「被爆樹木は知っとるよの?」
「原爆に遭(お)うたんじゃけど、今も生き続けている樹木のことじゃね」
「広島市によると、爆心地からだいたい2キロ以内に55か所、約170本残っとるそうじゃ」
原爆投下から2年後の1947(昭和22)年に広島、長崎両市で計162種の被爆樹木を観察した記録が見つかった。
寄贈を受けた原爆資料館(広島市中区)は「現存しない被爆樹木が膨大に記録され、被害の実態に迫る一級資料」と評価し、2011(平成23)年中に展示する。
(『被爆2年 樹木の記録』中国新聞 2011年1月3日)
「今日は、「勝田神能」「調査結果」について調べてみようかの」
【勝田神能】
「勝田神能(しんのう)って?」
「被爆樹木の記録をされた方の名前じゃ。広島文理大学(現・広島大学)の学生で、この記録を卒業論文にまとめられたんじゃと」
「8月6日は、どこにおられたんかね?」
「三重県鈴鹿市(すずかし)にある実家に帰られる途中で、被爆はまぬがれたそうじゃ」
勝田さんは1947(昭和22)年3月~9月、爆心地から6キロ以内の広島城跡や縮景園(しゅっけいえん)など広島市の22地点と長崎市の2地点で被爆した計162種計約500本の樹木を調査。
・樹種(じゅしゅ)ごとの生息と枯死(こし)の分布
・被害を受けた幹、枝、葉の形態
・顕微鏡で見た細胞の傷
などを一覧表やスケッチで記録した。
(同上)
「すごいのう。500本もの木を調べとってんじゃ」
「長崎にも行っとってんじゃね」
「足で稼いだ記録じゃ。これに勝るもんはないよのう」
【記録内容】
「ほいで、具体的にはどんなことが書いてあるんかね?」
「クスノキやウメは爆心地から0.5キロ以内で新芽を出したが、アカマツは2キロ以上でも枯死」
「キョウチクトウは2キロ以内に50株以上で広島で最も多く生き残った」…。
(同上)
「クスノキいうたら広島市の木で、キョウチクトウは広島市の花じゃね」
勝田さんは観察を基に、
・樹種によって被害の度合いが違う
・成長が止まるとできる偽年輪(ぎねんりん)は、幹の爆心地側で著(いちじる)しい
・まだらがある異常な葉は、爆心地から約1.3キロ以内で確認
などと指摘する。
(同上)
「1953(昭和28)年に出された『原子爆弾調査報告集』には、爆心地から2キロ以内にあった樹木の約50パーセントほどの幹が折れた、とあるんじゃと」
「広島城の天守閣(爆心地から約1キロ)も、爆風で崩れたほどじゃけえね」
堀口さんは、爆心地側ではない幹の細胞にも被害がある点に注目。「根の活力も被爆で弱まったからではないか。被害の根深さを示す」と指摘する。
(同上)
「堀口力(ちから)さんは樹木医で、被爆樹木の保存に力を入れとられる方なんじゃ」
勝田さんは、原爆資料館から贈られた複写で、卒業以来初めて記録に目を通した。
「被害を後生に伝えるのが生き残った責任と感じた。やりとげてよかった」と目を潤(うる)ませた。
(同上)
「勝田さんは大学を卒業後、古里の高校で生物を教えられたんじゃ。ほいで、持ち帰った被爆樹木の枝を生徒に観察させたりしとっちゃったんじゃと」
「生徒さんたちにも、思いはちゃんと伝わっとるんじゃないんかね」
↓原爆についての関連記事は、こちら↓
原爆による広島城の崩壊の状況について、開催されている企画展の名称は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100727
次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091127
赤れんがの被爆建物で、人々の暮らしにかかわる歴史をテーマとした施設は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091125
「今日は、「勝田神能」「調査結果」について勉強をさせてもらいました」
「今日もひとつ勉強になったでがんす。ほいじゃあ、またの」
「原爆に遭(お)うたんじゃけど、今も生き続けている樹木のことじゃね」
「広島市によると、爆心地からだいたい2キロ以内に55か所、約170本残っとるそうじゃ」
原爆投下から2年後の1947(昭和22)年に広島、長崎両市で計162種の被爆樹木を観察した記録が見つかった。
寄贈を受けた原爆資料館(広島市中区)は「現存しない被爆樹木が膨大に記録され、被害の実態に迫る一級資料」と評価し、2011(平成23)年中に展示する。
(『被爆2年 樹木の記録』中国新聞 2011年1月3日)
「今日は、「勝田神能」「調査結果」について調べてみようかの」
【勝田神能】
「勝田神能(しんのう)って?」
「被爆樹木の記録をされた方の名前じゃ。広島文理大学(現・広島大学)の学生で、この記録を卒業論文にまとめられたんじゃと」
「8月6日は、どこにおられたんかね?」
「三重県鈴鹿市(すずかし)にある実家に帰られる途中で、被爆はまぬがれたそうじゃ」
勝田さんは1947(昭和22)年3月~9月、爆心地から6キロ以内の広島城跡や縮景園(しゅっけいえん)など広島市の22地点と長崎市の2地点で被爆した計162種計約500本の樹木を調査。
・樹種(じゅしゅ)ごとの生息と枯死(こし)の分布
・被害を受けた幹、枝、葉の形態
・顕微鏡で見た細胞の傷
などを一覧表やスケッチで記録した。
(同上)
「すごいのう。500本もの木を調べとってんじゃ」
「長崎にも行っとってんじゃね」
「足で稼いだ記録じゃ。これに勝るもんはないよのう」
【記録内容】
「ほいで、具体的にはどんなことが書いてあるんかね?」
「クスノキやウメは爆心地から0.5キロ以内で新芽を出したが、アカマツは2キロ以上でも枯死」
「キョウチクトウは2キロ以内に50株以上で広島で最も多く生き残った」…。
(同上)
「クスノキいうたら広島市の木で、キョウチクトウは広島市の花じゃね」
勝田さんは観察を基に、
・樹種によって被害の度合いが違う
・成長が止まるとできる偽年輪(ぎねんりん)は、幹の爆心地側で著(いちじる)しい
・まだらがある異常な葉は、爆心地から約1.3キロ以内で確認
などと指摘する。
(同上)
「1953(昭和28)年に出された『原子爆弾調査報告集』には、爆心地から2キロ以内にあった樹木の約50パーセントほどの幹が折れた、とあるんじゃと」
「広島城の天守閣(爆心地から約1キロ)も、爆風で崩れたほどじゃけえね」
堀口さんは、爆心地側ではない幹の細胞にも被害がある点に注目。「根の活力も被爆で弱まったからではないか。被害の根深さを示す」と指摘する。
(同上)
「堀口力(ちから)さんは樹木医で、被爆樹木の保存に力を入れとられる方なんじゃ」
勝田さんは、原爆資料館から贈られた複写で、卒業以来初めて記録に目を通した。
「被害を後生に伝えるのが生き残った責任と感じた。やりとげてよかった」と目を潤(うる)ませた。
(同上)
「勝田さんは大学を卒業後、古里の高校で生物を教えられたんじゃ。ほいで、持ち帰った被爆樹木の枝を生徒に観察させたりしとっちゃったんじゃと」
「生徒さんたちにも、思いはちゃんと伝わっとるんじゃないんかね」
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原爆による広島城の崩壊の状況について、開催されている企画展の名称は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100727
次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091127
赤れんがの被爆建物で、人々の暮らしにかかわる歴史をテーマとした施設は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20091125
「今日は、「勝田神能」「調査結果」について勉強をさせてもらいました」
「今日もひとつ勉強になったでがんす。ほいじゃあ、またの」