タイトル----礼節いろは言葉 「れ」。 第604号 22.09.29(水)
「れ」 礼節を 尽くすは人の 基なり---礼を学ばざれば、以て立つことなし---『論語』
『論語』は、〈礼を学ばざれば、以て立つことなし〉と訓えています。「礼は世に立つ根本である。だから、この礼というものを学ばずしては、人間として世に立つ資格がない」と解していいでしょう。また『春秋左氏伝』(左伝ともいう)は、〈己れを修めて人を責めざれば、則ち難より免がる〉と訓えているのです。「自分自身修養を積んで、他人の過失はとがめない。そうすれば危難から免がれることが出来る」というのです。
こういった訓えは、人間が社会生活を営む上において、人との関係を迅速・円満に処理するために、きわめて大切な要件というべきだと思います。
ここでいう「礼節」とは、法体系に言う堅ぐるしい法律とは少し次元を異にして考えたいと思います。多くの人と共に棲む社会では、自分勝手な振る舞いをすることは許されません。本人がいいと思っても、そのことが他人に迷惑・被害を及ぼすことは、礼を失する行為として人々から避難され、苦情を受けるでしょう。
問題が発生した時、如何に円満に解決出来るか否か、礼と節を心得た人は後々支障のなきよう、相手にも名誉を与えながら処理できると思うのです。