高齢の友の愚痴。骨折で入院した80歳の女性を見舞い、お喋りをしていた。
入院患者の娘が来たが買い物に行ったので、お喋りを続けていた。
買い物を終わって病室に姿を現した時の言葉。
「まだ居るのね!」 入院している母親は、「本の話をしているのよ」
見舞に行っていた我が友は、早々に引き揚げたとのことである。
もう二度と病院に行かないし、人間関係も自然に解消しようかと思うとの愚痴である。
色々な事情はあると思うが、見舞に行って邪険にされては立つ瀬がない。
お喋りを遠慮して欲しいのなら、その理由を言ったら感情的にならないで済むと思うけど・・・。
人生には想定外のことがあるものだ。自分の価値観を他の人にも押し付けてしまう。
色々な事情で絶縁状態になっている場合でも、母親の死だけは連絡するものと思い込んでいた。
1年以上も前に、母親は黄泉の人になっていたのである。そのことを知った娘の彼女は、乱れなかった。
逆にそれを聞いた自分の方が逆上した。1日経った今日は、
母を世話してくれた弟に、感謝を伝える葉書を出したいと言う。素晴らしい!
大人だなーと感服する。「良い思い出」になる。
「良い思い出」とは、人間が人間に贈ることが出来る最大の贈り物である。
彼女が私に贈ってくれた壊れることのない、錆びることもない、色褪せることもない贈り物である。
「思い出」とは、「考え方」と置き換えることもできる。
寒さが少し緩み、雪から雨になった午後、
「ブーコさん、買い物に行こうよ!」と、我が家のおばさんより誘われる。
スリッパ、魔法瓶、フック等を購入しようと思っていたので、5千円だけしっかりつかんで喜んで参加。
車で30分離れた大型スーパーに行く。電気製品から食料品、衣料品までなんでも揃う店である。
いつもは必要な品だけを購入するので、ゆっくり眺めながらの買い物には慣れていない。
30分間もうろうろすると帰りたくなる。しかし、おばさんはゆっくり楽しんでいる様子。
衣料品の下着売り場に行く。ヒートテックの下着が値下げになっている。
「安いよ!今、使わないのなら、来年用に買ったらいいよ。」とのことである。
来年着れるかどうか解らないのにと思いながら、「とにかく買っておこう」と言ってしまう。
「破けたようなズボンではなくて、暖かくて軽くて安いのを買って古いのを捨てたらいいよ。」
まだ使えるから勿体ないとの気持ちが切り替わらない。
ゆっくり眺めると、購買意欲をそそるものがそこら中に並べてある。
「ブーコさん、欲しいのなら買ってあげるよ」と言って、購入籠の中にポンポン入れる。
しっかり握っていたお金は、簡単に飛んで行く。
ゆっくり考えると、これ以上の幸福はない。娘に支えられていることに感謝!!
朝は雪と低温で、ツルツルである。寒さが続くと、気力が無くなる。
会合で市内に出かけると、太陽が燦々と輝き気温も春のようである。
勿論雪のかけらもない。約35Km離れているだけなのに、税金も同じように出しているのに、
2℃~3℃の温度差がある。まさに広島市の北極である。
毎日、水道水が凍らないように毛布を掛けている。
市内は気温が上がって春のような気候である。気分がよくなり、心もゆったりとなり、
本屋に寄って衝動買いをしてしまった。
寒過ぎてカメラのシャッターを切る気にもならない。バッテリーも寒さに疲れている様子である。
昼間も冷凍庫の中に居るような日が続く。寒ので何もしない。
苦悩と同じ今日があるだけである。食事の中身は少し違っているかも。
大きく違っているのは、日付だけである。
本を読みながらストーブの番をしていると、一日が暮れる。
何度も読んでいる本であるが、あまり覚えていない。いつも初めて読むような気がする。
明日もこの雪降りのお天気は続くのであろうか!鬱々として、気力を失いそうである。
有線放送が、町内死亡者の名前をがなりたてている。80歳との歳を放送しても、
「80歳なら長生きだから良いではないか」と一瞬思う。自分も同じような歳だと思い愕然とする。
共に電話をすると細い声で、「調子が悪くて朝から寝ている」と言う。
「食事は?」と訊ねると、「食べる気力もないの!なにもかもどうでもいいわ。」
何か食べないと元気になれないからと言って電話を置くが、困ったものである。
我々の歳になると、何時何事が起こっても不思議ではないのだが・・・・。
暖かくなったら、気分も体調も持ち直すであろう。
今年ほど春の暖かさが待ち遠しい冬も少ない。
真冬日である。太陽が出ても、風の力が強く気温は上がらない。
昼間入れ替えても、犬の水入れは凍っている。寒い一日である。
中原中也の「冬の長門峡」の詩と、雪の長門峡を旅した時が重なる。
長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。
・・・・・・・・・・・・
水は、あたかも魂あるものの如く、 流れ流れてありにけり。
やがても蜜柑のごとき夕陽、欄干にこぼれたり。
ああーーそのような時もありき、 寒い寒い日なりき。
懐かしく悲しい昔々の物語である。
50年前には、高齢者の介護を担っているのは、ほとんどが嫁であった。続いて妻であった。
ほとんどの夫や息子は、介護のことなど考えてもいなかった。
時代は変わって、現在では妻、娘、夫、更に息子が担っている。
嫁は、ほとんど介護に携わっていないとのデーターが出ている。
今日は、母親や妻を介護した老齢男性の話を聞くチャンスがあった。
男性特有の悩みがあるようである。
料理・家事が苦手である。排泄とか入浴介助が難しい。女性を介護する時には、特に難しい。
地域との関わりが少ないので、孤立し易く、自分一人で抱え込む傾向がある。
特に男性には家庭内のことを外に言うものではないとの考えがある。
喋る相手もないのでストレスが溜まり、きつい言葉や時には暴力となって現れてしまう。
男性介護者の暴力が多いのはそのためであろう。
男性介護者ばかりのグループを作り、お喋りをして悩みを打ち明ける会が必要となる。
地域のグループの芽が出来つつあるとのことである。
介護の基本的な知識を勉強しなければいけない。知っていて介護をするのと、
何も知らないで介護するのでは雲泥の差がある。
介護をしている人達に、褒める言葉をかけて頂くと、また頑張ろうとのエネルギーが湧く。
K氏の水彩画は、紫陽花である。上品で優しい色使いである。
季節外れではあるが、この絵を眺めていると心が落ち着く。
この絵の様なお喋りなら穏やかで優しいことであろう。
それは、お喋りとは言わない雰囲気である。
自治会の総会終了後、新年会である。宴会が始まったのは、11時50分頃である。
料理は昨日とまったく同じものである。並べてある刺身の内容も同じである。
刺身だけ食べて、料理には手を付けずに持ち帰る。我が家のおばさんに食べて頂く予定である。
老女の一人が、写真を持参し説明を始める。子供や孫、親戚の紹介である。
ほとんど興味がない。孫のいない家庭もあるのに・・・。
「そこまで言って・・・」の放映があるので、終了の挨拶がないのにスーッと消えてしまった。
夕方煮物をしていたら、友から電話。この電話がいつもの事ながら長ーい!
内容はいつも本の話である。長いので我が家のおばさんが帰宅したと言って切った。
1時間3分であった。楽しいお喋りとは、どのような状態を言うのであろうか?
会話がピンポンと交互に弾むことであろう。楽しくて時間が気にならない時である。
今夜はゆっくり頭と心を休めよう。
老人会の日である。追悼法要と新年会をする。
毎回、会が始まる前に歌を歌う。炭鉱節の歌詞を高齢者用に変えたものである。
「・・・・年金いただき・・・・」との言葉がある。それに納得がいかず歌っていない。
この言葉から思い出すのは、軍歌である。
「恩賜のたばこをいただいて、明日は死ぬると決めた夜は 荒野の風も生臭く・・・・・」
以前、これを歌いながら、涙を流した人がいた。その時の状況が目に浮かぶ。
恩賜のたばこは、兵士が天皇からいただい物であるが、年金は高齢者が頂いた物ではない。
しかし考えてみると、高齢者になるほど自分の掛けた金額以上になるから、
若者から頂いたものと言うこともできる。
明日は自治会の新年会である。毎日飲んで食べて仕事をしないので、
脂肪ばかり付き、筋肉は逃げていくばかりである。少ない筋肉が更に少なくなる。
米寿まで元気で長生きと歌いながら・・・・。