雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

大河内山荘2

2007年11月19日 | 京都散策
    

大河内山荘は造園当時女人禁制だったとか
その禁を初めて破ったのが高峰秀子
丹下左膳で共演していた彼女を「まだ女性ではない」という理由で招待します

後年「わたしの渡世日記」という手記で彼女が、ふてくされながら招待に応じたと記しています

        

大河内傳次郎は福岡県築上郡岩屋村で、医者の息子として生を受けました
青年期は実業家を目指しますが
就職した兄の会社が関東大震災の影響で倒産すると
実業家の夢も潰え、劇作家の道を進むことになります

    

彼の人生一大転機となった時期です
第二新国劇に入団した当時の芸名は室町次郎
大河内傳次郎の芸名を使うようになったのは日活に移籍した頃
伊藤大輔監督に見出されトップスターへの階段を駆け上がることになるのです

    

往年は時代劇六大スターの一人にも数えられ
最高給俳優のあだ名も付けられます

敬虔な仏教信者であった彼は、持仏堂という名のお堂を小倉百人一首を選定した小倉山の山麓に建築します
これが大河内山荘の始まり
後年の東映時代まで彼の得たギャラは全てこの山荘造園に費やされることとなったのです

    

全盛時代も終わりを告げ、もはや彼が主演では客を呼べなくなったと悟ると
彼は脇役に徹し
晩年を汚すことなく俳優人生に終わりを告げることとなるのです

そんな彼が残した山荘
侘びの心を庭園が物語っていました

    

更に続きます...

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3 コメント

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はいはい! (miko)
2007-11-20 20:34:52
私が行ったのが6月だったのですが、確かに閑散とした雰囲気があり、
「ここは入れるのだろうか?」とためらってしまったんです!
一般の住宅のようにも思えまして^^;

紅葉シーズンの人出は苦手なので、オフシーズンに再度訪れてみたい所です^^

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mikoさんおはようございます (雪だるま)
2007-11-20 05:23:38
大河内山荘の入口はちょっと入るのを躊躇う感じですよね
実は、雪だるまも嵯峨嵐山を訪れるようになった頃は「ここ入れるの?」ってな印象を持ち敬遠したものです

ここの庭園が素晴らしいことを雑誌等で知り、初めて訪れたのは大河内山荘の前を通過するようになってから暫く後のことですよ

mikoさんも同じような印象を持たれたのかも??

ここは秋の拝観時期はとてもゆっくり歩けるような状態ではないくらい人が入りますが
それ以外の時期は割りと閑散としていて、のんびりと歩けます

最後の写真ですが、ここ大河内山荘で一番紅葉がキレイな場所です
同じ場所の撮影ですが、確かに違う雰囲気の写真になりますね

風景の一部を切り取るのが写真
ちょっと角度や切り取り方を変えるだけで違う写真になる
まあ、これが写真の面白さなのかもしれませんね
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こんばんは~ (miko)
2007-11-19 20:34:33
今回は大河内山荘ですね^^
ここは近くまで行っておきながら、無知ゆえに立ち寄らなかった所です(涙)
雪だるまさんの写真と解説で楽しませていただきますね^^

庭園の苔、風情がありますね~。。。
ゆっくり歩きたいものです。

下の写真とその上の写真は同じ場所を写したのですよね?
ちょっと角度を変えただけで、同じ場所なのに違った雰囲気に感じました。
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