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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

春秋の大義は数十なり。

2018-01-12 10:41:11 | ブログ
第3299号 30.01.12(金)

春秋の大義は数十なり。其の義大なりと雖も、炳として日星(じっせい)の如く、乃(すなわ)ち見易し。惟其の微辞隠義(びじいんぎ)、時措の宜しきに従ふ者は、知り難しと為す。或は抑へ或は縦(はな)ち、或は與え或は奪ひ、或は進め或は退け、或は微かにし或は顕はにす。而うして義理の安き、文質の中なる、寛猛(かんもう)の宜しき、是非の公なるを得たるは、乃ち事を制する権衡(けんこう)にして、道を揆(はか)る模範なり。『近思録』216

 春秋に述べられた大きい道は数十ある。その道は重大だが、日や星のように輝いているので見やすい。ただ湾曲な言いまわしや隠された道、よろしきに従ったそのときどきの措置、それらは分かりにくい。抑えたり自由にさせたり、与えたり奪ったり、進めたり退けたり、微かにしたりはっきりさせたりして、道理の安らかさ、文蝕と質樸の調和、ゆるやかさと激しさの適正、是非の判断の公平さが得られているのは、事を定める際の計器であり、道を計る際の鋳型である。

 【コメント】大変高度な論理ですが、文蝕にも質樸にも片寄らず、全体の調和がとれるように配慮すれば物事はより円満に行くと思われます。

 論語雍也篇に「子曰く、質、文に勝てば則ち野なり。文、質に勝てば則ち史なり。文質彬彬、然る後に君子なり。」とあり、まじりあって調和・平均するさまの良さを言っていると思います。

 昨夜は今年初めての空手道教室でした。南国では大変寒く冷たい風が吹き、凍えました。寒いと言えば荘内の先生方からは笑われるかも知れませんが、本当に寒い一日でした。

 それでも子供たちは一同に会して空手道と『南洲翁遺訓』の勉強に挑んでくれました。私は午後4時過ぎには道場に入り、『書経』と『近思録』を拝読しました。

 特に『近思語』の中身に吸い込まれて行きました。今までも何回が読んできたのですが、これほど素晴らしいものであったかと感嘆の念を禁じ得ませんでした。

 道場の子供たちにも将来漢籍を読んでくださいと案内しました。終盤には佳那子様を中心として大声で『南洲翁遺訓』を発表してくれました。

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『不動心』(第17回)

 人生の墓は閉じたとして、今からどう生きるか
 
 今日で私は死んでしまい、人生の物語も幕を閉じた、というふうに思いたまえ。そして今からの時間は特別に与えられたのだと考えて、自然と調和しながら生きてゆきたまえ。

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「日本の婦道」---第17回

 そして巧みな会話や流行の服装が「覚めたる婦人」に対する勢力も亦著しい。神秘家の言葉をかりると、さういう婦人はコヂテーション(假見)に止まって、内観中観も無い。ゆえに到底真の人格価値を悟ることが出来ないのである。真の人格価値はやはり至純なる内生に待たねばならぬ。純真な女性であって、始めて大丈夫(ますらお)を恋するであろう。男の意気の分らぬ女にまことの恋のあろう筈は無い。
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夫子周の末に當り、

2018-01-11 10:33:49 | ブログ
第3298号 30.01.11(木)

夫子周の末に當り、以(おも)へらく聖人復(また)(おこ)らず、天に順(したが)ひ時に應ずる治復有らず、と。是に於て春秋を作り、百王不易の大法と為せり。謂ふ所の諸(これ)を三王に考えて繆(あやま)らず、諸を天地に建てて悖(もと)らず、諸を鬼神に質(ただ)して疑無く、百世以て聖人を俟ちて惑はざる者なり。『近思録』214

 孔子は周の末のころの人であった。聖人が二度と出現せず、天に従い時に応じる政治が二度と施工されていないと考え、そこで春秋を作って、永遠に変らないりっぱな法則を立てた。これは「三王の道に照らしても誤りがなく、天地の道に向かいあわせても違反なく、鬼神の道に合わせ考えても疑惑が出てこない。百世の後に聖人が現れるにしても自信が持てる」といったものである。215

 【コメント】大変素晴らしい考え方だと思います。我が國もかくあって欲しいものです。
 権力者は幼稚園の校長に夫人の名前を使用させたり、また幼少からの友人だとして便宜を図ってやったり、そして権力者に都合のいい答弁をしてくれたからといって、人事面で破格の出世をさせたりするような人は、硬骨の精神を持った人々が、歴史的に断罪しなければならないと考えます。そういう独断は私物化というのですが、そういうことがあってはなりません。

 高齢者の交通事故が多発しています。私も含めて高齢者は、指さし確認、大声での声だし確認などの安全確認を徹底して欲しいものです。事故をしては元も子もなくなります。

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『不動心』(第161回)

 人間はたがいに助け合うために作られている。人間の資質の中で第一の特徴は、同胞に対して義務を持っているという点である。第二の特徴は、肉体のささやきに耳をかしてはいけないという点である。人間の理性はその独自の仕事として、自分の活動する場の周囲にサクを張りめぐらし、動物的な感覚や衝動に打ち負かされないようにする。精神もあらゆるものの上に位置されることを望み、感覚だの衝動だのに束縛されるのを嫌う。それは元来、精神が他のすべてを利用するようにつくられているためである。
 人間の資質の三番目の特徴としては、軽率な行動をとったり欺かれたりしないように自分を律する義務を持っている点があげられる。人間を支配する理性に、まっすぐ進めるよう舵をとってもらい、以上の三つの義務を握って離さないようにしてもらえば、理性も自らの本分をまっとうするであろう。

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「日本の婦道」---第16回

 真の自覚は先ず人生に於て何が一番尊いことであるかをしっかりと體認しなければならぬ。新教育を受けて自覚して居るといはれて居る人々に却って此の根本問題が明らかでない。寧ろ意外に多く教養ある婦人が、人間の価値を知識や地位や財産や手腕に求めて居る。漱石の云った様に「頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事の出来る権力が財力を掴まなくては男子で無いと考えている」教養ある婦人が実際多い。
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 今日は今年最初の空手道教室の御稽古日です。寒いけど子供さんがおいでなにるか、どうか楽しみです。
 中澤先生、コメント有り難う存じました。

二帝より上は、聖賢世出で、

2018-01-09 16:53:58 | ブログ
第3298号 30.01.10(水)

二帝より上は、聖賢世出で、時に随(したが)ひて作(な)す有り。風気(ふうき)の宜しきに順(したが)ひ、天に先んじて以て人を開かず、各(おのおの)時に因りて政(まつりごと)を立つ。三王迭(たが)ひに興り、三重既に備はるにおよび、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)は正を建て、忠・質・文は更(こもごも)(とうと)ばれ、人道備わり、天運周(あまね)し。『近思録』213

 二帝までは、聖人や賢人が世々現れ、そのときどきに民に必要なものを作ってきた。それは、民の生活の状態に従ったのであって、天に先がけて人事を開発することをせず、れぞれ時勢に従って政治を施いたのである。三王がかわるがわる国を建て、三重が備わってくると、子・丑・寅によって正月を定め、忠・質・文がこもごも貴ばれて、人倫は完全になり、天体の運行に誤りがなくなった。213

 【コメント】堯・舜の二帝の時代までは、文化が低く、啓蒙を必要としたという。二帝はそのときどきに従って立派な政治を行ない、衣食住を充実させ、民の生活を向上させた。

 それらはすべて天の命令に従って事を行い、習俗として人事を開発し、新しい政治を行ない人々のための政策を施行することに勤めた。

 こうして繙いて見ると、古の人々が、思考を回らし工夫改善したものの恩恵を受けているといつてよろしいかと思います。そういった意味では現代に生きる我々も、文化の恩恵を受けるだけに止まることなく、建設的な日々を邁進すべく努力したいものです。

 今年は大河ドラマでセゴドンが放映されますが、ただ経済効果だけに期待することなく教育効果の骨格となる『南洲翁遺訓』をもっと広めていいのではないかと考えます。

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『不動心』(第159回)

 一日には一日の知恵

 いつでもどんな場所でも、あなたにできることがある。それは、その日のできごとを敬虔な心で受け入れ、その日会う人々に対して正しくふるまい、その日に見聞きしたことを鵜のみにしないよう綿密な検討を加えることである。

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「日本の婦道」---第15回

 妻の乱倫も亦夫の恥辱である。この場合武士の處すべき道は最も面目を立てるに在る。面目を立てるとはつまり最も人格的な態度を取ることである。場合に依っては何事も言はず離縁して、彼等の自由行動に任せることであろう。場合に依っては自裁せしめることもあろう。兎に角愛はすべて厳粛でなければならぬ。今の様に恋愛至上主義の美名に隠れた狂態は、其の實恋愛の畜生的堕落と云ふ外はない。そこに何等崇高な人格の自由を認められないではないか。
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伊川先生の春秋傳序に曰く、

2018-01-09 09:54:38 | ブログ
第3297号 30.01.09(火)

伊川先生の春秋傳序に曰く、天の民を生ずる、必ず類を出づる才、起りて之に君長たる有り。之を治むれば争奪息み、之を導けば生養遂げ、之を教ふれば倫理明かなり。然る後に人道立ち、天道成り、地道平かなり。『近思録』212

 伊川先生の春秋伝序にこう記されている。「天が民を生むとき、必ず特にすぐれた人物が出て、民の指導者になる。この人物が民を治めると人々の間の争いがやみ、民を導けば民の生活が安定し、民を教育すると人の踏むべき道が明らかになる。そこで始めて人の行うべき道が確立し、自然の運行がきちんと行われ、山川は荒れずにおだやかになる。213

 【コメント】「天が民を生むとき、必ず特にすぐれた人物が出て、民の指導者になる」とありますが、場末に住む我々にはとても手が届かず関係ないことですが、それでも出来る範囲で地道に只管努力することが大切であると思います。

 どんな人間でも一からはじめるのです。出来ない我々が夢を抱くことは大事ですが、一人前になるためには、出しゃばらず、謙虚にやり続けることだと思います。
 
 大した努力もせず、降って湧いたようなものを手にした場合、失う速さもすぐ来るのです。要は勤勉・努力・継続・真摯といったかけがえのない物を尽くし続けることだと思います。

 特に政治家が呼びかける平和・安全・人権には厳しい規律をセットにしなければならないのです。暴力はいいことではありませんが、気の入らない人間には、怠けた人間を矯正するためには、厳しい規律が必要な時もあるのです。

 軟弱な精神を矯正できずに非違行為に手を染め、官憲に逮捕され、一生を喪うことほど悲しいことはないのです。今ブログを書いているとき、テレビではオートレース、パチンコ等々の悪の誘いが報道されてます。これらに手を染めてはならないのです。

 とにかく額に汗してせっせと働くことが一番いいのです。私は高校時代から家の借金返済のため、命懸けで働いてきました。あれから半世紀、いい経験をさせてくれたとと感謝しています。

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『不動心』(第159回)

 仕事に自信ができるということ

 理性に従って仕事を果たしていけるなら、何も恐れる必要はない。法の命ずるまま仕事が順調にはかどり、しかも何かに役立つ機会が与えられるなら、災いを恐れることはない。

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「日本の婦道」---第14回

 貞婦の苦節は真に尊ぶべきものである。夫に情婦が出来たからとて、直ちに自己も行儀を崩して情夫を作り、何角関係とかを作るは畜生道と云わねばならない。男児亦すでに妻を持ちながら、今更また心を他の婦人に奪われてとり乱すなどは、古来婦人よりも尚ほ一層破廉恥なこととして喧しく論ぜられたものである。否有婦に限らず、独身であっても、恋の為に自己の全部を奪われて、為すべき責務を怠る様な者は以ての外の「狼狽者」(うろたへもの)とせられた。
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易に聖人の道四有り。

2018-01-08 11:01:38 | ブログ
第3296号 30.01.08(月)

易に聖人の道四有り。以て言ふ者は其の辭を尚(とうと)び、以て動く者は其の變(へん)を尚び、以て器を制する者は其の象(しょう)を尚び、以て卜筮する者は其の占(せん)を尚ぶ。吉凶消長の理、進退存亡の道は、辭に備わる。辭を推し卦(くわ)を考へなば、以て變を知る可(べ)し。象と占とは其の中に在り。『近思録』201

 易には聖人の道が四つ備わっている。話をする場合は、易の言葉を貴んでこれを用い、行動する場合は、易に示された変化を貴んでそれに従い、器具を作る場合は、易の象を貴んでそれに倣い、占いをする場合は、易の占いを貴んでそれに従う。以上の四つがそれである。吉凶盛衰・進退存亡の道理は易の言葉に備わっているのだから、言葉の意を求め、卦の形を考えたならば、行動の際の変化がわかろう。象と占いとはその中にある。201

 【コメント】易は大変難解ですが、分からなくても学び続けることが大事だと思います。吉凶盛衰・進退存亡の道理は易の言葉に備わっているとありすので、要はまじめに日々に挑むことだと思います。

 今日は成人の日ということで全国で若い人々が人生の節目にあたるとして悦びあっています。大変おめでとうございます。

 ただ、式場では暴れたり物を壊したりする場面が報道されています。そして人の目を引こうとして凡そ男の子とは思われない恰好・衣裳を纏っている子供たちもいますが、これらはよくありません。

 男は男、女は女の姿であるべきです。この自然の掟を破ると、そういう人は必ず天の制裁が待ち受けているのです。健康も害し長生きは臨めないでしょう。

 私は天風氏の本を何回も読んでいます。天風が指摘することは、漢籍でも同様に紹介されています。そして78年間生きてきて性質か悪いとされた人のツマヅキを直にみてきました。

 私の同窓生で人を投げ飛ばしたり、女性を囲って終日複数の人がオモチャ扱いする處を見たものです。

 とにかく、健康で仕合わせになり、長生きをしたければ、勤勉にして、人の範たりうる人間とならなければならないのです。その道を学びたければ、『南洲翁遺訓』を学んでください。読み続け書き続けるのです。

 昨日はセゴドンが放映されました。ただ史実と異なる所があったことは、残念です。西郷隆盛が島津斉彬と出会ったのは三日坂であったはずです。NHKはこういう嘘を報道してはいけません。後々の人が惑うからです。

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