第3305号 30.01.17(水)
尚書は看難し。蓋し胸臆の此の如く大なるを得難ければなり。只義を解かんと欲するのみならば、則ち難きこと無し。『近思録』229
書経は難しい。というのは、読むものの心がそれほどに大きくなりえないからだ。文字の意味を解こうとするだけなら、むずかしいことはない。
【コメント】書経は難しい、とありますが、漢籍は全部難しいと思います。どんなに難しくても、読み続け書き写し続けることが大事だと思います。要はやるかやらないかだと思います。
難解なものに取組んで分からなくても、ギャンブルに負けたのを思えば建設的なのです。昨日も書きましたが、家庭崩壊へと突き進む危険性のある遊び事を制度化する人がいることは残念です。
朱子は書経の難しさについて、例をあげ、こう言っている。「堯典の『克(よ)く俊徳を明かにして以て九族を親しましむ。』から『黎民於変り時(こ)れやはらぐ。』に至るまで、その展開がかなり大きい。『義和に分ち命じて四時を定め歳を成さしむ。』は心に三六五度四分度の一の天を包み持っているのだ。」書経は規模が大きいので、それだけの予備知識を持たないことには理解しにくいというのである、とあります。
とにかく書経に関係するこういう文言を学びの一貫として書き続けることが大事だということなのでしょう。頁230
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『不動心』(第167回)
処世術はレスリングに似ている
処世術はダンスよりもレスリングに似ている。予期せぬ攻撃にもたじろがぬよう常に警戒した姿勢をとっていなければならないから。
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「日本の婦道」----第22回
今や婦人の参政権問題や職業問題が喧しくなって居る。そしてこれは識者のいづれも真面目に考えねばならぬことである。然しながら婦人が政治に参加したり、経済的独立の為に職を持つことが、家庭に暮らすことより貴いことである。否家庭などは家政婦にでも任して、何か社会的の地位職業につかねば女としての価値が無い様に思うのは大いなる愚見である。それは先にも述べた様に生活の真義を知らぬ為であって、第一義は常に「誠」の生活にある。職業や参政権問題は止むを得ざる第二第三義的のものである。
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『言志録一』--19
面と背と胸と腹
面(おもて)は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。
〔訳文〕顔面(今は頭脳)が冷静ならば、正しい判断ができる。背中が暖いならば、熱烈、人を動かすことが出来る。虚心坦懐にして、我見がなければ、他人を容れることができる。腹が充実していれば、胆力が据わって物に動じない。人間はかくありたいものだということである。
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尚書は看難し。蓋し胸臆の此の如く大なるを得難ければなり。只義を解かんと欲するのみならば、則ち難きこと無し。『近思録』229
書経は難しい。というのは、読むものの心がそれほどに大きくなりえないからだ。文字の意味を解こうとするだけなら、むずかしいことはない。
【コメント】書経は難しい、とありますが、漢籍は全部難しいと思います。どんなに難しくても、読み続け書き写し続けることが大事だと思います。要はやるかやらないかだと思います。
難解なものに取組んで分からなくても、ギャンブルに負けたのを思えば建設的なのです。昨日も書きましたが、家庭崩壊へと突き進む危険性のある遊び事を制度化する人がいることは残念です。
朱子は書経の難しさについて、例をあげ、こう言っている。「堯典の『克(よ)く俊徳を明かにして以て九族を親しましむ。』から『黎民於変り時(こ)れやはらぐ。』に至るまで、その展開がかなり大きい。『義和に分ち命じて四時を定め歳を成さしむ。』は心に三六五度四分度の一の天を包み持っているのだ。」書経は規模が大きいので、それだけの予備知識を持たないことには理解しにくいというのである、とあります。
とにかく書経に関係するこういう文言を学びの一貫として書き続けることが大事だということなのでしょう。頁230
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『不動心』(第167回)
処世術はレスリングに似ている
処世術はダンスよりもレスリングに似ている。予期せぬ攻撃にもたじろがぬよう常に警戒した姿勢をとっていなければならないから。
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「日本の婦道」----第22回
今や婦人の参政権問題や職業問題が喧しくなって居る。そしてこれは識者のいづれも真面目に考えねばならぬことである。然しながら婦人が政治に参加したり、経済的独立の為に職を持つことが、家庭に暮らすことより貴いことである。否家庭などは家政婦にでも任して、何か社会的の地位職業につかねば女としての価値が無い様に思うのは大いなる愚見である。それは先にも述べた様に生活の真義を知らぬ為であって、第一義は常に「誠」の生活にある。職業や参政権問題は止むを得ざる第二第三義的のものである。
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『言志録一』--19
面と背と胸と腹
面(おもて)は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。
〔訳文〕顔面(今は頭脳)が冷静ならば、正しい判断ができる。背中が暖いならば、熱烈、人を動かすことが出来る。虚心坦懐にして、我見がなければ、他人を容れることができる。腹が充実していれば、胆力が据わって物に動じない。人間はかくありたいものだということである。
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