文章講座の時に提出した下手な文章を、添削していただいた。
解り易い文章であろうと思うが、自分との波長が合わない。
内容は同じであるが、表現が違うので馴染まない。
広報を作る時、挨拶文とか行事報告等当事者にお願いする。
割り付けをすると、文を縮小したり、文をふくらましたりする必要が出る。
許可を得て、文を直させて頂くが、作者は違和感を感じておられることであろう。
しかも、文章の専門家でもない者が直すのである。
今後は、この事を十分頭に入れて仕事をしよう。
添削後の文章である。原文は2月4日の「蕗のとう」である。
きょう4日は立春というのに、朝の広島市内の最低気温は0℃。
まるで冬に逆戻りをしたみたいだ。
きのうまで暖かい日が続いただけに、嘘のように感じてしまう。
山菜採りの得意な友人が、朝イチで電話をくれた。
立春には蕗の薹が顔を出すだろうと思って、
例年通りの場所を探したが、「まだ雪の中のようだった」という。
そういえば我が家の畑はどうだろうか。隅の方に少し植えていたのを思い出した。
「あった、あった」。たくさんの蕗の薹が顔をのぞかせている。
これまで暖かい日が続いたので、春になったと勘違いしたらしい。
しっかり衣をまとって、次の出番を待っているのもいる。
早速今夜の食卓に載せることにした。
この時期には、「三寒四温」という季語もある。
移り気な春の香りを、じっくり味わってみよう。
孫のN実は、就活のために帰ってきた。母親の所から通勤したいとのことである。
アルバイトのお金で、”就活5点組セット”を買ったと披露する。
5点セットは、スーツ上・下、カッターシャツ、カバン、ローヒールの靴である。
全て黒一色の、カラスである。
会社説明会、面接等の就活に集まる男女が、全てカラスである。
黒一色のスーツに、頭髪も全員黒とは、異常な風景である。
ここまで没個性にする理由は、何であろうか?
自分の好きな自分に似合う服を着て、個性を競って面接を受けると、
試験官も、選考し易いのではなかろうか?
遠景はボケて霞がかかったようである。
黄砂か、PM2.5か、花粉かを予想するが、どれも嬉しくない。
婦人公論 3/15号増刊として、”曽野綾子さんに学ぶ 人生後半の 潔い生き方”
との題で発売された。写真がふんだんに使われているので、またまた買ってしまった。
T先生はもろに呆れ顔。
同じことが書いてあるのに、なぜ出版する本をすべて買うのかと問う。
他の人々も、次のような悪口を言うのがいる。
田園調布に棲んでいるような人に、我々庶民のことは解らないだろうとか、
上から目線で、説教口調の本は読みたくないとか、批判をする。
何を言われてもただ笑って受け流す。批評が当たっていてもいなくても関心がない。
観点が違う。善し悪しではなくて、好き嫌いである。
どうであっても、とにかく好きやねん!
「子育て支援員養成講座」最終日である。
講義の内容は、子供の食事、子供の遊び、子供の病気についてである。
子供遊びについては、けんだま、折り紙、童謡、ままごと等の実習もある。
折り紙では、”シュリ剣”を作った。
5歳児達のお遊びだそうであるが、なかなか上手に折れない。
理論で折ろうとするから、頭の中がグシャグシャになる。
”ままごと”遊びに於いては、父母をはじめ兄弟、祖父母などが登場するのは当然であるが、
最近はペット役になりたいとの希望が多いとのことである。
癒し系を求めて、犬猫等のペットを飼う家が増えたのであろう。
「解り易い文章を書くには」との講習会で、400字ぐらいな短文を書いて批評会をした。
褒められるとは夢にも思っていなかったが、厳しい指摘を受けた。
”ボロ、カス”である。”ケチョン、ケチョン”である。
同じ内容の言葉を重ねるのはくどいと言われたので、一つにまとめると、
”ボロンチョ”の批評である。
400字ぐらいな文章では、焦点を一つだけに絞り込み、
てんこ盛りの内容にすると、文全体がぼけるとのことである。
最後の文の”オチ”は、初めの文章との関連付けをしなければいけない。
オチが良くないと、文章全体が死んでしまう。
ブログの文章を書くことが、怖くなる。
しかし、文を書く習慣を忘れると、更に文章が書けなくなる。
指摘されたことを頭に置きながら、少しでも解り易い文章になるよう、書き続ける。
努力しても簡単には上達しないので、”ボロンチョ”の文章を書き続けることになる。