夏日を示した最高気温が、今日は十数度にダウン。
更に雨になったので、氷雨で初冬の感がある。一気に季節は進むであろう。
紅葉も始まることであろう。鉢物を暖かい倉庫に納める日が近付いた。
寒いと思い、着込んでロンの散歩に行く。ロンは喜んで、早く歩けとばかりに引っ張る。
じわじわと熱くなり、ついに汗が背中を流れる。汗汗になるが、上着を脱ぐと持ち運びに邪魔。
我慢して着ている。汗も流れるまま。熱いのだけれども、風の一吹きでぞくぞくする寒さを感じる。
散歩中にこれを繰り返すと、くしゃみと鼻水が止まらない。やはり風邪の症状である。
今夜はカープの移動日だから、早めに休もう。明日は気に掛かって眠れないであろう。
何処に行っても何をしても、まずカープの話題から始まる。
会議もカープの話題から始まる。昨夜は負けたので、その悔しさが話題となる。
彼方此方しながら会議は終了したが、憤懣やるかたなく、昼食会になる。
会話について行くためには、TVをしっかり観る必要がある。
お婆ちゃん連中は、「今夜負けたら許さん!」と息巻いている。
今夜勝って、明日は負けて広島に帰り、マツダスタジアムで勝って、日本一になるとの構想です。
自分勝手な予想を喋っている。さあ今夜はどうなるのであろうか。
寒い日もあるが夏日もある不安定な気候である。すっきりした秋の日はほとんどない。
花は、昼の短さを感知しているのだろうか?
寒くならなくても、秋らしい日にならなくても花を咲かせている。
クラリンドウが開花した。
約4年前、歯科先生から言われた。「半年に1回は歯垢を取りましょうね」
あれから4年一度も行かなかった。今日は意を決して、出かけた。
女医先生である。優しい言葉で話される。雑談は出来ない。
歯医者は、患者との会話ができず、口の中ばかり眺めているのは、面白くないだろうと思う。
内科医は患者とお喋りが出来る。人間関係もできる。
女医先生の一方的な話である。「良い歯をしておられるから、もう少ししたら表彰しましょう」
80・20のことである。数年先の話である。
「ありがとうございます」とは言ったが、果たして元気でいるかどうかが疑わしい。
歯だけ元気であるのは困る。30分位で掃除は終わったが、
掃除中のジージーピーピーの音には参る。
終了後 「前歯が少し弱いですから、硬い物を食べる時に注意してください」との言葉があり、
今回の掃除は終了。次回は春ごろかな?
「平穏死」の著者である石飛幸三氏の講演会に行く。
安芸高田市の出身で、血管外科医として活躍する。
現在は、特別養護老人ホーム芦花ホームの勤務医である。
人間のためになってこそ医療である。人間を苦しめて長生きをさせることは医療ではない。
人間の最期の迎え方を考える時に来ている。
人間の自然の一部である。老いて衰え、最後は食べられなくなる。
「食べないから死ぬのではなく、死ぬのだから食べないのである」
自然死の最後の代謝は、身体の中を整理して、余計なものを捨てて、更に捨てて、
身を軽くして、天に昇って逝くのである。大自然の摂理に任す。
遺漏をし、栄養をつぎ込んで少しでも長生きをさせたいと延命治療を望むことは、
最期を迎えようとしている人には、拷問に近い苦しみを与えることになる。
自然死は、栄養も水分も必要でなくなり、眠るように楽に死を迎えることである。
石飛先生の講演から、
「平穏死とは、最後まで笑顔で生き、逝くことである」とのメッセージを受け取った。
熱海での同期会に出席したのは、12名である。
各自、近況報告をすると、身体の不具合についての話題が多かった。
息子や娘の話も、孫達の話もほとんど出なかった。
子供たちは言うまでもなく、大きくなった孫達も、爺・婆は相手にしないのであろうか?
地域のボランティアをしている男性がいて、認知症の話を詳しくしていた。
口々に、「認知症にだけはなりたくない」と言っていたが、さあどうなることであろう。
2年後、最後の同期会を広島で開催することを約束した。
広島で始まったのであるから、締めくくりも広島にしようとのことである。
始まりがあれば必ず終わりがあることは解りきった事であるが、やはり寂しく辛い。
熱海城から熱海湾を眺めた写真である。沖には初島も望めた。
この風景も二度と眺めることはないであろう。