先日、老人会や自治会総会で、「”終活”の話があるので聞きに行きましょう。」と誘った。
その日が近いので再度確認した。すると一人の高齢者から、「それって何のこと?」と言われた。
「メモ帳にも、申込書にも書かれましたよ。」「そんなこと覚えていない。」と言ってメモ帳を出される。
するとそこに書いてある。「いつ書いたのかしら!覚えていない。」とのことなので、
「お迎えに行きますから行きましょうよ。」と言った。 ”終活”を聞いてもあまり意味がないかな?
これは認知症の始まりかもしれない。自分が書いたことまで忘れるのは、ちょっと困る。
本人も不安なのであろう。「この頃おかしいのよ。どうしたのだろう。
何もかも息子に任せっきりだから、いけないのかしら!」
”今日は人の身 明日は我が身” 「私は誰でしょうか?」と言うようにならないとも限らない。
先日借りた「反日種族主義」を読んでいる。字が小さいので、虫眼鏡が必要である。
それに日本人には心地よいことが書いてある。数値や表を使っての説明である。
このように理論的に見える文章には弱い。やっと全体の1/3を読んだ。
雨を幸いに読んでいるが、座ったままでは体が固まってしまう。