タイトル----礼節いろはことば 「か」 第592号 22.09.19(日)
「か」 空手道 修行の目的 精神(こころ)なり---鑑、明らかなれば則ち塵垢止まらず『荘子』
『荘子』は、〈鑑(かがみ)、明らかなれば則ち塵垢(じんく)止まらず〉と訓えています。「鏡がきれいになっていれば、そこには塵とか垢などはとどまらない。精神を練磨していれば、思考や行動も自ずから模範的な行いとなる」と解していいでしょう。
格闘技である空手道は、特にこういった精神が要求されると思います。だが現実は、勝敗にこだわるあまり精神の練磨とは程遠い風潮が蔓延しているようです。格闘技である以上、強くなるための稽古をすることは当然です。
指導者は門下生を指導するとき「礼節」という言葉を使用します。が、それは単なる「礼をする。履物を揃える」という程度なのです。
空手道修行の目的は、技術の修得もさることながら、精神を練り人格の陶冶にあると思います。大会で優勝することも大切でしょうが、最終的な評価は人格と技術という分野で人様が行うということです。人格の陶冶を標榜するならば、学問と武道との一体感が必要だと思います。
宮本武蔵が云う「万日の稽古」に匹敵する修練を積み、奥義としての武道精神に収斂してはじめて、修行の目的が達成されたといえるでしょう。