味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

偉人の紹介「明 恵」。

2010-09-21 09:53:04 | ブログ

タイトル----偉人の紹介「明 恵」。第595号 22.09.21(火)

 高僧。名は高辮、明恵と號した。紀州有田郡の人。建永元年後鳥羽上皇の勅によりて、栂尾山の古寺を賜い、高山寺を創め、華厳興隆の勝地とした。貞永元年寂、年六十。

 

 其の身直ければ影も亦直し。

 栂尾(とがのを)の僧明恵上人(みょうえしょうにん)は、鎌倉時代の一名僧である。北条泰時在京の砌、上人を訪ねて教えを乞うた。曰く、『一人つとめて之を行うも、衆人が従はなかったら如何致しましょう』

高辮静かに説いて曰く、『それはむづかしい事ではありません。貴殿の心にあるのだ。故人も、「其の身直ければ影も亦直し」といっている。其の政(まつりごと)が正しければ、國が乱れるものでは無い。正しいとは無欲のことである。貴殿の心にあるのみだ』

 泰時は深く此の言葉に感じ、よく之を実行して美績を後世に遺したのである。或時武田信光と海野幸氏とが、土地を争って鎌倉に訴え出たことがある。幸氏の方が正しいのだから、泰時は之を裁判して、武田信光の敗訴と決定した。或人曰く、『武田氏は有力家である、恐らくは怨みを抱くかも知れません』

 泰時厳然として曰く、『人の怨みを恐れて曲直を分かたないならば、世に執権は無用であろう』

 誠に痛切なる一言である。或時近侍に語りて曰く、『我不肖の身を以て執権となり、幸いに罪咎を免れ得たるは、高辮が教えの力である』と。