雨が降ったり、太陽が出たりの繰り返し。1日中気分の滅入る天気。
太陽が出たと思って洗濯物を干すと、雲に覆われて雨が落ちる。
また太陽が出るの繰り返しである。洗濯物は乾燥機で乾かす。
TVは、まず肺炎コロナウィルスの放映から始まる。
日本でも7例目の感染者が出た。収束の兆しは見えない。
世界中どこにでも行ける時代になった。人間の往来も自由であるから、良いことも悪いことも拡散する。
ウィルスは目に見えないから困る。取捨選択することができない。
お天気が定まらないので、田んぼにも畑にも出ることができない。
体を動かさないと硬直するのが目に見えるような気がする。
同じ姿勢で長時間過ごすと、肩や腰が痛くなる。立った途端によろけてしまう。
長時間虫眼鏡を通して本を読んでいると、目が疲れて肩や頭まで痛くなる。
歳を取ることは厳しい。今まで出来ていた事がだんだん難しくなる。
特に「反日種族主義」の本は字が小さく、なかなか読み進むことが難しい。
先日、老人会や自治会総会で、「”終活”の話があるので聞きに行きましょう。」と誘った。
その日が近いので再度確認した。すると一人の高齢者から、「それって何のこと?」と言われた。
「メモ帳にも、申込書にも書かれましたよ。」「そんなこと覚えていない。」と言ってメモ帳を出される。
するとそこに書いてある。「いつ書いたのかしら!覚えていない。」とのことなので、
「お迎えに行きますから行きましょうよ。」と言った。 ”終活”を聞いてもあまり意味がないかな?
これは認知症の始まりかもしれない。自分が書いたことまで忘れるのは、ちょっと困る。
本人も不安なのであろう。「この頃おかしいのよ。どうしたのだろう。
何もかも息子に任せっきりだから、いけないのかしら!」
”今日は人の身 明日は我が身” 「私は誰でしょうか?」と言うようにならないとも限らない。
先日借りた「反日種族主義」を読んでいる。字が小さいので、虫眼鏡が必要である。
それに日本人には心地よいことが書いてある。数値や表を使っての説明である。
このように理論的に見える文章には弱い。やっと全体の1/3を読んだ。
雨を幸いに読んでいるが、座ったままでは体が固まってしまう。
九州では、大雨警報が出ている。大風も吹いている。
関東地方では、大雪との予報も出ている。わが中国地方は、初雪はまだである。
気温も、3月・4月と暖冬である。
このまま春・夏と季節が移り替わると、どこまで気温が高くなるのであろうか?
中東では、第3世界大戦になる可能性をも含んでいる。
トルコでは大地震が起きている。北朝鮮では、核の脅威が増している様子。
オーストラリアでは、大規模な山火事と・大洪水が起きている。
中国・武漢市を中心として、新型コロナウィルスによる肺炎が、世界に広がりつつある。
武漢市では、市内から出ることができないように都市封鎖をした。
このウィルス脅威はいつまで続くんか先が見えない。
この状態を、サタンが大暴れをし、神が姿を消した状態だと言っている。
ハルマゲドンとの言葉で表されるのか?
もうすぐサタンの世から、神の活躍する世界になるのだという。
そのように考えているのは、キリスト教から分派した新興宗教の人々の主張である。
穏やかに生活できる世界になるのは、いつのことであろうか!
庭の草取りをしているわずかの時間に、電話がかかったらしい。
電話のあったことを示す表示が出ている。ボーっとしている自分を気遣って、
ディスプレイに電話番号(名前)が出ると同時に、録音機能が作動するようになっている。
今日掛かった電話も番号が出ている。同じ町内の固定電話番号である。
固定電話からなので掛けなおすことにした。
「先ほどお電話を頂きました〇〇です。」高齢女性が出て、
「わしゃー、そがいな電話はかけとらんよ。あんたなんか知らんけー。」とのことである。
町内だから番号を調べることもできるが、用事がないならそれでよしとする。
気をまわし過ぎてもいけない。用事があれば又掛けるだろうと、のんびり構えよう。
暖かいので日本水仙が花開いている。我が家のラッパ水仙はまだ蕾ものぞいていない。
リーガロイヤルホテル1Fで、新年会をする。
美味しく・珍しい物ばかりで、ほっぺが落ちるのではないかと期待した。
しかし、田舎者であり・高齢者であることから、西洋料理は口に合わない。
野菜の具沢山の豚汁・薄味の大根を沢山入れたおでん等ばかりを、
美味しいと言って食べている輩には、肉やソース等を多量に使った料理は胸につかえる。
アルコール類は高い。中ジョッキーの生ビールが1,100円である。
他のレストランよりも美味しいということもなかったようである。
市内での新年会であるから、JRを使う予定で時間確認に駅まで行って調べた。
しかし、朝になると列車に乗るのがうっとうしくなり、やはり自動車になった。
リーガロイヤルホテルにまで乗ると、駐車料金も馬鹿にならないので、近くのスーパー駐車場を無断拝借する。
帰りに買い物をして謝意を表す。散歩を兼ねて短時間歩くことになる。
広島城やその公園を歩きながら、ゆっくりと眺めた。
JA主催のイキイキ体操日である。
いつものように、ポイント手帳に印を押し、出席を取るのが役目である。
時間に遅れて高齢女性が来た。体操終了後に処理をする。
始めて来られたようで、ポイント手帳を持っていないとのことである。
まだ70歳未満の若さであろうか?自分より年上かと思ったのに・・・。
「初めてなので、名前を記入してください。」とお願いすると、やおらボールペンを出し作業をする。
するとボールペンでは、文字が書けない。カートリッジ交換が必要なのかもしれない。
替えのボールペンを渡して作業をする。名前を書き終わると、「次はいつですかね。」と訊きそのまま帰る様子。
「ボールペンをお忘れですよ。」と言うと、「使えないから要らない。」
(オイオイ、自分はゴミ箱ではないよ)と言いたいのであるが、
「今日は寒いからボールペンが固まっているのかもしれません。
帰ってストーブで温められると、また使える可能性がありますよ。」と言う。
すると、ボールペンを取って袋に入れ、持ち帰った。ヤッター!!
なんて優しいブー子さんであろうか。
初めから持ち帰る態度なら、「必要でないのなら捨てましょうか。」と声をかけるかも。
曽野綾子氏ファンの一人である。
以前、「いつの日にか、イエスという人について書きたい。」との文章があった。
その本が単行本として出版された。購入したいと思ったが、
「今後新しい本の購入は控え、図書館で借ります。」と公言した手前があり、躊躇していた。
本屋さんに寄っては、立ち読みをしていた。それを娘に言ったら、
「読める時に読まなかったら、もうすぐ読むことも出来なくなるよ。残った本はどこかに寄付するから。」
との言葉に背中を押されて、購入した。
曽野綾子著 「イエスの実像に迫る」 海竜社発行
夢中で読んでいるが、難しく理解のできない個所もある。急ぐ必要はないので、また繰り返し読めばよい。
この本の装丁が素晴らしい。最近の曽野氏を篠山紀信氏のカメラで撮ってある。
時々その写真を眺めながら、本を読む。