近鉄、大和八木駅から南西の方角
JR桜井線を超え
飛鳥川を渡った先
そこに
かつて「大和の金は今井に七分」と唄われた町がある
天文年間
本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺が
今井町の起源
農民などを門徒化し
一向宗の布教をおこなう拠点として形成された門前町が今井町である
町の周囲は壕と土塁で囲われ
城塞都市として発展したが
織田信長の躍進で
本願寺が降伏すると
今井町も武装解除し
商工業都市へと姿を変える
その頃
この町は今井千軒と呼ばれており
盛隆を極めたことが町名からも伺える
海の堺
陸の今井
町並は今日も歴史的保存地域として残されている
JR桜井線を超え
飛鳥川を渡った先
そこに
かつて「大和の金は今井に七分」と唄われた町がある
天文年間
本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺が
今井町の起源
農民などを門徒化し
一向宗の布教をおこなう拠点として形成された門前町が今井町である
町の周囲は壕と土塁で囲われ
城塞都市として発展したが
織田信長の躍進で
本願寺が降伏すると
今井町も武装解除し
商工業都市へと姿を変える
その頃
この町は今井千軒と呼ばれており
盛隆を極めたことが町名からも伺える
海の堺
陸の今井
町並は今日も歴史的保存地域として残されている
質実剛健の歴史的な町並み、
しっかり保存されていますね。
町並み保存の成功例として、
いろいろ取り上げられています。
そぞろ歩き、してみたいですねえ。
同じトーンの格子戸や板塀が印象的でした。
一軒一軒の家には入らず
表を見ただけでした。
確か馬をつなげる金具が表にあったと記憶しています。
町の由来がわかりました。
それに保存が、しっかりしています
この町は人が住んでるのか不思議な感じがしました
かなりの面積で、古い昔の建物が残っています
でも、そのうち半分くらいは朽ちようとしていて
保存が出来ているような出来ていないような
そんな印象でした
大半は事前予約制
全部を見学するには時間も必要で
なかなか大変だと感じました
格子状に通路があり
意図して企画された町だとわかりますね
結構クタビレています
町の端のほうの建物のいくつかは倒壊寸前でした