斜高架橋で3階へと登る0807)
下り線傾斜高架橋は、下り京急蒲田高架駅ホーム3階まで登り続け、梅屋敷公園の中間付近で最高点に達します。この辺の架線は、8月7日時点では仮ハンガーでトロリーを吊っています。
梅屋敷公園北方の傾斜高架橋の架線敷設(左・中・右写真拡大0807)
京急の梅屋敷駅と蒲田駅の中間の第1京浜国道(旧東海道)沿いには、1820年(文政)の初め頃、広重の江戸名所百景に画かれた、街道の両側に跨る約3千坪の庭園に梅を植え、休み茶屋も設けて酒肴をだした梅屋敷(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 梅屋敷公園」参照)があり、明治天皇はことのほか梅屋敷の風致を好まれ、ご観梅のときには小梅一株をみずからお手植なされて史蹟として保存指定を受けています。1818年(大正7年)に、京浜国道の拡幅工事のため、公園の東側が削られ縮小されました。また、同じ頃京浜電車が梅屋敷公園の西側を通ることになり、西側も縮小され往時の面影は無くなりました。さらに、京浜急行の高架化が始まり、2006年(平成18年)から公園の一部が工事により専用されました。
聖蹟梅屋敷公園付近の下り線高架橋は、高さが3階に達して京急蒲田駅に向かいますが、電力の架線は正式の曲引き金具を用い、トロリーを仮ハンガーで吊っています。
梅屋敷公園付近の下り線高架橋の架線敷設(左上・中上・右上・左下・中下・右下:0807)
梅屋敷公園南端の梅屋敷第3踏切上の3階下り線高架橋の線路は、京急蒲田高架駅ホームの本線線路(山側)と空港線線路(海側)の分岐点付近であり、この附近は鋼管の電柱が使用され、分岐点から蒲田方向の電力線の架線は、本線がトロリーを仮ハンガーで吊ってありますが、8月7日現在では空港線の架線はまだ吊架線のみを張った状態でトロリーはまだ付いていません。
梅屋敷公園南方の下り線高架橋の架線敷設(左・中・右写真拡大0807)
梅屋敷公園南端の下り線高架橋を進むと、梅屋敷第4踏切(多摩堤)通りのガードで、その先が下り線京急蒲田駅ホームにつながっています。蒲田駅ホームの架線も本線がトロリーを仮ハンガーで吊ってあり、空港線は吊架線のみです。
下り京急蒲田駅ホーム北側の架線敷設(左・中・右写真拡大0807)
梅屋敷駅のドアカット
現在、地上下り線梅屋敷駅ホームは、大森町第4踏切と梅屋敷第1踏切に挟まれてホーム長が短いため、6輌編成の下り線列車の横浜方の2輌は、ドアーを締め切るドアカット(Top写真参照)が行われています。このドアカットは、10月21日の下り線高架化移行により無くなりますので、8月14日に動画撮影を行いました。ドアカットの模様が見られます。
下り線京急梅屋敷駅のドアカット20120814
[クリックすると、梅屋敷駅の下り線のドアカットの様子が見られます。]
動画をご覧頂けない方は、「下り線京急梅屋敷駅のドアカット20120814」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7
< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(8月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版、2011年後期版、2012年前期版、2012年後期版 へ
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版、高架化全工区下り線工事2012年前期版、高架化全工区下り線工事2012年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その3)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その5)
kan-haru blog 2014
< 総合INDEX へ
動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。
下り線京急梅屋敷駅のドアカット20120814
ブログ本文のページに戻るには、ブラウザトップの「戻る」ボタンを押してください。