今年も年賀状作成の時期が来た。
我が足は、歳を取るほどにのろくなったが、時間の足は、歳を取るほど早くなる。
一年が簡単に過ぎ去って、又年賀状を作らなければいけない時期となる。
以前は”年賀状を書く”と表現していたが、
現在では”年賀状を作る”と表現する。葉書の裏表全てを、パソコンで作るのである。
公民館でも、年賀状作りの講習会をする。
イラストの挿入と、テキストボックスを使っての文字挿入だけである。
82歳の方が来られた。口の動きは早いが、手の動きがゆっくりである。
又頭の動きもゆっくりで、直前にした仕事がなかなか思い出せない。
同じ事を何度繰り返しても、身に付かない。しかし、パソコンに触ろうという好奇心で、
元気で若く生きることが出来る。
寒くなったのに3度目の花を咲かせる”ケントベル”である。
蕾のまましおれる花もある。
”野いちご”を沢山見つけた。鳥獣達も気付いていないのだろうか?
畑は網をしなければ実る作物は無いのに、無防備な苺は鈴生り。
我が足は、歳を取るほどにのろくなったが、時間の足は、歳を取るほど早くなる。
一年が簡単に過ぎ去って、又年賀状を作らなければいけない時期となる。
以前は”年賀状を書く”と表現していたが、
現在では”年賀状を作る”と表現する。葉書の裏表全てを、パソコンで作るのである。
公民館でも、年賀状作りの講習会をする。
イラストの挿入と、テキストボックスを使っての文字挿入だけである。
82歳の方が来られた。口の動きは早いが、手の動きがゆっくりである。
又頭の動きもゆっくりで、直前にした仕事がなかなか思い出せない。
同じ事を何度繰り返しても、身に付かない。しかし、パソコンに触ろうという好奇心で、
元気で若く生きることが出来る。
寒くなったのに3度目の花を咲かせる”ケントベル”である。
蕾のまましおれる花もある。
”野いちご”を沢山見つけた。鳥獣達も気付いていないのだろうか?
畑は網をしなければ実る作物は無いのに、無防備な苺は鈴生り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/07/b2817be8a52146cfd25da2adcb765029.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d1/73aede94126406ec5c1797ba5a4960a7.jpg)
久しぶりの暖かさと秋晴れである。戸外にいると汗ばむ陽気である。
その暖かさに誘われて、柚子の収穫をする。
娘と孫のHは、脚立とはしごを使って柚子の実を落とす。
地上に落ちた実を、はいつくばって集めるのはブーコさんである。
そこに近所の望君が、お喋りをしに来る。
「ブーコ しゃん、俺知ってるよ。ブーコ しゃんは、ブーブー言うからブーコ しゃんでしょ!
ほんとは”ひろこ”って言うんでしょ。俺知ってるよ」
全員大笑い。笑うしか返す言葉が無い。
2時間以上はいつくばって作業をすると、足腰が痛くなる。
コーヒータイムにしようよと誘いかけるが無視。しばらくして又誘う。
すると娘曰く。「ブーブー言い出したよ。だからブーコさんよね」
反論する気力も無いくらい疲れる。とにかくコーヒータイム。
その暖かさに誘われて、柚子の収穫をする。
娘と孫のHは、脚立とはしごを使って柚子の実を落とす。
地上に落ちた実を、はいつくばって集めるのはブーコさんである。
そこに近所の望君が、お喋りをしに来る。
「ブーコ しゃん、俺知ってるよ。ブーコ しゃんは、ブーブー言うからブーコ しゃんでしょ!
ほんとは”ひろこ”って言うんでしょ。俺知ってるよ」
全員大笑い。笑うしか返す言葉が無い。
2時間以上はいつくばって作業をすると、足腰が痛くなる。
コーヒータイムにしようよと誘いかけるが無視。しばらくして又誘う。
すると娘曰く。「ブーブー言い出したよ。だからブーコさんよね」
反論する気力も無いくらい疲れる。とにかくコーヒータイム。
11月22日(日)は、今にも雨が落ちそうな寒い寒い日であった。
我が母校は、この地に校舎が移って100年、K小学校となってから60年となる。
その記念式典があった。町村合併により、昭和24年に村立K小学校となり、
更に合併が進み、現在では広島市立K小学校となる。
我々が学んだ校舎は、全て木造であったが、現在は鉄筋校舎である。
校地も、場所は同じであっても、形状は大きく変わり、昔を想像することも出来ない。
昭和24年、25年ごろに、サツマイモを植えた場所はどこだったのであろうか!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9c/a97c5665bbc25991b32f7ea5161a20f3.jpg)
式典後のアトラクションとして、”文教太鼓”が披露された。
文教大学付属高等学校の生徒さん方により、威勢の良い太鼓の協演である。
クラブ活動として練習していると思うが、努力の積み重ねが太鼓の音に表れる。
我が母校は、この地に校舎が移って100年、K小学校となってから60年となる。
その記念式典があった。町村合併により、昭和24年に村立K小学校となり、
更に合併が進み、現在では広島市立K小学校となる。
我々が学んだ校舎は、全て木造であったが、現在は鉄筋校舎である。
校地も、場所は同じであっても、形状は大きく変わり、昔を想像することも出来ない。
昭和24年、25年ごろに、サツマイモを植えた場所はどこだったのであろうか!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9c/a97c5665bbc25991b32f7ea5161a20f3.jpg)
式典後のアトラクションとして、”文教太鼓”が披露された。
文教大学付属高等学校の生徒さん方により、威勢の良い太鼓の協演である。
クラブ活動として練習していると思うが、努力の積み重ねが太鼓の音に表れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/0c/e50f22f9e2db443de9ee849283c1dfb4.jpg)
K氏から手作りジャムを頂いた。リンゴと柚子のミックスジャムである。
S,U、Yの3氏にも送られた。皆同級生である。
K氏はK研究所所長だったので、適当に混合し舌の上に塗ってみて良かったらOK。
”終わりよければ全てよし”
S氏は、頭の冴えた理論派教授。リンゴと柚子の混合比や過熱時間、
その結合まで考えるとなかなか難しい問題が残る。
妻「おとーさーん!Kさんってすごいねー!おとーさんも何とかしたら!」
夫「ううん。えーとなー。KはKだよ」
U氏は、世界を股に駆けて活躍したプラント製作者。器は作るけど中身は関係ない。
妻「Kさんの爪の垢でも煎じたら!」
夫「ジャム作りは、俺の仕事ではない。お前の仕事だろう」
Y氏は、いまだに中国に行ったままで社長をしている。賄賂を請求されたり、
騙されたりしながら、まだ我々の仲間にならない。通訳や従業員に騙されても、
まだ懲りずに中国に留まる。何もかも込みで、中国を楽しんでいる。
色々書きやんした。お申(も)さげなござんす。お許しえって下んせ。
壬生義士伝に使われている、南部盛岡地方の方言である。
S,U、Yの3氏にも送られた。皆同級生である。
K氏はK研究所所長だったので、適当に混合し舌の上に塗ってみて良かったらOK。
”終わりよければ全てよし”
S氏は、頭の冴えた理論派教授。リンゴと柚子の混合比や過熱時間、
その結合まで考えるとなかなか難しい問題が残る。
妻「おとーさーん!Kさんってすごいねー!おとーさんも何とかしたら!」
夫「ううん。えーとなー。KはKだよ」
U氏は、世界を股に駆けて活躍したプラント製作者。器は作るけど中身は関係ない。
妻「Kさんの爪の垢でも煎じたら!」
夫「ジャム作りは、俺の仕事ではない。お前の仕事だろう」
Y氏は、いまだに中国に行ったままで社長をしている。賄賂を請求されたり、
騙されたりしながら、まだ我々の仲間にならない。通訳や従業員に騙されても、
まだ懲りずに中国に留まる。何もかも込みで、中国を楽しんでいる。
色々書きやんした。お申(も)さげなござんす。お許しえって下んせ。
壬生義士伝に使われている、南部盛岡地方の方言である。
浅田 次郎著 「壬生義士伝」の主人公の名前である。
新撰組ではほとんど名前も知られていない人物であるが、
浅田氏はそれにスポットを当て、浅田氏の人生観を貫一郎に具現化する。
貫一郎に縁のあった人々の思いで話という形式で物語を進める。
上・下巻よりなり、上巻は新撰組の活躍などを中心として書かれているが、
下巻は貫一郎を取り巻く人々を書いている。貫一郎の妻や子供達、
既に黄泉の国にいってしまっている父親まで現れる。
足軽の身分ではあるが文武に長けていた貫一郎には、
生涯の友・大野次郎右衛門がいる。大野は、南部藩組頭であり、
身分が違いすぎる。その息子・千秋などの様子が書かれている。
男の中の男、勇者の中の勇者、仁義に篤い南部武士を描き切っている。
読んでいると涙が止まらない。
新時代もデモクラシーも結構だが、世の中が良くなったせいで、
ここんところとんと男がいなくなっちまいました。…………
次郎衛様も吉村さんも、夫々の分をきっちり全うなせやした。
私に言わせりゃどちら産も男の中の男でござんす。
なあに、難しいことなんかひとつもありゃしません。
女房子供や身内の苦労を、男だったらそっくり背負えってこってす。
ドウダンツツジの葉が真っ赤に色付いているのをバックにして、
深い紫色の花・ノボタンを置いてみた。
新撰組ではほとんど名前も知られていない人物であるが、
浅田氏はそれにスポットを当て、浅田氏の人生観を貫一郎に具現化する。
貫一郎に縁のあった人々の思いで話という形式で物語を進める。
上・下巻よりなり、上巻は新撰組の活躍などを中心として書かれているが、
下巻は貫一郎を取り巻く人々を書いている。貫一郎の妻や子供達、
既に黄泉の国にいってしまっている父親まで現れる。
足軽の身分ではあるが文武に長けていた貫一郎には、
生涯の友・大野次郎右衛門がいる。大野は、南部藩組頭であり、
身分が違いすぎる。その息子・千秋などの様子が書かれている。
男の中の男、勇者の中の勇者、仁義に篤い南部武士を描き切っている。
読んでいると涙が止まらない。
新時代もデモクラシーも結構だが、世の中が良くなったせいで、
ここんところとんと男がいなくなっちまいました。…………
次郎衛様も吉村さんも、夫々の分をきっちり全うなせやした。
私に言わせりゃどちら産も男の中の男でござんす。
なあに、難しいことなんかひとつもありゃしません。
女房子供や身内の苦労を、男だったらそっくり背負えってこってす。
ドウダンツツジの葉が真っ赤に色付いているのをバックにして、
深い紫色の花・ノボタンを置いてみた。
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