味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

書は須らく誦を成すべし。

2018-01-18 15:29:52 | ブログ
第3307号 30.0119(金)

書は須らく誦(しょう)を成すべし。精思(せいし)するは多く夜中(やちゅう)に在り。或は静坐して之を得。記せずんば則ち思ひ起さず。但大原(ただたいげん)を通貫し得て後、書も亦記し易し。書を觀(み)る所以の者は、己の疑を釋(と)き、己の未だ達せざるを明かにするなり。見る毎(ごと)に毎(つね)に新たに益すを知らば、則ち学進まん。疑はしからざる處に於て疑有りて、方(はじ)めて是れ進むなり。『近思録』231

 書物は暗誦すべきだ。思索はおおむね夜行うが、静坐して会得することもあろう。文章を覚えなければ考えられない。但し、道の根元を貫ければ、そのあとは、書物の文章も覚えやすい。書物を読む理由は、自分の疑いを消し、不明な点を明かにすることにある。書物を読むたびに新しい益のあることを知るならば、学問が進んでいるのである。疑わしくない点で疑いを起してこそ、進歩する。231

 【コメント】書物は暗誦すべきだということは大変よいことだと思います。私は経済的理由、知的理由で高校は定時制、そして大学も出ていませんが、その為、進学した同級生らに追いつきたいという思いもあり、多くの文献を30年以上にわたり、書き写してきました。

 学び続けてきてこれほど楽しいことはなかったと振り返っています。現在元気なのも、そしてやる気があるのも、私なりに学び続けてきたお蔭だと思っています。

 そのお手本は『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内の先生方の学ぶ姿勢・人格美に魅せられて学び続けて来た部分もあります。

 昨夜は第二道場の空手道教室でした。子供たちが元気一杯おけいこに励んでくれるので、有難く思っています。終盤の『南洲翁遺訓』発表は、五歳児・佳那子様のリーダーぶりに触発されて、先輩のお兄ちゃんたちともども大声で発表してくれるので嬉しく思っています。

 子供たちには折角の人生を一寸した油断で非違行為をしてはならないと話しています。とにかく素晴らしい子供たちです。

-------------------
『不動心』(第169回)

 真実を見つめる眼

 「いかなる魂も、故意に真実をとり逃がすことはない」といわれている。同じことが、正義や自制心や親切などの美徳についてもあてはまる。何よりもこのことを常に心に留めておきなさい。そうすれば、人に対してもっと思いやりのある行動がとれるようになる。

----------------
「日本の婦道」---第24回

 現代の人々は婦徳といふことについて改めて深い反省を要すると思ふ。
 己を忘れて人を思ふこまやかな情愛、そこから閃く叡智の光、ゆきとどく注意、つつましく善言に耳傾ける謙虚、愛する者の為に厭はぬ労苦、洗練されたる教養、是の如き婦徳を持つ妻よ、母よ、姉妹よ。是は日本民族が世界より羨まれる家福であろう。----終---完

------------------
『言志録一』--21

 心がふさがると百慮あやまる
 心下痞塞(しんかひそく)すれば、百慮皆錯(あやま)る。

 〔訳文〕心の奥底がふさがっていると何も善い考えがでて来なくて、すべての考えも計画も皆誤ったものになってしまう。

---------------

書を讀むこと少なくんば、則ち由りて

2018-01-18 09:59:13 | ブログ
第3306号 30.01.18(木)

書を讀むこと少なくんば、則ち由りて義を考校(こうこう)し得ること精しき無し。蓋し書は以て此の心を維持するなり。一時放下すれば則ち一時徳性懈ること有り。書を讀めば則ち此の心常に在り、書を讀まざれば、則ち終に義理を看見(みあらわ)さず。『近思録』230 

 書物をあまり読まないと、道を精細に考察することができない。それは、書物は人の心を維持するものだからである。書物から一時離れると、その間だけ、徳性について怠りが出る。書物を読めば、心は常にはっきりしているし、書物を読まなければ、道がどうにも分からない。230

 【コメント】ここにいう書とは経書を指しているのだと思います。肝要な書物を読みながら、道を求めていく。というのは、読書の目的は求道にあり、また道は読書によって得られることを言っているのだと思います。

 若い人々も含め国民挙って読書をすれば、多くの刑事事件が減少するのではないでしょうか。特に『南洲翁遺訓』も真剣に読書する対象になると思います。

 丁度二か月位前、『南洲翁遺訓』を一気に素読しました。読み終える終盤には身体が震えてきました。それは『南洲翁遺訓』の素晴らしさに感動し、酔いしれたからでした。『南洲翁遺訓』を手にして半世紀になりますが、一気に素読した時の感動は今迄味わったことのない感慨でした。

 あろうことか、西郷隆盛を顕彰する組織の代表が歴史に名を遺そうとしてのことか、『南洲翁遺訓』を改竄する事件が発生したのでした。五年位前のことです。その事件を沈静化しなければならないとして、当時の荘内南洲会理事長・小野寺時雄先生は、走り回り体調を崩し早逝したのでした。

 当時は毎晩と言っていいほど、私には電話連絡をしてくれたのでした。お付き合いして20年、本当に素晴らしい御心の先生でした。

 『南洲翁遺訓』は一見、難解ですが、読み続ければ人々の人生に明るい方向性・教えを示してくれると信じています。 

-------------------
『不動心』(第168回)

 あなたが同意を得たいと望んでいる人に対して

 あなたが同意を得たいと望んでいる人間の性格や信念を調査し、その意見や行動の目的を探ってみたまえ。そうすれば、彼らが仕方なく犯した罪を大目に見てやろうという気持ちになるか、それとも彼らの同意をとりつける気がなくなってしまうか、そのどちらかだ。

-------------
「日本の婦道」---第23回

 家庭という社会に働く妻と職業の社会に勤める夫とに何等の貴賎は無い。彼等の要求する価値は偏に彼等の人格に依って決する。妻が家庭に住むことを夫の奴隷に甘んずるものであるなどという説は陋しい妾宅的家庭にしか通じない僻論である。若しそういう意味に婦人の自由平等ということを解するならば、人間が地上に住むことは自然の奴隷に甘んずるものであるということになって、地球を脱出しなければなるまい。
-------------
『言志録一』-20

 精神を収斂せよ

 人の精神尽(ことごと)く面に在れば、物を逐いて妄動することを免れず。須らく精神を収斂して、諸を背に棲ましむべし。方に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。

 〔訳文〕人の心が顔面に集中していると、外界の事物を追い廻して、まちがった行動をしがちになる。それだから、心をひきしめて、これを背中に住ませるようにして、判断に誤りを起こさないようにするべきである。物欲を忘れた我身になれば、その身こそ、外物に惑はされない本当の自分となる。

---------------