中国地方は、現時点ではコロナウィルス陽性は出ていない。
しかし、全国的な広がりを見せているので、いつ発生してもおかしくない状態である。
大きくならないための対策とし、全国小中高学校の休校要請が出た。3月2日からである。
自分は現役でなくてホッとしている
現役ならば、何から手を付けてよいのかわからないほど、仕事が山積しているだろう。
地域では、お寺の彼岸法要が中止になった。さらにいろいろな行事中止の発表があるであろう。
老人会やJAの「いきいき百歳体操」も、中止の可能性がある。
TVもメールも、「コロナ コロナ コロナー!」の大合唱である。
それ以外の声は何も聞こえず、不活発で不思議な静かさの世界である。
外出もせず、かといって仕事をしようと言う気力も出ず、鬱々とした「死の世界」である。
この状態が長く続くと、気力・筋力・脳力は落ちるばかりで、地球最後の日となりそうである。
有線放送で、町内の亡くなられた人の名前と葬儀の日取りを放送をする。
最近は家族葬が多いので、放送数が極端に減った。
亡くなられた人の年齢を放送する。その時の自分の反応が、面白く不思議である。
70歳代なら、「あら若いのに!」であるが、80歳代の場合は、「十分生きたから良かったね。」である。
そしてすぐに、自分も80歳を過ぎているのだと、不思議に思う。
自分自身のことは、死ぬことは考えていないのか、いつも考えているけれども、現実とは違うのか?
よー解らん反応である。
いくらいつ死んでも良いと言いながら、自分にも都合がある。
今ニュースを賑わしているコロナウィルスだけは困る。周囲に迷惑が掛かりすぎる。
死んでまで迷惑をかけるのかと、非難ごうごうである。
「腰が痛い、膝が痛い・・・」には、飲んで効く〇〇〇
血糖値が高い人は、食後に○○コーヒー。美容と健康には、森の○○○○。
一塗すると皺が延び若々しくなるオールインワンは、○○。
50歳を過ぎると骨が痩せるので、○○ケアーで丈夫な骨を作る。
等々、何もかも魅力的で、つい申し込みをしたくなる。その欲望を抑えるのに一苦労。
そのようにうまい話はないということを、一番知っているはずの高齢者が迷う。
これが事実なら、なんと夢のような素晴らしい世界であろう。
医療費のことを考えると、3~4千円は安いものである。
夜独りで民間テレビを眺めていると、つい申し込みの電話をしたくなる。
連日15℃ぐらいなポカポカ陽気が続いている。梅は満開である。
梅見の会にも行きたい気分であるが、コロナウィルスが活動しているので、おとなしくしている。
コロナウィルスの騒ぎが始まってから、もう1カ月になるのにまだ収まる気配がない。
3月には海外旅行に出かけるのを楽しみにしていたのであるが、見通しが立たない。
高齢者ではあるが、コロナウィルスには負けないと思っている。
しかし、陽性になると家族に大迷惑がかかる。14日間も仕事に行けなくなる。
すると、家族の人生を変えることになり、なんとも心苦しい。
自分のわがままのために、家族を巻き込むことは避けたい。
今回は海外旅行を中止し、来年に期待することに決めた。残念である。
朝から太陽がいっぱいで春の陽気である。草取りの前に本に取り付かれた。
読んでも意味不明である。なぜなぜと悶々としながら読んでいる。
「失われた日本人と人類の記録」 矢作直樹・並木良和共著
今夜のニュースも、コロナに始まりコロナに終わりそうである。
y氏から季節の紅梅の写真が送られた。藁屋根と紅梅を、懐かしく眺めている。
春一番も吹き、春が近づきつつある。
冬の寒さをほとんど味わっていないので、春の温かさを待つ心が薄れている。
田植えの農繁期が待っていると、心ふさぐ思いである。
以前、スーパー等での買い物は楽しかった。見て歩くと欲しいものがいっぱい。
食品売り場を歩くと、食べたい物が沢山あり、なるべく満腹時に歩くようにしていた。
しかし、最近は欲が影を潜め、陳列品に興味がない。歩くのが面倒である。
美味しそうな刺身にも、お惣菜にも食欲がわかない。食事前でも食べたいなーと思うものがない。
高齢になったということであろうか!与えられたものは食べるけど、別に・・・。
昨日、介護ショップ エコールに、娘と一緒に行く。
履きやすいジョギング用の靴に興味があったので覗いた。
「これ一足しかありません。」と出された靴は、店頭に長くさらされていたのか、黄ばみが付いていた。
7500円を7000円にするとの話である。気が進まなかったので、他の靴専門店で探すことにする。
杖とか押し車とかベッドなどを眺めた。
「要支援1でも取ると、少し補助が出て安くなるよ。おたくなら要支援1は取れるはずよ。」と娘が言う。
(「なぬー!!!私が要支援だと。まだ社会の世話にはならぬ。」)
医療保険も介護保険の世話にもならないと意地を張って生きているのに、見かけは哀れで弱々しく見えるらしい。
暖かく4月ごろの気候で、外の空気が美味しい季節になった。春本番の陽気である。
畑の大根・白菜・人参の処理をする。大きく成長した白菜の頭から花が咲いている。
蕗の薹もすべて花が開いてしまった。例年なら3月初めまで雪の心配をするが、
今年は梅も日本水仙も花盛りとなり、春そのものである。
今日、茶封筒入りの手紙が送られてきた。裏側には、送り主の名前も印刷もない。
84円の切手が貼られている。郵便番号・住所・名前も、間違いなく自分宛である。
消印は、”荒川”となっている。いやな気分を感じながら、封を開けた。
すると、「民事訴訟最終通達書」と書かれてある。しかも霞が関の住所である。
東京などで物事が起こるはずもない。地元からの住所なら、もう少し真剣に考えるかもしれない。
一度も訴訟のことは聞いたことがないのに、なぜ最終なのであろうか。
携帯やスマホも使えないし、他人に不愉快な思いをさせないように気を使っているのに、
なぜ訴訟沙汰になるのか!株に手を出すほどの才覚も資金もない。
利用できる不動産があるわけでもない。いくら考えても、自分には関係なさそうである。
差し押さえをしようにも何一つ無いのだから、どうぞお好きなように!
以前、「でんでんむしのかなしみ」について書いたことがある。
改めて、皆中身が違うけどカタツムリの甲羅の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのだと思った。
ニコニコ笑いながらお喋りしていると、悲しみや苦しみなどを持っている者は、どこにもいないような気になる。
今日、コーヒーを前に置きながらお喋りしていると、厳しい中身の話が出た。
自分の健康状態、元夫が肺がんになり彼の面倒も見なければいけない状態、
30歳過ぎの娘が鬱で精神状態が不安定になり、1年が過ぎても快方に向かわない状態。
それらを一人で背負っているのを傍で見ると、こちらの方が沈んでしまう。
彼女には、それらの苦しみに耐える力があるから、これでもかこれでもかとのしかかって来るのであろうか?
自分は、甲羅の中に重い悲しみや苦しみを入れ込んで、引きずって歩いていると思っていたが、
それは思い込みと、世間知らずのなせる業であった。自分の悲しみや苦しみは、たいした内容ではない。
大方の人が、耐えられるだけの重い甲羅を持ち歩いているのである。
死が訪れる日まで、背負って歩くしかないであろうか!!