頭がおかしくなるくらい暑い!動くと汗になる。
汗で背中が痒くあせもが出ている様子。汗が出たらすぐにシャーワーを浴びたくなる。
シャワーで汗を流していると、こちらを見ている眼を感じる。
不動の姿勢でジーっとこちらを眺めている。
「こらー!見るなー!」と叫んでも動じる気配なし。
母親とバンビであろうか?バンビの背中には白い斑点が残っている。
先日は長い立派な角を持った父親らしいのもいたが、今日はオスは見当たらない。
大声で叫んでも、大きく手を振っても、逃げる気配はなし。
「お前!馬鹿か!」と言うような眼で眺め続ける。
相手にするのは馬鹿らしいので、シャワーに専念する。
ふと気が付くと、見飽きたのか、魅力がなかったのか、親子ともに山の中に隠れてしまっていた。
我が家の周囲は、鹿達が立ち入らないように網を巡らしている。
網の中で育っているアジサイやグラジオラスは、花を咲かせている。
M氏は、65歳である。東京の会社を定年退職し、生まれ故郷のこの地に落ち着く。
両親の残した田畑を作っている。農業は、周囲の人に聞きながら本を参考にしている。
「走るだけでは脚力がつきません。登り坂で自転車こぎをすることにしました。」
と言って、朝夕我が家の前の坂道を利用している。
真っ黒に日焼けして、ますます逞しくなっている。逞しい肉体を惚れ惚れと眺める。
「8月の北海道マラソンに出ようと思います。調子が良かったらホノルルマラソンも狙っています。」
今まで我が周囲には見かけなかった種類の人間である。
ますます応援しようと思う。目標があるから、毎日の自転車漕ぎも出来るのである。
目標を持つことは重要なことである。黙って、熱く応援しよう!!
自分は、なんとなく歩いているから、サボることが多くなり筋力もつかない。
フラミンゴプランツ又の名をサンゴバナと言う。フラミンゴの色に似ているので、着いた名前とも聞いた。
花言葉は、「あきらめ」とか「揺れる心」と書かれていた。挿し芽で増やすことが出来る。
年金は、0.4%ほど下がった。しかし、物価は日々上がっている。
ガソリンを注いだ。1Lが169円に高騰していた。1000円では、6L入れることが出来ない。
自動車がないと何処にも行くことが出来ない。行動半径が小さくなる。
限られた年金で生活するためには、取捨選択をしっかりする必要がある。
お腹が空いた時には、食料品売り場をうろうろしない。
同居人の夜勤の日には、買い物に行かないで、畠に行って食べられそうなものを探すことにする。
今夜は、キュウリの漬物・茄子の油炒め・トマトとジャガイモのサラダが並ぶ。
更に味付け海苔・ふりかけと豪勢である。
ベゴニアが咲き始めた。オレンジルブラは、寒さにも強く冬越をした。
24日は、介護施設・三篠会 「白木ツジマチ」の落成式があり、その後施設見学会がある。
同居人と共に見学会に行く。新しい施設なので、どこもピカピカ!
沢山の施設が入居する。こども園・老人保健施設・特別養護老人ホーム・デイサービス・
地域包括支援センター等すぐに相談できる施設がいっぱいある。
周囲には、スーパーマーケット、ウオンツ、郵便局・銀行ロ等・バス停もある。
県道37号線の前である。地区の1丁目1番地に存在する。
特養や老健は、2人部屋や4人部屋があり、ベッドと小さな箪笥と
歯磨き入れのボックスがあった。これを自分の終の棲家とするのは少し寂しい。
トイレは座ると足が床に届かないように高かった。機械で支えるようにベルトが付いている。
お風呂も、少人数で入れるような浴槽が沢山準備されている。
また座ったまま入浴できる設備、寝たまま入浴できる設備がある。
どのように立派な設備であろうと、自立して人生を終わることが出来れば最高!!
朝から雨である。雨では仕事も出来ないと、ゆっくり新聞を読む。
朝からトロトロしていても心が痛まない。
老人会に行って百歳体操をする以外には、何の計画もない。穏やかな日である。
同居人は仕事休みの日である。午後になり本屋に行こうと話がまとまる。
いつも行く本屋は、新刊本と中古本を扱っている比較的大きな本屋である。
本購入の領収書を提示すれば、コーヒーが安価に飲めるのも嬉しい。
購入籠を持って古本を探すのも、心躍る仕事である。
発行年月日は少し古いけど、探せば読みたい本はある。その値段も110円と付いている。
単行本はもう少し高い。五木寛之著 「親鸞」上・下を購入。2冊で660円也。
玄侑送球著 「釈迦に説法」とか、斉藤孝著 「読書する人だけがたどり着ける場所」等数冊購入。
仕事の出来ない梅雨の期間も、暑さがやって来る時にも何とか過ごせそうである。
その内にまた同居人の休みの日には、誘ってもらえるであろう。
幸福を感じる1日であった。
6月のお婆ちゃん4人会をする。全員80歳以上の会である。
最高齢は97歳。急激に機能が下がりつつある。
耳が聞え難くなったので、会話が進まない。
会話に入ってこられなくなり、「気分が悪いのですか?」と訊くことになる。
先ほど終わった話題を、又蒸し返すことになる。ツーカーとは会話が進まない。
それも自然の成り行きであろう。明日は我が身である。
立ち上がる脚力が、会う度に弱くなる。いつまで支えることが出来るか不安である。
全ての物事には終わりがある。始める時のエネルギーはあまり必要としないが、
辞める時にはエネルギーが要る。この結末をどのように付けるか・・・・。
会うことは別れ行くため、花咲くも散りゆくため。