通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

合格祈願「とおりゃんせ」 広島市中区の中央通りで

2011年01月27日 | 広島の話題
「今週は、私立中学の入試が本番じゃね」

「ほうなんか?」

「小6の娘の友だちには、受験生が多いけぇね。私立高校の入試も、あと2週間で始まるしね」

「受験生を応援するために、広島市中区の中央通りに全国10の神社の垂れ幕が飾ってあるそうじゃ」




1月7日~3月21日

「全国の学問の神様中央通りへ~合格祈願”とおりゃんせ”~中央通りを通って試験に通りゃんせ」

※大声大会”おらぼーで”を開催
 3月12日(土)(雨の場合13日(日))13:30~15:00
※広島女学院大学あやめ祭実行委員会メンバーも応援
 「出場者募集中!!」詳しくは商店街事務局へ

(「中央通りイベント案内」広島中央通商店街振興組合)
http://pmati.jp/shop/chuodori/?DOC=page.&CID=20081223134540052844




「試験に「通る」じゃけぇ、「通りゃんせ」なんじゃね」



「オラボーで」の看板

「ちなみに「おらぶ」いうのは、「大きな声で叫んだり、どなったりする」という意味の広島弁じゃ」

(青文字部分は、2011年3月3日追加)






「今日は、「とおりゃんせ」にバナーが飾ってある、10の神社について調べてみようかの」


■ 札幌八幡宮

■ 盛岡八幡宮

■ 江沼神社

■ 湯島天満宮

■ 上野天満宮

■ 北野天満宮

■ 大阪天満宮

■ 防府天満宮

■ 潮江天満宮

■ 太宰府天満宮





【札幌八幡宮】



「札幌八幡宮(さっぽろはちまんぐう)は北海道北広島市にある神社で、5柱の神様が祀(まつ)られとるそうじゃ」

1.八幡大神(はちまんおおかみ)
2.天満大神(てんまんおおかみ)
3.秋葉大権現(あきばだいごんげん)
4.梅の宮大神(うめのみやおおかみ)
5.金刀比羅大神(ことひらおおかみ)

「たくさんの神様が祀られとってんじゃね」

「天満大神は京都の北野天満宮から、金刀比羅大神は四国の金刀比羅宮から、それぞれ分霊(ぶんれい)されたものなんじゃ」

「分霊って?」

「神社に祀ってある神様の霊を、ほかの神社に分けて祀ることじゃ。ほいで、天満大神の立像は全国に3体あるんじゃが、そのうちのひとつがここにあるんじゃと」



↓札幌八幡宮については、こちら↓

札幌八幡宮
http://www.hachimangu.com/main.htm





【盛岡八幡宮】




「盛岡八幡宮(もりおかはちまんぐう)は岩手県盛岡市ある神社じゃ。康平(こうへい)5年(1062)の前九年の役(ぜんくねんのえき)で、源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が安倍氏を討伐する時に、戦勝を祈願して京都にある石清水八幡(いわしみずはちまん)を勧請(かんじょう)したのに始まるそうじゃ」

「勧請って?」

「分霊と同じことじゃ」

「八幡様ってよく聞く神様じゃけど、どんな神様なんかね?」

「八幡信仰は、大分県宇佐市(うさし)にある宇佐八幡宮から広まったんじゃ。古代の日本で、宇佐は大陸と瀬戸内海を結ぶ航路の中継点じゃったけんの」

「八幡様って、海の神様じゃったん?」

「ほうじゃの。それが、源氏が鎌倉幕府を開いたとき、八幡信仰が武士の間で広がったんよ。ほいじゃけん、戦(いくさ)が多い時代は八幡様が、平和な時代は天神様が信仰されるんじゃ」



↓盛岡八幡宮については、こちら↓

盛岡八幡宮
http:/http://www.hachimangu.com/main.htm



↓宇佐八幡宮については、こちら↓

八幡総本宮 宇佐神宮
http://www.usajinguu.com/





【江沼神社】




「江沼神社(えぬまじんじゃ)は石川県加賀市にある神社じゃ。宝永(ほうえい)元年(1704)、加賀藩第3代藩主の前田利直(まえだ としなお)が、邸内に菅原道真を祀った天満天神社を作られたのが始まりじゃそうな」

「道真が学問の神様じゃけん祀っちゃったんかね?」

「道真は前田家の遠い祖先にあたるそうじゃ」

「ほうなんじゃ」

「明治7年(1874)に加賀藩初代藩主・前田利治(としはる)を祀り、明治10年(1877)には江沼神社と名前を変えられたそうじゃ。境内にある長流亭(ちょうりゅうてい)は、国の重要文化財なんじゃと」



↓江沼神社については、こちら↓

「江沼神社と長流亭」金沢観光情報【きまっし金沢】
http://kimassi.net/kaga/enumajinja.html





【湯島天満宮】




「湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は東京都文京区(ぶんきょうく)にある神社で、雄略(ゆうりゃく)天皇2年(458)に、天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る神社として創建されたそうじゃ」

「天之手力雄命って?」

「天の岩戸隠れの話があるじゃろ? アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時に、岩戸を引き開けたのが天之手力雄命なんじゃ」

「ほうなんじゃ」

「正平(しょうへい)10(1355)年、住民の願いによって菅原道真を勧請して合祀(ごうし)されたそうじゃ。その後、徳川家康が江戸城に入ってからは徳川家の崇敬(すうけい)を受け、林羅山(はやし らざん)や新井白石(あらい はくせき)など、多くの学者や文人たちが参拝されたそうじゃ」

「東京でいうたら、江東区(こうとうく)にある亀戸天満宮(かめいどてんまんぐう)も有名じゃね」



↓湯島天満宮については、こちら↓

湯島天神公式サイト
http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm




↓亀戸天満宮については、こちら↓

亀戸天神社:藤まつり:梅まつり
http://www.kameidotenjin.or.jp/





【上野天満宮】




「上野天満宮(うえのてんまんぐう)は愛知県名古屋市千種区(ちくさく)にある神社じゃ」

「「上野」いうけん、東京にあるんかと思うたよ」

「平安時代の中ごろ、安倍晴明(あべのせいめい)の一族が京都を追われて、この地に移り住んだんじゃ。その時の自分たちの境遇と照らして合わせて菅原道真の心情をはかなく思い、道真の霊を祀ったのが始まりじゃそうな」



↓上野天満宮については、こちら↓

名古屋天神 上野天満宮
http://www.tenman.or.jp/





【北野天満宮】




「北野天満宮(きたのてんまんぐう)は京都市上京区(かみぎょうく)にある神社じゃ。天慶(てんぎょう)5年(942)、多治比文子(たじひのあやこ)らによって、北野にある右近の馬場(うこんのばば)に菅原道真を祀ったのが始まりとされとるんじゃ」

「道真が無実の罪で流された大宰府で亡くなった後、京の都で災害が相次いで、これを道真の祟(たた)りだとする噂が広がったんよね」

「御霊信仰(ごりょうしんこう)じゃのう。永延(えいえん)元年(987)、これを鎮めるために一条天皇によって勅祭(ちょくさい。勅命によって行われる祭事)が行われ、この時に「北野天満宮天神」の称号が贈られたんじゃ」

「北野天満宮、防府天満宮、大宰府天満宮の3カ所で、日本三天神(にほんさんてんじん)と呼ばれとるんよね」



↓北野天満宮については、こちら↓

北野天満宮
http://www.kitanotenmangu.or.jp/





【大阪天満宮】




「大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は大阪市北区にある神社じゃ。白雉(はくち)元年(650)、孝徳天皇が大将軍社を作られたのが始まりじゃそうな」

「ひょっとして、太宰府へ流される途中の菅原道真がここに立ち寄ったとか?」

「正解! 延喜(えんぎ)元年(901)、太宰府へ行く途中の道真が大将軍社をお参りされたんよ。天暦(てんりゃく)3年(949)に大将軍社の前に一夜にして7本の松が生え、神秘的な光を放ったので、村上天皇がこの地に天満宮を建立させたそうじゃ」



↓大阪天満宮については、こちら↓

天満宮 大阪天満宮 天満天神
http://www.tenjinsan.com/





【防府天満宮】




「防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は山口県防府市にある神社じゃ。意外なことじゃが、ここが一番古い天満宮なんじゃと」

「えっ、太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)なんじゃないん?」

「それが違うんよの。菅原道真が亡くなったのが延喜3年(903)2月25日で、防府天満宮は、その翌年の延喜4年(904)に創建されたんじゃ」

「この地にも、道真が立ち寄ったとか?」

「そうなんよ。船で太宰府に向かっていた道真が勝間の浦にしばらくの間、滞在されたんじゃ。ある日、酒垂山(さかたりやま)に登って、「身は筑紫(つくし)にて果(は)つるとも、魂魄(こんぱく。魂のこと)は必ず此(こ)の地に帰り来らん」と誓って、旅立たれたんじゃ」

「ほいで?」

「道真が亡くなられたちょうどその日、酒垂山に紫色の雲がわき出て、西の空から光が輝いたんよ。数日して、道真が亡くなったという知らせが届いたので、酒垂山に社(やしろ)を建てて道真を祀ったのが始まりじゃそうな」



↓防府天満宮については、こちら↓

防府天満宮
http://www.hofutenmangu.or.jp/




↓道真の伝説については、こちら↓

「酒垂山の紫雲(さかたりやまのしうん) ~防府市~」山口の伝説 お宮やお寺にまつわる話シリーズ
http://www14.plala.or.jp/hotokuenhp/yamaguchidensetu/miyatera/siun.html





【潮江天満宮】




「潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)は高知市天神町(てんじんちょう)にある神社じゃ」

「さすがの菅原道真も、高知にまでは立ち寄らんかったじゃろ?」

「道真自身じゃのうて、道真の長男の右少弁(うしょうべん)菅原高視(たかみ)朝臣が、父の左遷(させん)に伴って土佐に流されたんじゃ。道真の死後、家臣の百太夫(ももだゆう)が道真の遺品を持って土佐にやって来て、この地に祀ったのが始まりじゃそうな」



↓潮江天満宮については、こちら↓

「潮江天満宮と高見山」Web高知-土佐路ぶらり-
http://www.webkochi.net/kanko/sanpo02.php





【太宰府天満宮】




「太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は福岡県太宰府市にある神社じゃ」

「ようやく、本家本元の登場じゃね」

「道真の死後、その遺体を牛車に乗せて進んだんじゃが、間もなくその牛が動かなくなったので、そこに遺体を弔ったんじゃ。延喜5年(905)、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)がここに祠(ほこら)を建てたのが始まりじゃそうな」

「ほうなんじゃ」

「延喜19年(919)、醍醐天皇(だいごてんのう)の命を受けた藤原仲平(ふじわらのなかひら)によって社殿が建立されたそうじゃ。ところで飛梅伝説って知っとるか?」

「いんや、知らんね」

「本殿に向かって右正面にある飛梅は、道真を慕って都から太宰府へ一夜にして飛んで来たと伝えられるそうじゃ」

「天満宮に梅の木が植えられとるのは、そういういわれがあるんじゃね」

「道真が京を去る時に詠んだ、「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花  あるじなしとて 春な 忘れそ」という有名な歌があるんじゃ」



↓太宰府天満宮については、こちら↓

太宰府天満宮
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/






↓入試についての関連記事は、こちら↓

「落ちない」葉っぱ ヤマコウバシ
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110113

才蔵寺のみそ地蔵と武将・可児才蔵
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110114






「今日は、「とおりゃんせ」にバナーが飾ってある、10の神社について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「ああ、娘の入試が近づいてくるね」

「あんたが焦って、どうするんや。ほいじゃあ、またの」
コメント
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