今年も終わりになるので、夫を亡くした近所の老女のところに挨拶に行く。
開口一番、「歳を取ったら、頭も体もつまらんよーになる。何もかも出来んよーになって。」と言う。
30分間にその言葉を何度も繰り返す。軽い認知が入っていることは知っているが・・・・。
「つまらんよーになった!」とか、「何も出来んよーになった!」と繰り返されると、
その言葉を聞いているだけで、こちらも気分が滅入る。同級生だもの。
BS3で、瀬戸内寂聴さんの闘病生活映像が流れたばかりである。
90歳過ぎて大病をし、長期入院をしても、
また復活されて作家活動をされた様子に感激したばかりである。
若い人にエネルギーを貰いたくなる。
一休さんの狂歌に、
「門松や 冥土の旅の一理塚 めでたくもあり めでたくもなし」と言うのがある。
いきとし生けるものすべての人も動植物は、死に向かって走りつつある。
雨のしょぼ降る暗くて寒い一日。しかし、我が心は晴れ。
インターネットが繋がり、ルンルン気分である。
昨日までは鬱々としていたが、今日は日本晴れ!!
年末の仕事は溜まりに溜まっているが、それも気にならないほど心にゆとりがある。
先日、同居人に中筋の本屋に連れて行ってもらう。
同居人の用事が終わるまで、4時間ぐらいを本屋で過ごす。
曽野綾子著「一人でポツンと生きればいい」、瀬戸内寂聴著「寂聴97歳の遺言」である。
2冊とも最近の書きおろしで、過去の書物からの抜粋ではない。だから購入した。
自分もぼけないで、お二人の歳まで文章が書けると嬉しいなーと思いながら。
またそれにあやかりたいと思いながら・・・・。
新年を迎える用意は何も出来ていない。大掃除をしなくても、年賀状を書かなくても、今日も暮れる。
今日夕方やっと復活!約10日間の長い長い日々であった。
その間の気持ちは、「孤立」である。「孤独」ではない。
誰からも置き去りにされた小さな細い木が、風に吹かれ雪の中にたたずんでいるような状態。
人と繋がっていると考えられるのは、はなんと暖かく安心感があることであろう。
そのように感じるのは自分だけであろうか?
インターネットがご機嫌斜めになり、繋がらなくなる。
入れ替わり立ち代わり多くの業者の世話になった。
ついに我が家に引き込んでいるインターネットの外線を取り替えると、やっと繋がった。
久しぶりにインターネット。あちこちにメールを出しまくる。
メールの出し方や、ブログの書き方まで忘れてしまったのではないかとビクビク!
前回のブログに、地球の引力に負けて顔に怪我をしたことを書いた。
インターネットの不調の間に、怪我はほとんど分からないように治った。
医者の世話にならず、アロエを塗った。おかげで痕跡もほとんど残っていない。
年賀状がまだできていない。賀詞やトラの絵をインターネットから頂く必要がある。
良い経験であった。パソコン・インターネットの有難さが解った。
「今後ともよろしくお願いします。」
若い時には、地球に喧嘩を挑むような馬鹿なことはしないが、
高齢になると、地球の怖さを知っていても、避ける術がなく挑戦してしまった。
挑戦したら当然のことに負けてしまう。
若い時には挑戦する前にやめることが出来るのに、歳を取るとそのまま突っ込んで負けてしまう。
我が体重を顔にかけて、地球に戦いを挑む。大事にはならなかった。
地球の挑戦を顔で受けたので、美人が台無し。
あまり美しいので、神に妬まれたのかもしれない。
病院に行くようにと言うが、大丈夫だと思う。
目の上から赤い水溶液が出ている。時間が経てば出なくなるであろう。
シミだらけの顔が、更に傷だらけになったのであるから、お化け以上。
同居人が帰るまで、お風呂に入るのは待つ。
我が顔を見た同居人、「お岩だね。次回は鼻もなくなるよ。」とのたもう。
これから年末にかけて、忘年会と称した飲み会がある。
お岩の顔を眺めながらの宴会は、不味い酒になりそうである!!
月に一回開いている老女の会の日である。90歳以上のお二人とは、今回も会えた。
しかし、Iさんは歩く力が衰えた。杖だけではなく人の援助が必要。フレイルの入り口である。
1月の会合も約束したが、いつまで続けられるか不安である。
本人もそれを意識しているらしく、「今日も来ることが出来たー!」と喜ばれる。
食事の量が少ない。他の人と比較すると半分ぐらいである。
以前はお話が好きで、話題も沢山あった。
野菜の作り方とか、料理の話、満州からの引き揚げた時の話等は、いくらでも話が尽きなかった。
しかし最近は、会話が少なく、会話が途切れてしまうことも多い。
浄土真宗のお寺のお手伝いをしたことがきっかけで交際が始まり、すでに20数年が過ぎた。
来年の1月に会えることを願っている。
施設「白木の郷」への登坂掃除を、老人会でする。
夏は草刈りをするが、冬は落ち葉の清掃である。
夏は各自に飲み物1本を頂くが、冬は忘年会時にビールとして渡すとのことである。
忘年会に出席するのなら、遠慮なくビールを頂きたいので、作業に参加する。
忘年会に参加しないのなら、清掃作業にも参加しないとのさもしい気持ちは持っていないが・・・。
1時間の落ち葉集めは、良い運動になる。
汗びっしょりになり、休むと濡れた下着から寒さが上がって来る。
お喋りもほどほどにして帰宅し、着替えをする。
同じ自治会の人が亡くなる。珍しく家での昔通りの一般葬儀とのことである。
あまり懇意な人ではなかったので、出席する人に香典を頼んだ。
コロナ禍、一人でも参加者が少ないほうが良いのではないだろうか?
特に、オミクロン株が噂されている時である。
今年も3個のむべの実が生った。何度か霜に出会って、赤を通り越して黒くなりつつある。
甘い汁があるが、黒い種が多くて食用にはならない。
朝は冷えるが、昼間はポカポカ陽気で冬らしくない天気である。
乳母堰の負担金を集金して歩く。3~4人が集まってお喋りをしている。
何事かと近づくと、「鹿の通り道になっている」とブツクサ相談している。
山にも野原にも食べる物がないので、人間の住む場所まで出かけたのである。
農業をしていない人たちは、鹿を手名付けて時には物を与えているらしいとのことである。
鹿たちが、人間を怖がらなくなり、街の1丁目1番地に姿を現すことになる。
人間と野獣との棲み分けが難しくなりつつある。
今年初の餅つき。沢山の餅をあちこちの送りたいと思うが、
試し搗きをしないと不安である。
機械の調子や今年の餅米の状態も見極める必要がある。
搗きあがった餅は、柔らかく良く伸びる。
近所のあちこちに配って歩いたら、今夜自分の食べるのが1個だけ残った。
来週は本格的に搗き、約束をした人達に送ろう。
「コヘレトの言葉」を読んでいると、心に残したいような文章に出会った。
”・・・・愛する妻と共に人生を見つめよ
空である人生のすべての日々を・・・・”
「人生を見つめよ」との言葉に感銘を受ける。
幸も不幸もある人生を、しっかりと見つめて力強く生きると受け取った。
公民館主催の講座・「認知症について」が開催される予定。
何とか認知症だけは免れたいと思っているので、公民館に足を運ぶ。
13時30分開会とあるのに、待てど暮らせど講師が現れない。
ついに連絡が付かないとのことで、包括センター職員と公民館職員が穴埋めをする。
包括センター職員は、30分間認知症についてしゃべる。
その後30分間を公民館職員が数年前の西日本の災害についての写真を披露する。
勿体ない時間であった。講師はこの講座を忘れていたのであろうか?
公民館職員も、前もって連絡を取り準備をしなかったのであろうか?
どちらも、認知症講座を受けて欲しい状態である。」
最近にない面白いミスであった。
お天気の良い冬らしくないほど暖かい日であった。それなのに・・・。