フッフッフの話

日常の中に転がっている面白い話、楽しい話!

若い

2012-12-31 19:46:17 | 日常雑感
 「”若いね”と お褒めに預る 歳になり」
同僚の娘さんと十数年ぶりにお会いした。貫禄のある中年真っ盛りである。
その人に「若い」と言われると、嬉しくはあるが、
そのように言われる歳になったのだと、改めて越しかたの月日を思う。

 大晦日に思うことは、この一年間の健康を感謝し、出来れば来年の健康も祈りたい。
何かの目標に向かって努力したのでもないのに、一年間大過なく過ごすことができた。
神か仏か運か目に見えない何ものかに、感謝するしかない。
そして祈ろう。”願わくば、来年もまた健康を与えてください”と。

 大掃除をしながら、考える。ガラスや畳の掃除ではなくて、箪笥とクローゼットの掃除の事である。
若かりし頃の服やカバンの整理、写真の整理をしなければ、この世から消えることはできない。
待ったなしの仕事である。外出着を少しだけ残して、躊躇せずに捨てよう。
それが終わったら、本の整理をしなければいけない。これは難しい。
欲しくて買い集めた本達である。曽野綾子氏の本はほとんど集めている。
遠藤周作、五木寛之、浅田次郎と手放したくない本が沢山ある。
私がいなくなった時、本の整理をする役目の娘は、苦労するであろう。
遺品整理に時間を取られるのは、可哀想である。

 人にも鳥達にも、見捨てられて年越しをする柿達である。



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数え年

2012-12-30 19:43:22 | 日常雑感
 子供の頃は、”数え歳”で年齢を言っていた。
お正月が来ると、父母は「一つ歳を取って大きくなったのだから、お利口にならなければいけないね」
と聞かせられて、自分でもお姉さんになった気分であった。
数え年で勘定すると、”後期高齢者”の仲間入りである。
母は、79歳から歳を取らないので、後4,5年すると母の歳に追い付く。長く生きたものである。

 晩年は亡くなる前数年という意味であろうが、自分の老年から晩年への境目は、
後期高齢者への移行の頃が目安であろうかと考える。
個人プレーをしている人達は、何歳まで仕事をしても迷惑はかけない。
社長でも、副社長や秘書等の補佐がいるので、急に姿を消しても穴埋めはできる。
しかし、政治家はどうであろうか?

 石原慎太郎氏は、80歳前後と思う。
今日はお元気であるが、何事が起こっても不思議ではない年齢である。
衆議院選から、”日本維新の会”を背負って国政に出ているので、
病気になることも消えることも出来ない。今から何年間続くのであろうか?
死ぬことも出来ない立場は、辛いことであろうと思う。
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「病者の祈り」

2012-12-29 20:21:04 | 
 曽野綾子著 「晩年の美学を求めて」の”碑文は祈る”の中。
ニューヨーク大学・リハビリテーション研究所の壁に、
一人の患者の作った詩が書かれていて、それを人々は「病者の祈り」と呼んでいる。

大事をなそうとして
 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった
より偉大なことができるように
 健康を求めたのに
より良きことができるようにと
 病弱を与えられた
幸せになろうとして
 富を求めたのに
賢明であるようにと
 貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして
 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった
人生を享受しようと
 あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
 いのちを授かった
求めたものは
 一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに添わぬ者であるにも
 かかわらず
心の中の言い表せない祈りは
 すべてかなえられた
私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されたのだ

千両は真っ赤に色づいている。小鳥も突いていない。

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ぼたん雪

2012-12-28 15:27:47 | 日常雑感
 雨の音で眼が覚める。外はぼたん雪。多量の水分を含んでいるので雨と間違える。
気温はさほど低くないので、路面凍結はない。
犬達との散歩では、ぼたん雪が路面を覆っているので、よく滑る。
犬達に、「転ぶから引っ張らないでよ」と言い聞かせても、理解してくれない。
足に力を込めて一歩一歩進む。
夜が明けるにつれて、雪から雨になった。しかし気温が上がらないので、雪はなかなか融けない。
午後になると、屋根に積もった雪が、ドタッという音を立てて地面に落ちている。
今夜このまま気温が下がると、明朝は路面凍結であろう。
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自己中心

2012-12-27 19:43:21 | 日常雑感
 我が家のHの君を紹介しよう。

血液型はB型。血液型によって性格が判断できるとは思わないが、
ものの本に書いてあるB型の性格と、よく似ている。
同時に2~3の事を頭に入れながら、優先順位を付けて行動することは苦手である。
思い込んだらそのことだけしか頭にない。
結果的には「何度言ったら解るのよ」との小言を貰うことになる。
パソコンをしようと思うと、寝るのも忘れてパソコンに夢中になる。
当然朝、起きられない。遅刻しそうになってまた怒られる。
6時47分のJRに乗るのに、6時40分に起きてくる。不思議である。

 今は、Mさんから頂いたアンプとスピーカーを繋いだり離したりしている。
低音を出すのだそうである。夕食も忘れて取り組んでいる。
年末まではこれに夢中。カレンダーを頼んだが、まだ出来ない。
年賀状もまだ作っていない。まして宿題などは、眼中にない。
始業式寸前になると、徹夜で宿題をする。勿論宿題をこなすだけなので、頭には入らない。
不思議な生きものを見るような気持である。
「みんな違って みんないい」の世界を実践している。
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言葉

2012-12-26 10:18:41 | 日常雑感
 中国新聞に、春日キスヨ氏の「男性こそ最晩年の備えを」が載っていた。
高齢社会の研究家として有名であり、講演も理解しやすく、聞く機会があった。
今回の紙面も、興味深く読んだ。その中で、「最晩年」との言葉が頻繁に使われている。
老年期、晩年、最晩年はどのような区別があるのであろうか?
「私の晩年」はどのように意識するのか?
亡くなられた人については、「あの方の晩年は幸福でしたね」とは言うけど。
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サボテンの花

2012-12-25 20:11:30 | 写真
 寄せ植えのサボテンが、大きくなり花を咲かせている。



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外気は零下

2012-12-24 10:34:58 | 写真
 クリスマス寒波と言われているが、外気は0℃以下である。
広島市北極も朝から雪である。太陽が顔を出すと消え、雲に入るとまた降る。
一日中、その繰り返しをする予定らしい。
”ホワイト・クリスマス”との美しい響きの言葉もあるが、実際は嬉しくない雪である。

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光の直線

2012-12-23 20:10:27 | Y氏の写真集
 Y氏からの写真である。
雨かと思えば太陽が出る”狐の嫁入り”と呼ばれる空模様である。
そのような変わり易い天気の朝方、小高い山から瀬戸内海を見ると、光の直線が見えた。
おそらく、太陽が海面に当たって光っているのであろうとの推測である。
真っ直ぐな直線を描いているように見える。人工では描けない。
太陽の作った見事な直線である。





 娘は携帯電話、孫のHはスマホを、肌身離さず持っている。
弁当を忘れたり、教科書を忘れたり、宿題を忘れたりと忘れ物は多いが、
スマホだけは忘れない。お風呂に入る時には、乾いたタオルに乗せてお風呂に持って行く。
湯船に落ちたらどうするのであろうと要らぬ心配をするが、まだ一度もない。
食事中も机の下にある。食事が終わったら、携帯メールをするか、
スマホでメールかインターネットをしている。無言である。
食器や鍋の後片付けをするのは、全てブーコさん。
ブーコさんは、携帯電話にもスマホにも管理されたくない。
これらの機器を持ち歩く習慣はない。だからいつも不携帯である。
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「幸せの才能」

2012-12-22 19:50:30 | 
 左を見て、右を向いたら、1年間が終わってしまうほど早く過ぎる。
これは喜ぶべきことであると、曽野綾子著「幸せの才能」に書いてある。
身体の調子もまあまあで、家族も仕事も順調に経過しているから、
Ⅰ日が飛ぶように過ぎている幸福な状態であるとのこと。

 褒め言葉なのか、それとも逆なのか、定かではないが、打たれ強いと言われた。
打たれ強いと言われても、土足で入り込み、皮肉をタラタラ言われると、釈然としない。
すっきりして前向きに進むには、慣れ親しんだ曽野綾子氏の本が一番である。
昔の本を取り出して読めばよいものを、又買ってしまった。

 私の中の聖書の世界が、遠くに追いやられていた。
最期は神に任せようというゆとりのある態度を忘れていた。
自分が……。自分が……。といういきり立った気持ちが先行して、心が波立っていた。

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