フッフッフの話

日常の中に転がっている面白い話、楽しい話!

心痛む日々

2020-06-30 19:16:28 | 日常雑感

 広島県は大荒れである。毎日のように、新聞とTVがトップニュースで取り扱う。

各地の市長・県会議員・市会議員が、次々辞職しなければならない状態になる。

何人が辞職に追い込まれるのか、どのように収拾するのか見当が付かない。

河井夫妻の選挙買収問題である。汚れた1票になり、やり直し選挙が必要である。

2年前の大水害の後始末が終わっていないのに、

コロナ禍でお金が要り、やり直し選挙でお金が要り、大きな借金を後世に残すことになる。

 

 曽野綾子著 「現代に生きる聖書」(新約聖書)を読んでいる。

何度も手に取って読んだ本なので、ところどころにコーヒーのシミが付いている。

何度読んでも身についていない。ヨハネによる福音書 8・1~11 姦通の女

”姦通の現場でとらえられた女を連れてきて、イエスに問うた。

「石で撃ち殺せとモーゼは律法で命じているがあなたはどう考えますか?」

イエスは答えられた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、この女に石を投げなさい。」

一人また一人と立ち去って、イエスとその女だけになった。”と書いてある。

この個所を読んだ人がいないのであろうか?自分も罪を犯す人間であることを知らなければいけない。

小さな嘘を言い、仕事をなまけ、見て見ぬふりをして通り過ぎたりと、毎日罪を重ねている。

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10万円

2020-06-29 20:57:10 | 日常雑感

 本日、10万円が振り込まれた。正直嬉しい!

何一つ働かないで、申請書を書いただけで、10万円が手に入る。

我が日常を考えると、農作業をしても無料である。

草を刈っても、草を抜いても、すべて0円。

稲作りをしコメを出荷しても、機械代・肥料代・農薬代に化けてしまう。

稲を植える面積を大きくすればするほど、負の所得が増える。

米を作らないで、米を購入したほうが、損失が少ない。

なぜ負の所得なのに、稲を作るのかと言うと、作る楽しみと励みになるからである。

さらに、身体を動かすのでフレイルになるのを先延ばしできるかなとの思いである。

この状態を考えると、今回の10万円には、感謝しかない。大切に使う予定である。

早速、今夜の夕食に使う。お豆腐(18円)・カレー(1パック280円)・

サラダ(卵・ジャガイモ・ブロッコリー・トマト・キュウリ)である。

貧しさに慣れている者は、10万円頂いても、やはり贅沢は出来ない。

少しずつ使うので、経済活動に協力できるかどうかは心許ない。

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野菜

2020-06-28 20:10:05 | 日常雑感

 雨の降らない時は、畑や庭の草取りをする。

自分では結構きれいに取っている積り。しかし、雨が降るとすぐに青くなる。

根っこまで引っこ抜いて丁寧に草を取っている積りであるが、

雨の度に芽を出す。自分をあざ笑っているようである。

今日は雨の合間である。畑に行くと草が生えている。

キュウリもゴーヤも大きくなり実も成っている。

トマトも赤く熟れ始めている。トウモロコシも髭が伸びた。

豆はまだ花が咲いていないから、楽しみには時間がかかる。

 

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お金で動いた政治

2020-06-27 17:00:59 | 日常雑感

 現在、「広島県人です」と名乗るのが恥ずかしい事態が起きている。

TV・新聞・週刊誌とも、話題に事欠かないであろう。

日本を揺るがしかねない問題である。お金で事態が動く日本になりつつある。

コロナと同じように早く収束してほしい。

新聞は1面からこの問題を扱い、どのページにも関連記事が載っている。

 「コヘレトの言葉」を読んでいると、日本国への警告かと思わせる文章があった。

貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、

正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。

なぜなら、

身分の高い者が、身分の高い者をかばい、

更に身分の高い者が両者をかばうのだから。

何にもまして国にとって益となるのは、王が耕地を大切にすること。  ”5章7~8

グラジオラス白の花言葉は、「密会」と書いてある。

グラジオラスを贈り物にする時には、花の色を確認して送らないと、とんでもない誤解を受けそうである。

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峠は越えたかな!

2020-06-26 21:14:04 | 日常雑感

 梅雨の止み間に、Fさんに会いに行く。

心配と不安とで一人ではいけないので、Kさんと行動を共にする。

Fさんは、ステージ4胃癌の手術をした。回復すと期待していたのに、

手術後、抗がん剤治療をしたら、食事を受け付けなくなる。

食べるとすべての物が下ってしまい、みるみる体重が落ち、骨皮になった。

近くの医院で点滴をしたら、やっと体重減が止まった。何とか危機的状況を脱出。

今日は、「秋頃には、美味しい物を食べに行こう。」との言葉も聞けた。

峠は越えたのだと、胸をなでおろして帰途に着いた。

 

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大雨

2020-06-25 19:12:11 | 日常雑感

 早朝から大雨である。何もできないからとゆっくり休む。

カラカラに乾いていた田圃にもたっぷり水が入ったことであろう。

畑もしっかり潤った。

朝食後、コーヒータイムと称し新聞を隅から隅まで読む。

どのページにも、河井夫妻の記事があふれている。

更に現金をもらった有名人や責任ある立場の人たちが、名前を連ねている。

多くの人たちが辞職に追い込まれることであろう。

お金はないけど、嘘を言い辞職までしなければならない苦しみはないので、

呑気なことを言っている。

 今日は1日、何もしないで机に座っていた。本を読んでいたら直ぐに眼が疲れて、

眠くなる。無為に過ごした日である。

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国民休暇村・帝釈峡

2020-06-24 21:13:01 | 

 同期生夫婦3組と自分との7人が、国民休暇村・帝釈峡に集まる。

80歳前後の高齢者の集団である。

同じ年頃の集団では、自分の歳や姿を気にしなくてよい。

60代、70代の人たちとお喋りする時には、あれもこれもと気にすることがある。

どうにもならない皺やシミまで気に掛かる。

歳を取るにつれて変化の速度が速くなる。

1年ぶりに会うと、シミ・皺・毛の薄さ・聞え難さ・姿勢の崩れなどの変化がある。

自分の変化も隠す必要がない。死に向かって急速度で近付きつつあるのだ。

一緒に食事をしながら、「最後の晩餐」にならないように健康に留意しよう、

また筋力を落とさないようにしようとの話になる。

次回は、11月初旬の出会いを約束して散会。いつの日にか会うことも難しくなるのである。

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鉢植え

2020-06-22 19:11:07 | 日常雑感

 先日、久しぶりに買い物に誘われて行く。

たくさん並べてある花の一つを眺めていた。

鉢物の花は、誰と出会って誰に持ち帰られるかによって、花の命が大きく変わる。

それを考えると、自分だけの嗜好によって購入すべきではないと思っている。

並んでいた花々の中に、興味をそそる花がある。

説明書を読むと、白い花のように見えるのはガクであり、黄色い星のように見えるのが花と書いてある。

しばらく眺めていると、「欲しいのなら購入したら。」と同居人が背中を押す。

この花の名前は、”ホワイトコンロンカ”とのことである。

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犬の散歩

2020-06-21 21:01:24 | 日常雑感

 小さなポチに嫌われ、散歩が出来なくなった。

ポチの家の人たち2人とも入院し、ポチはそのまま家で留守番となった。

その家の娘さんが1日に1回来て、ポチの餌やりと鉢への水やりをするとのことである。

ポチは不安定になり、ストレスが溜まるのであろう。

散歩に行こうと近付くと、牙をむいで私を脅す。

散歩と餌やりくらいはあまり重荷にならないのでと思ったが、無理である。

近所の人にも確認をしてもらい、散歩も無理になったことを伝える。

”チュールチュール”まで持って行って機嫌を取ろうとしたが無理である。

「いったい私が何をしたというの?」と文句を言いたいが、返事はない。

散歩は終わった。

 

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あしあと

2020-06-20 20:23:26 | 日常雑感

  友とお喋りをする。「コヘレトの言葉」について話すと、以前読んだ詩を紹介してくれる。

感動したので書き取ったと言って、次の詩を読む。

曽野綾子著 「老いの才覚」にも載っていた。作者は無名詩人である。

 

夢を見た、クリスマスの夜。 浜辺を歩いていた、主と並んで。

砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。 私のそれと、主のそれと。

 

ふと思った、夢のなかでのことだ。 この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって後ろを振り返った。 足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。

 

ところが、一つのことに気づいた。 ところどころ、二人の足跡でなく、一人の足跡しかないのに。

 

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

 

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、 生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、悪を望んだ日、利己主義の日、試練の日、やりきれない日、自分にやりきれなくなった日。

 

そこで、主のほうに向き直って、あえて文句を言った。

「あなたは 日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。 なぜ約束を守ってくださらなかったのか。

どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、まさにあなたの存在が必要だった時に」

 

ところが、主は私に応えて言われた。

「友よ 砂の上に一人の足跡しか見えない日、それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」

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