大崎下島は、瀬戸内海に浮かぶ島の一つである。
以前は船を利用するしか交通手段がなかったが、島々が橋で結ばれ、
自動車で行くことができるようになった。
大崎下島にある豊町・御手洗は、昭和30年ごろまでは北前船も立ち寄り、
遊女を乗せて沖の船まで運んだと言われる「おちょろ船」や、
多くの遊女を抱えていたと言われる「茶屋」などで、賑った場所である。
現在も古い街並みが残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6c/5fafebc5be73a4545694c94956968265.jpg)
石積みのそり返しが美しい高燈篭。灯台の役目をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0b/a69b33dcc3e146d0a094da163f9f240a.jpg)
高台に設置された公園の展望台からは、御手洗地区を見下ろすことが出来る。
また正面には、愛媛県の岡村島が見える。広島県と愛媛県の県境である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6b/71d075001c6186981e3fc932d1a9b29e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/cb/229a1dec67bec175495ad2a7e09fafd9.jpg)
橋でつながってからまだわずかである。
まだまだ洗練されていない点も目に付いたが、
歴史観光地としての宝庫であると思う。また柑橘類の産地でもある。
”きよみ”と名付けられた蜜柑、デコポン、イヨカン等を、
新鮮で美味しく販売すると、さらにレピーターも増え、発展することであろう。
目先の収入にこだわるのではなく、遠い先を見てほしい。
”損して、得取れ”を地で行って欲しい。
以前は船を利用するしか交通手段がなかったが、島々が橋で結ばれ、
自動車で行くことができるようになった。
大崎下島にある豊町・御手洗は、昭和30年ごろまでは北前船も立ち寄り、
遊女を乗せて沖の船まで運んだと言われる「おちょろ船」や、
多くの遊女を抱えていたと言われる「茶屋」などで、賑った場所である。
現在も古い街並みが残っている。
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石積みのそり返しが美しい高燈篭。灯台の役目をしていた。
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高台に設置された公園の展望台からは、御手洗地区を見下ろすことが出来る。
また正面には、愛媛県の岡村島が見える。広島県と愛媛県の県境である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6b/71d075001c6186981e3fc932d1a9b29e.jpg)
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橋でつながってからまだわずかである。
まだまだ洗練されていない点も目に付いたが、
歴史観光地としての宝庫であると思う。また柑橘類の産地でもある。
”きよみ”と名付けられた蜜柑、デコポン、イヨカン等を、
新鮮で美味しく販売すると、さらにレピーターも増え、発展することであろう。
目先の収入にこだわるのではなく、遠い先を見てほしい。
”損して、得取れ”を地で行って欲しい。
草履は、子供の頃作った覚えがある。
自分の履物は、両親に手伝ってもらいながらでも、自分で作ることになっていた。
藁を打って柔らかくし、学校に行くための藁草履を作った。
作り方は、覚えていない。足の指を使いながら、編んだことだけ覚えている。
その草履を、浴衣地で作らないかと誘いがあった。
スリッパの代わりになるなーと、簡単な考えで参加する。
しかし、60年前の記憶は、蘇えらない。完全に忘れている。
四苦八苦して出来上がった草履は、大きさも締め具合もばらばらである。
色が似ているから、ペアであろうと判断する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/84/a6a4ec022249a2329cd78b3a89e5e598.jpg)
Hは、桜の写真を撮りに1人で出かけると言う。
予定表には、縮景園・広島城・平和公園を周るように組み、JRやバスの運賃と、
各場所の時間が書いてある。修学旅行の予定表のようである。
もっとゆとりを持ったらとアドバイスをしたが、どうするのであろうか?
H ;「交通費のお金を700円ほど、貯金通帳から出して欲しい」
ブーコ;「出世払いで、貸してあげるよ」
H ;「自分で行くのだから、自腹を切る」
一人前に成った様なことを言う。明日は、貯金を700円出しに行く。
チョット恥ずかしいなー!
自分の履物は、両親に手伝ってもらいながらでも、自分で作ることになっていた。
藁を打って柔らかくし、学校に行くための藁草履を作った。
作り方は、覚えていない。足の指を使いながら、編んだことだけ覚えている。
その草履を、浴衣地で作らないかと誘いがあった。
スリッパの代わりになるなーと、簡単な考えで参加する。
しかし、60年前の記憶は、蘇えらない。完全に忘れている。
四苦八苦して出来上がった草履は、大きさも締め具合もばらばらである。
色が似ているから、ペアであろうと判断する。
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Hは、桜の写真を撮りに1人で出かけると言う。
予定表には、縮景園・広島城・平和公園を周るように組み、JRやバスの運賃と、
各場所の時間が書いてある。修学旅行の予定表のようである。
もっとゆとりを持ったらとアドバイスをしたが、どうするのであろうか?
H ;「交通費のお金を700円ほど、貯金通帳から出して欲しい」
ブーコ;「出世払いで、貸してあげるよ」
H ;「自分で行くのだから、自腹を切る」
一人前に成った様なことを言う。明日は、貯金を700円出しに行く。
チョット恥ずかしいなー!