春の香りを入れて蓬餅を作る。以前はどこにでも蓬は生えていた。
蓬は、繁殖力もあり、強い草である。しかし、現在では探さないと見つからない。
我が家の周囲は、鹿の餌になり絶滅危惧種になりつつある。
郷中に出ると、猫や犬の格好のトイレになり、人間が食するのはためらわれる。
郷中にある我が家の田圃の岸に生えている蓬を取った。
濃い緑色の餅になるくらい沢山の蓬を入れた。
蓬餅約50個ほどが出来上がった。
まずハコちゃんにと思い電話をする。出んわ!会議だと言っていたなー。
すると匂いを嗅いだのか知人が来る。「おすそ分け」と言いながら上げる。
そして、あちこち持って行っていたら、無くなってしまった!
我が家のが3個だけ残った。もう一度作ることにする。
夕方捜しまわって蓬を取る。明日夕方作って、とにかく配って歩こう。
我が家のも少しだけ残しておこう。
新芽が芽生える頃になった。
必要な花木は、柵の内側に植える。柵があっても小さな穴でも開いていると、
そこからバンビ(鹿の子供)は、するりと侵入する。
我が家はブロッコリーとイチゴを食べられてしまった。
イチゴは花が沢山咲いているので、連休頃には食べられるかと楽しみにしていたのに・・・・。
しかし、いくら柵の外にあり青々とした新芽を出しても、動物たちが口を付けない花もある。
スノーフレイク(鈴蘭水仙)である。有毒であり人間もニラと間違って食べると、調子を崩すとのことである。
若い時、万年筆を買う時は、セーラー万年筆と相場が決まっていた。
その頭が切り替わっていなくて、ボールペンもセーラーなら、どの店にも芯の取り換えはあるものと思っていた。
ところが文房具店には、置いてない所が多く、「セーラーは取り扱っていません」との返事である。
広島市内中心部の大きな文房具店で、やっとカートリッジの取り換えが出来て一安心!
そのボールペンのカートリッジは、1本90円(消費是込みで99円)である。
予備を求めたかったけど、1年間も寝かせておくと芯の液が固まって使用できなくなりそうである。
Y氏から送られたのは、山桜。K氏から送られたのは、徳佐八幡宮のしだれ桜。
鬱々した心を慰めてくれるのは、美しい花たちである。
美しいものを眺め、楽しい発想をし、笑いのある会話をし、適当な運動をしてぐっすり眠る。
そして少しでも他の人の手伝いが出来れば最高。
せっかく見つけた若い美男子と、数か月に一度ぐらい仕事で訪ねて来た時に、
一緒にコーヒーを飲むのを楽しみにしていた。
その楽しみを取り上げられる時が来た。転勤である。もう二度と会える見込みはない。
「最後の晩餐」ならぬ、最後のランチを取ることにした。勤務中の昼食時間を利用する。
心から「有難う」と言う。彼には、今から約60年間の現役生活が待っている。
健康に留意して、意義ある幸せな人生を送ってほしい。さようなら。アデュー。
公民館で講演会がある。浄土真宗のお坊さん・臨床心理士・カウンセラーの講演会である。
コロナ禍では、絆⇔ソーシャルディスタンス、清⇔汚、善⇔悪の関係が極端になっている。
情報量だけは異常に多く(感染者数、死亡者数、変異株・・・)、物語を紡ぐことが難しくなっている。
「私の人生」、「家庭の物語」、「仏教の教え」というような自分で作り上げる物語が無くなっている。
参加者が質問をした。「アニメに”なぜ生きる”というのがありますが、生きる目的は何でしょうか?」
その答えは、専門的であった。ロゴセラピーの考え・精神科医のフランクルが登場した。
人間は人生から問いかけられているという考えである。
人間は生きる意味があるのかと”人生を問う”ことではなく、”人生から問われていること”に答えていくことである。
「何かがあなたを待っている。」
「誰かがあなたを待っている。」
我々はいつも「何か」「誰か」によって待たれ必要とされている。
結構、理解するのに骨の折れる答えであった。
日曜日の夕方は、テレビの前に座ることにしている。「笑点」を見るためである。
「笑点」には前座がある。ピロキのウクレレ漫談、ヒロシのぼやきも面白い。
今日は、吉住さんの「女性審判」であった。吉住さん、芸人である。
審判員をしている女性が、彼とのデートに遅れる話である。観客は笑っているが・・・。
何の話か、何が面白いのか、さっぱり理解できない。物まねであろうか?
演芸が理解できない自分に気が付く。高齢になったことと、世の中から遠ざかりつつあるのであろう。
吉住さんは、2020年の女芸人NO1になったとのことである。
笑いの質が変化しつつあると感じる。笑いにも付いていけなくなった自分を哀れに思う。
笑いの意味も理解できないようになったのでは、TVの面白さからも遠くなるのであろう。
「笑点」は、まだ面白く見ている。