タイトル----拙著『礼節のすすめ』の紹介---7. 第583号 22.09.09(木)
昨日、第582号に続きます。
今日の日本は、主権在民によって国民が国家の経営者であり、経営者には義務が伴うものです。我が日本国憲法には権利の主張だけが多く、義務の規定があまりにも少ない。権利と義務のバランスのとれた憲法にしようではないかと訴えました。
そういう主張をとった石橋は戦争中、圧迫されました。だが、海軍中尉であった次男が南太平洋で戦死した時、
「自由主義者であっても国家に対する反逆者ではない」と言い、息子の死に対して、次のように心境を吐露しました。
この戦(いくさ) いかに終わるも 汝(な)が死をば 父がかわりて 国のためいかさん
このように、自由主義者であっても、国のことを忘れない、母国を愛する情に満ちた人であったのです。今日では常識だが、民主主義と国家は矛盾しないと論じた基本を教えた政治家でした。
礼節を守らなければならないというのは、決して個人間のことだけではなく、国と国との関係においても、こうでなければ人々は幸せにはならないと一身を挺して主張した豪快な気骨ある人物でした。だが総理に就任したものの脳梗塞のため、不幸にしてわずか二ケ月で退陣を余儀なくされました。極めて短期間であったが、政治家としての業績に勝るとも劣らぬものを残したのです。
明治以来の大言論人であったが、言論に筋金が入っており、律儀・誠実・清潔であった彼の真骨頂を、忠実に学んで活かしたいものです。
石橋は、イデオロギーを超越した、人間のための、人間による、人間の思想を主張した、礼節を弁えた政治家でした。
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今回、七回にわたり「礼節の政治家たち---」と題してご紹介させて戴きました。今の世に、こういう政治家がいるでしょうか。稲葉修元法務大臣、伊東正義元外務大臣、原敬元総理大臣、石橋湛山元総理大臣のことを書き、自分で納得し溜飲の下がる思いが致します。
9月9日現在、民主党の代表選挙に向けて、両陣営ともガップリ組んで戦いを展開していますが、原敬元総理大臣みたいに「わたしは平民宰相でよい、勲章なんかいらない」と菅、小沢氏のどちらが言えるだろうか。
そして国民が真に幸せになるために、どの候補が総理として相応しいか、ということです。菅氏の応援団長である江田氏は、鈴木宗男氏実刑のことに触れ、「政治とカネ」を断ち切らねばならない、と声高に話ました。それは小沢氏に対する警戒感から来たものだと思料しました。
一寸まってください、仙谷官房長官の息子の事務所費の問題は何の咎めもないのですか、ということです。昨日は、長崎県議会の政務調査費の問題も報道されました。政治とカネは永遠の問題なのです。これが解決されるということはないと私は思います。
大臣の原口氏は国民のために、今オオナタをふるわなければならない、と主張しました。まさしく見識であり、胆識であります。それは、国会議員のためではなく、国民のための政治であるからです。
これ以上、苛斂誅求をほしいままにしたら必ず、国民が決起する時がくると私は思います。