曽野 綾子著 中央公論社 1995年
この本の主題は、聖書 使徒言行録 ローマの信徒への手紙 12章 19節~21節
”愛する人達、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること。
わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、
燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、
善をもって悪に勝ちなさい。”である。
穂積 亜季子は、夫亮治とシンガポールで暮らしている。
亮治の度重なる浮気に、一年前から離婚を考えていた。
離婚を決意し、日本に帰り、東南アジア系の民芸店を開く。
同時に同級生で画家の有馬 洋明との生活を始める。
離婚後亮治は女の部屋で事故に合い、大やけどをする。
耳は片方がやっと聞こえ、眼はまったく見えない状態になる。
傷が癒えた頃、亮治はフランスのルルドに行き、軌跡の泉で沐浴したいと言う。
いろいろな事情から、ルルドに助手として付き添うことになる。
ルルドに着き、軌跡の泉で沐浴をする。身体的には奇跡は起らなかった。
しかし、亮治は何度も泣いた。「僕は過去を振り返ることは止めにするよ」
亮治の価値観が変わった。これが奇跡であろう。
ルルドから帰った亜希子は、有馬に促されるようなかたちで、
有馬との安定した生活を捨てて、亮治の眼となって生活することを選ぶ。
有馬の人物がすばらしい。このような考え方の出来る大人が、
存在することを知ることだけでも、一読に値する。
有馬の言葉。「……家族に尽くすことは、自己愛の変形に過ぎないから
大して尊いことではない。……今世間はやりたいことをやることが生甲斐だ、
ということばかり言っているけど、それは多分本当じゃないんだよ。
だから不満な人ばかりいることになる。したいことじゃなくて、
するべきことをした時、人間は満ち足りるんだ。……」
この本の主題は、聖書 使徒言行録 ローマの信徒への手紙 12章 19節~21節
”愛する人達、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること。
わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、
燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、
善をもって悪に勝ちなさい。”である。
穂積 亜季子は、夫亮治とシンガポールで暮らしている。
亮治の度重なる浮気に、一年前から離婚を考えていた。
離婚を決意し、日本に帰り、東南アジア系の民芸店を開く。
同時に同級生で画家の有馬 洋明との生活を始める。
離婚後亮治は女の部屋で事故に合い、大やけどをする。
耳は片方がやっと聞こえ、眼はまったく見えない状態になる。
傷が癒えた頃、亮治はフランスのルルドに行き、軌跡の泉で沐浴したいと言う。
いろいろな事情から、ルルドに助手として付き添うことになる。
ルルドに着き、軌跡の泉で沐浴をする。身体的には奇跡は起らなかった。
しかし、亮治は何度も泣いた。「僕は過去を振り返ることは止めにするよ」
亮治の価値観が変わった。これが奇跡であろう。
ルルドから帰った亜希子は、有馬に促されるようなかたちで、
有馬との安定した生活を捨てて、亮治の眼となって生活することを選ぶ。
有馬の人物がすばらしい。このような考え方の出来る大人が、
存在することを知ることだけでも、一読に値する。
有馬の言葉。「……家族に尽くすことは、自己愛の変形に過ぎないから
大して尊いことではない。……今世間はやりたいことをやることが生甲斐だ、
ということばかり言っているけど、それは多分本当じゃないんだよ。
だから不満な人ばかりいることになる。したいことじゃなくて、
するべきことをした時、人間は満ち足りるんだ。……」
2005年6月末、中国・敦煌を旅した。敦煌の街を一歩出ると、
見渡す限り砂漠・ゴビ灘である。そこで見つけたのが、石である。
「きれい!」と思わず手に取りたくなるような石が、無造作に落ちている。
それらを記念にと持ち帰った。石のままではそのうちに忘れてしまうであろう。
U氏は、それらの石を勾玉に加工した。
石の加工だから、道具と根気が勝負である。自然のつやも出て上出来である。
昔、勾玉を身に着るのは、身分の高い人達で、魔除けの意味があったといわれる。
自分もネックレスにしようと思うが、長さが5cmもあるので、重い。
身に着けて魔除けにしなくても、この歳になると魔物も逃げるであろう。
シルクロードの思い出として、大切に保管する。
見渡す限り砂漠・ゴビ灘である。そこで見つけたのが、石である。
「きれい!」と思わず手に取りたくなるような石が、無造作に落ちている。
それらを記念にと持ち帰った。石のままではそのうちに忘れてしまうであろう。
U氏は、それらの石を勾玉に加工した。
石の加工だから、道具と根気が勝負である。自然のつやも出て上出来である。
昔、勾玉を身に着るのは、身分の高い人達で、魔除けの意味があったといわれる。
自分もネックレスにしようと思うが、長さが5cmもあるので、重い。
身に着けて魔除けにしなくても、この歳になると魔物も逃げるであろう。
シルクロードの思い出として、大切に保管する。