チビタベッキアに寄港。「今日もスリは出勤していますよ。」と、観光前のセリである。
チビタベッキア港から約1時間30分バスに揺られて、ローマ観光に出かける。
ローマを訪れるのは数回目であるが、今回はゆとりが無く駈け足旅である。
オードリ・ヘップバーン主演の映画・「ローマの休日」が上演された時に。
スペイン階段や真実の口等の現場が見たくての旅もあった。
一昔前より観光客は増えている。更に目を見張るのは、道路の両脇に駐車している自家用車である。
日本では見なれない状況である。そのためか一方通行の道路が多い。
道路には沢山のゴミが散乱している。空地等には大きなビニール袋が投げた棄てられている。
何が落ちているか分からないので、”下を向いて歩こう”。
犬を連れて散歩している市民が多い。犬は皆大人しく犬同士は関係する事はないようである。
マルセイユ(フランス)では、下船して観光予定である。
始めの乗船時にクルーズカードを渡され、首にかけている。
クルーズカードには、パスポート・顔写真・ビザカード等の個人情報がすべて入力されているので、
紛失したら命取りになりそうである。
下船時には、クルーズカードを機械が読み取り、スムースに行動できるはずなのに、
私だけは顔写真が表示されないで読み取らず、ブーと鳴る。
5階のカウンターに行き、情報を入力して来いとの指示。慌ててパニクッてしまう。
仕方なくカウンターに引き返すと、添乗員も心配して来てくれるので大事にならずに一件落着。
無事に下船すると仲間が待ってくれ嬉しかった。「地獄で仏に遇ったようである。
物事が終わった後に悪口を言う。「イタリア人の気質丸出しだよね!」
夜、関空を出発。ドバイで乗り継ぎ正午頃バルセロナに到着。
日本とスペインの時差は、マイナス8時間である。
空港から大型客船「MSC メラビリア」に乗船。「MSC メラビリア」の紹介。
イタリア船籍で、「素晴らしい」という意味である。
3万5千トンで、乗客定員5,714名、乗務員約1,500名、客用エレベーター19台。
広い面積を持つ我が街の人口は、約9,000名である。
その事から考えて船内は、人・人・人で溢れ返っているのが想像できる。
乗船時は、自分の部屋・夕食時のレストラン・朝食場所を覚えるのが精一杯!。
船の前・後も解らず、勿論自分の立ち位置も分からない。
現在地を調べるのには、船内至る所にタッチパネルが備えられている。
それを上手に使えるならば解決であるが・・・・。
大型船なので、揺れは少ないが、ベッドに入ると波音がする。
「地中海クルーズ」に出発する。関空を出て関空に帰るまで10日間の旅である。
例年2月に海外旅行をすることになっているが、毎回今回が最後かなと思いながら出発する。
クルーズは、初めての最後になるであろう。船旅の経験がしたいと思っていた。
25日夜に帰る予定である。何事もなく穏やかな旅になるように祈る。
粗探しをする嫌な女だと認識しながら、つい目に入ってしまう。
知人から葉書。春の足音がそこまで来ているとの絵手紙である。
桜の花びらをあしらった力作で、春を感じる。
その文章。「寒い日が次ますが・・・・。」とある。きっと「寒い日が続きますが」であろう。
更に我が家の郵便番号が、我が家の電話番号になっていたのには驚いた。
うっかりミスであろうが、正確に我が家に届いたのは、郵便局の配慮であろう。
友からの電話。
友 ;「物忘れがひどいので、認知症検査を受けようと思う。血液検査とレントゲン検査する予定。」
ブーコ;「認知症初期との検査結果が出たらどうするの?」
友 :「意識したら気を付けるようになるかも」
ブーコ:「自分が認知症と知ったら、生きる力が無くなり更に認知症が進むかもね」
健康検査をして、病気を初期に発見し治療しようと、市町村で集団検診が行われる。
若い人達は、検診を受け健康な人生を送って欲しい。
高齢者になると、わざわざ探してまで病気を見つける必要はないと考える。
しかし、人間それぞれの考え方があるので、一概には言えない。
Y氏が毎日登っている山道の雪景色である。例年はあまり雪の降らない地方であるが、
今年は異常である。九州北部や山口方面から、雪雲が湧いて来たような気がする。
節分も終わったので、そろそろ季節も移動するのではないであろうか!
期待を込めて天気予報を聞いている。
母は、2月の寒い日に黄泉の国に旅立った。その母と同じ歳になってしまった。
「夕方や雪雨の日は寂しく、死について考える」と言っていた。
その言葉に、本気で取り組むことをしなかった。いつまでも忘れることが出来ない。
今ならしっかり受け止め、話が出来るのに・・・。
父の歳までには、数年間ある。父と同級生になることが出来るかどうかは分からない。
父の歳になれば、また違う世界が見えることであろう。
辞書を引くと「狭量とは、人を受け入れる心が狭いこと、度量が狭いこと、また、そのさま。」とある。
社会福祉協議会の会合があった。会合の最後に地元小学校の校長と保護者会副会長からの発言があった。
見守り活動に対する感謝と、更に来年度へのお願いである。
各自治区会長へのお願い文書も手渡した。その時に、自治区名が読めないのである。
学校長を2年もしている校長が、子供たちが通学している自治区の名前が読めないでどうする!
保護者会副会長からも、マイクを通して今後もよろしくとの挨拶があったが、
口に大きなマスクをしたままマイクを通したので、顔も分からない。
1分位マスクを外して挨拶したらどうなのと思ってしまう。二人とも若い女性たちである。
重箱の隅をつつくようなことにイライラっとしてしまう。これがストレスになる。
自分でも狭量な人間であると思う。聞き逃し、見逃してしまうことが出来たら、幸せになれるのに・・・。
自分の狭い経験の 中で作り上げた価値を認め、正しいと思って 積み上げてきたのである
せめて、他人に押し付けないようにしよう。
曽野綾子著「人生の退き際」をめくっていたら、懐かしい人々の名前があった。
約20年前に、”聖地巡礼”旅行でお会いした人々である。
色々の分野で活躍中の人達であった。とても声を掛けられるようなお方ではないのであるが、
長期の旅行中には、同じテーブルでの食事もあり、お話をする機会があった。
三浦朱門氏、樋口廣太郎氏、三枝成彰氏等である。黄泉の世界に入られた人もある。
特に樋口氏は紳士であった。一言二言しか話はしていないが、あれからファンになり、
”ビールを飲むならアサヒビール”と決めている。勿論ビールの味は解らない。
朱門氏には、家で飼っておられた猫の話を聞いた。
「かまぼこの美味しさが分かる賢い猫だよ。ブスだけどね。」と言われた。
懐かしく昨日のように思い出す。自分だけの思いである。
最近は思い出の中に生きる時が多い。