11月が終わろうとしているのに、まだ田圃に稲が立っているとは!
Y氏からの写真である。昨年も稲を焼いてしまった写真があった。
今年も同じ事になるのであろうか?何のために労力を使って苗を植えるのであろうか。
一日も早く刈り取って収穫して欲しい。稲に対する礼儀でもある。稲にも命があるのだ。
我が地区の守り神の居られる小さな神社のお祭である。
神社は、急な坂道を登った山中にある。高い樹が林立しているので、麓からは陰になっている。
13時頃から、掃除をし沢山の落ち葉を集めて火を点けた。
濡れ落ち葉なので、燃えにくく煙ばかりがもうもうと上がる。
掃除が終わりかけた13時40分頃、パトカーと消防車のけたたましい音。
消防車の音が近くで止まるが、次々に消防車の集合する音が聞こえる。
「何処が火事なのかね。まさかここではないよね。」と喋っていたら、警官が登ってくる。
「山火事ではないかとの、119番通報がありました」とのことである。
面白いことに、その神社の住所番地まで通報されたとのことである。
次々と消防車が来るので、物好きにも、平地に降りて台数を数えることにする。
7台まで数えたが、更に続くので神社に登り神事に参加することにする。10台は来たことであろう。
今日の神主さんの言葉は、「神代の時代から天照大神が女性であったように、
世の中を支配ているのは女性である。女性がしっかりしないと世の中は乱れる」とのことである。
目と口が直結している人が、多くなったのであろう。
目から一旦頭に入れて考え、データーを集めることは、そんなに時間は必要ないであろうに!
神社総代のO氏は、警官と消防署員から、長時間にわたり油をしぼられ、調書を取られた。
原節子氏が、9月に95歳で亡くなったとのニュースが流れた。
我々の若い頃のあこがれの人であった。
美しく品があり、彼女のブロマイドを何枚も宝物のように持っていた。
原節子さんのように美しくなりたいと願ったら、ひょとして叶うかもしれないと期待した。
願い続けたら叶うという甘い夢は、すぐに胡散霧消した。
小学生~中学生頃大切に持っていたのは、原節子氏と津島恵子氏のブロマイドであった。
娘が誕生し名前の名付け親は、我が父であった。「節子」と名付けた。
原節子さんのように美しく品のある女性に、また節度を持った人間にとの願いがこもっていた。
機会あるごとに、名前の由来を娘に話した。
雪の昨日より、峡の方が寒い。太陽がほとんど顔を出さず、風が強い。
今にも雨が落ちそうな空模様である。夕方パラパラ落ちた。寒い一日である。
早朝、湿った雪が落ちた。ロンの背中にも、私の帽子にも重く乗っかった。
山は、200m以上で丘雪となる。ビンビン底冷えのするような寒さではない。
ストーブが無くても我慢できるゆるい寒さである。太陽が射し始めると、
瞬く間に雪は消えた。家の中よりは、外が暖かい一日になった。
陽の当たる所に置いた自動車の中は、ポカポカで本を読みながら居眠りするのに最適である。
ロンと散歩をしていると、多くの人から「ロンはどこに行っていたの?」と訊かれる。
「私も訊ねたのだけれども、返事をしてくれないので解らないのです」と答える。
”秘すれば華”との言葉があるが、”言わぬが華”も良い言葉である。
知っていても言わないで、フッフッフと笑っているのが 良い場合もある。
人生には、知らなくても言わなくても、損にも得にもならないことの方が多い。
久しぶりの”夕方散歩”デビューである。
スーパー駄犬・ロンがいるので、朝晩の散歩をする気になる。
1週間の長きにわたり、ロンは姿を隠していた。昨日元気に帰って来た。
ロンのお蔭で、日常生活にメリハリがつく。
心身共に元気を維持できるのは、ロンがいればこそである。
いなくなると心配で、頭の中はロンの事ばかりを考えている。
「たかが犬」と笑われるので、顔にも態度にも出さないけれど、苦しかった。
ロンが飛びついて来てくれた時は嬉しかった。
何事が起ったのか訊ねても、何も答えてくれない。
ロンがいないと散歩にも行かないし、餌を作る必要もないし、気がかりな事がないので、
ボケてしまいそうである。夕方の散歩は、40分~60分ぐらいかかるので、自分の運動にもなる。
今夜は、何日かぶりに長時間の散歩をしたので、足が痛くなった。
散歩をする習慣を付けたら痛みは無くなる。
元気の元は、ロンとの交流にあるらしい。 ロン! よろしくね。
新聞を手にすると、まず天気予報を見る。
あてにならないと言いながら、70~80%は信じて、その日の計画を立てる。
次に見るのは、死亡欄である。見ても意味がないことは解っているが、やはり見ている。
見ず知らずの人が、何歳で亡くなろうが無関係である。
しかし、亡くなった人の年齢が気にかかる。自分より若い人達の死亡が多くなった。
長生きをするにつれて、自分より若い人が増えるのは当然である。
自分が若い時には、60歳は年寄であった。自分の年齢が上がるほど、年寄の人の範囲が少なくなる。
80歳で亡くなると、「若いなー。平均寿命も生きていないのに」と感じる。
100歳位になると、「長生きだなー」と感ずるようになった。
N実が、久しぶりに立ち寄った。「なんと色白で綺麗になったね」と、思わず言ってしまった。
すると、「化粧をしているから白く見えるのよ」との返事。
”水もしたたるような”との表現があるが、チョット触ってみたくなるような餅肌。
カサカサの肌ばかりを見ているので、新鮮で美しかった。
22日、21時よりNHKで放映した、瀬戸内寂聴氏の闘病500日間の映像を観た。
93歳という歳にしては、お元気でしっかりしておられる。
「死にそこなった」と言われているが、一般人なら亡くなった可能性が大きい。
寂聴氏の努力と、スタッフ達の至れり尽くせりの介護の力が原動力であろう。
一番感心したのは、作家魂であろうか原稿用紙の升目を埋められる速さが抜群。
我々は、文章を書くのに四苦八苦して、考えながら書いては消しの連続である。
また、漢字を忘れているので手書きは無理である。
パソコンはひらがなで書き変換すると、沢山の漢字を提示するので、後は選ぶだけの作業である。
ますます、漢字を忘れてしまう。
寂聴氏は、漢字もすらすらと書かれ、びっくりしたり感心したりである。
老いも病もはねのけ、「いのち」との題で最後の長編を書くと意気込んでおられる。
今年も、「金の成る木」に多くの蕾が付いた。
警察官向けに作成された冊子「認知症の人を理解しよう」を、
配布する事になったとのニュースである。
数年先には、高齢者の5人に1人が認知症との統計が出ている。
帰る所が分からなくなった高齢者に、どのように言葉をかけ保護するかが問題である。
警察官だけではなく、住民もサポートしなければと、講習会を開きオレンジリングを配布している。
警察官は、更に大きな問題を抱えている。
来年5月に開催されるサミットの警備と、4年半先に開催されるオリンピック・パラリンピックの警備と、
大きな難題を抱えている。日本国の威信もかかっている。
日本の警察なら大丈夫だろうと思う一方、大きな恐ろしいほどの問題だと思う。
個人としての自分は、何が出来るか!
出来ることは、何事も起こりませんようにと祈るだけしかない。
「人生50年」と言われた時代は、昭和10年代以前であったろうか。
我々子供時代には、認知症(ボケ)はあまり見受けられなかった。
自分が認知症の心配をすることがあろうとは、考えた事もなかった。
60代は、過不足なくおじいちゃん・おばあちゃんであった。
70代になると、亡くなったと聞いても長生きだったねと普通に受け止めた。
現在は、70代で亡くなったと聞くと、若いのに惜しいことだと言う。
平均寿命は、男性80歳、女性87歳である。長生きなので、認知症の発症件数が増える。
認知症になる前に、死を迎える事が出来れば喜びとしよう。
TVでは、認知症について度々放映している。
市町村では、認知症サポーター講習会があり、修了者にはオレンジリングを配っている。
雑誌等にも、”認知症にならないための生活習慣”などと題した特集を組んでいる。
認知症にならない確実な生き方は、認知症になる前に黄泉の国にドロンする事である。
これは、人間の領域を超える。