古典に「女と鬼は、人前に出ない方が良い」との言葉があった。
古典にでてくる姫君は、家の奥深くに居て、男性に顔を見られる事をも用心している。
夫婦になった後でないと、顔を見られる事がないとのことである。
髪は白くなり、顔には皺が寄りふくよかさが無くなり、
鬼に近いような姿の老婆になると、人前に出ないようにするのが礼儀であろう。
近所のOさんと立ち話をする。大きな災害が起ったり、動物達が荒らしまわったり、
太陽が出ないので野菜や稲は不作になり、白菜や大根は成長するのだろうか。
不安は次々押し寄せる。会話の落ちは、「あと10年も苦しむことはないだろう。
今日は生きていて、今夜食べる物があるのだから、幸福であるとしよう。」である。
安佐北区福祉センターに行く。安佐北区のボランティアの中心になっている。
スコップを担いだり、土嚢袋を持ったりした人達が、10数人のグループになって、
徒歩で被災地に向かっている。学生かと思われるような若い人達が多い。
時には定年ぐらいな人も見受けられる。「お疲れ様です」と声をかける。
ロビーに入ると、ボランティアだけではなく、色々な受付窓口がある。
そこで声をかけられた。「困りごと相談ですか?」
国道54号線は、消防・警察・自衛隊の車がひっきりなしに通る。
タイヤが黄色のまさ土で、汚れている。アスファルトの路面に落ちても、すぐに雨で流される。
からっとした秋の天気には、なりそうにない。このままでは、野菜も稲も不作であろう。
生きて心を痛めることができることは、幸せであると感謝しよう。
自己を律する力に特に優れている方は、美智子皇后であるとの文章を読んだ。
納得である。いつもにこやかに穏やかであられるのは、自律の極みである。
比べるのもおこがましいが、自分は自己コントロールができていない。
チョットの事で、嬉しくなったり、悲しくなったり、腹立たしくなったりと、感情の起伏が激しい。
それを律するためにと、「曽野綾子の日めくり暦」を掛けている。
心が穏やかになる言葉が、日毎に書いてある。今日の言葉は、
「優しくされたら 労られているのだと思った方がいい。
言い返されたら 一人前に扱われているのだ。」である。
我が家の住人は、沢山のお喋りはするが、言い返したりはしないので、
自分は労られているのだろうか?弱い老女なのであろうか?
明日の日めくり暦の言葉は、
「幸福な一生も、不幸な一生も 一場の夢と思うこと。
さめるとき(死ぬとき)について 思い悩まぬこと。」である。
Y氏からの面白写真(?)である。
機械植えの田圃であるが、植える時に箱苗を間違ったのであろう。
農家の事が分かっていない手伝いの人が、作業をしたのかもしれない。
刈り時の違う二種類の稲を、区別することなしに植えてしまったのであろう。
一筋ずつ違っているので、早稲を手刈りするしかないであろう。
ちょっと大変ですねー!
こちらの田圃では、猪が運動会をしている。手刈りにしても大苦労である。
毎晩運動会をする。トタンを倒したり曲げたりしながら、人間の苦労をあざ笑っている。
腹を立てながら毎日修繕していたが、その効果なく連日運動会が続く。
アホらしくて、腹を立てる気力もない。ヘラヘラと笑うだけ。
もう少し熟れたら、少量でも刈り取ろう。あの人にも、この人にも、お正月餅を送りたい。
夕方になって写真を撮った。昼間に撮ると、哀れな写真になり過ぎる。
最近耳にする言葉に、「コンビニ文化」がある。
どのような文化であろうかと思いながら、自分もすでに侵されているのではないであろうか?
久しぶりに拝む太陽の顔である。外はジガジガと皮膚が焼けるように暑い。
雨続きで、草が伸び放題なので、草刈りをする。
一休みしようとした時、熱いコーヒーが飲みたくなった。
家に帰って、靴を脱ぎコーヒーを入れていると、シャワーを浴びて服を着替えたくなる。
すると二度と仕事をする気分にならなくなる。だから家には帰りたくない。
100円だけをしっかり握って、泥靴で体中汗の臭いをぷんぷんさせながら、セブンに車を飛ばす。
レギュラーコーヒーを買って持ち帰り、涼しい所で、だれにも遠慮することなくコーヒーを飲む。
至福の時である。もう一仕事する元気も出てくる。
これがコンビニ文化なら、捨てたものでもない。