味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

礼節いろはことば「よ」

2010-09-19 12:25:53 | ブログ

タイトル----礼節いろはことば 「よ」 第593号 22.09.19(日)

 「よ」 善きことを 日に一つして 清々し----能く化することを為す。『中庸』

 

 『中庸』は、〈唯天下の至誠(しせい)(よ)く化することを為す〉と訓えています。「至誠、人を動かす、といいます。この上もなく誠実な者だけが世のなかに感化を及ぼす、いわゆる物を化する域に至り、徳を修めた聖人のごときである」というのです。

 めまぐるしい変化をとげている今日では、聖人のごとき行いは出来ないとしても、その人の心がけによってちょっとした積善の工夫は出来ると思います。

 また『呂覧』(りょらん)は、〈能く無為(むい)を執る、故に能く衆を為さしむ〉と訓えています。「上に立つ者が何事も干渉もせず無為の態度をとることが、かえって部下を仕事に励ませることになる」というのです。

 こういう達観した上司の行為は、人を育てる尊い教訓であると同時に、善きことに違いありません。そういう善き行いは人を自立に向かわせ、社会の模範的事例として、人を活かす教材ともなります。

 一人の行いはたかが知れていますが、これが人々の間で応用・活用されるとなると、社会の浄化作用としては、計り知れない効果を生み出すことになるでしょう。細やかな善き行いが、清々しい心を潤す清涼剤となるよう心掛けたいものです。


礼節いろはことば 「か」

2010-09-19 11:58:02 | ブログ

タイトル----礼節いろはことば 「か」 第592号 22.09.19(日)

 「か」 空手道 修行の目的 精神(こころ)なり---鑑、明らかなれば則ち塵垢止まらず『荘子』

 『荘子』は、〈(かがみ)、明らかなれば則ち塵垢(じんく)止まらず〉と訓えています。「鏡がきれいになっていれば、そこには塵とか垢などはとどまらない。精神を練磨していれば、思考や行動も自ずから模範的な行いとなる」と解していいでしょう。

 格闘技である空手道は、特にこういった精神が要求されると思います。だが現実は、勝敗にこだわるあまり精神の練磨とは程遠い風潮が蔓延しているようです。格闘技である以上、強くなるための稽古をすることは当然です。

 指導者は門下生を指導するとき「礼節」という言葉を使用します。が、それは単なる「礼をする。履物を揃える」という程度なのです。

 空手道修行の目的は、技術の修得もさることながら、精神を練り人格の陶冶にあると思います。大会で優勝することも大切でしょうが、最終的な評価は人格と技術という分野で人様が行うということです。人格の陶冶を標榜するならば、学問と武道との一体感が必要だと思います。

 宮本武蔵が云う「万日の稽古」に匹敵する修練を積み、奥義としての武道精神に収斂してはじめて、修行の目的が達成されたといえるでしょう。