雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

若狭鯖街道 熊川宿

2007年05月29日 | 福井散策
熊川宿を訪れました

古い時代、若狭は朝延に食料を献上する御食国でした
日本海で魚や貝が遠路はるばる京都へ運ばれた街道です
「京は遠くても十八里」
その後、18世紀後半から大量の鯖が若狭から京へと運ばれるようになり、若狭街道が、鯖の道・鯖街道と呼ばれるようになったそうです

熊川宿の東のはずれに道の駅があるので、そこに駐車して熊川宿まで歩きます

    

ほのぼのとした宿でした
昔の面影と、昭和の香りと、現在の生活感が混在した街道
そんな印象を受けました

観光バスが着くことも時々ある程度
といった感じの観光地です

    

熊川宿の宿場町としての歴史は戦国時代に遡ります

1587年秋、若狭の領主となった浅野長政が熊川宿を整備します
藩主となった翌年、国境の熊川の地を検分
ここが大切な要害の場所であることを認め整備を始めることになったのです

        


街道宿としては、あまり観光地擦れしていない熊川宿

    

中山道に代表される街道の保存は難しい
生活環境が激変し、車社会となって、社会インフラの整備も必要で...
景観維持の難しさを感じます

    

中条橋から眺めると、鯉幟が泳いでいました

街並みの中で時々土塀の建物があります
モノクロ撮影でノスタルジックを表現したつもりです

    

熊川宿の宿場資料館はまるで学校の様な造りです
もしかしたら廃校の校舎を利用しているのでしょうか?

        

実はこの建物は元熊川村役場
役場としてはモダンな建物だったのでしょう
和洋折衷の頃の建築でしょう

街道と用水はセットみたいなもの

        

でも、生活用水としてももちろん使われています

        

これは、里芋の皮むき
見られなくなった景色ですよね
こういった昔の人の知恵を生かす機会があればいいなと思います
古いものは悪いもの
という概念はどこか間違っているのではないでしょうか

捨てられる物と捨ててはいけない物
時代の流れが速すぎて選別が間に合わない時代に生きている
実感します

街道沿いにも家主を失って捨てられた家屋があります

    

そんな忘れ去られた物を探してみたいと思います
こんな路地裏に入り込んだら、きっと何か見つかるはず

        

思いを馳せながらの散策でした

    
コメント
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